序章 すべて忘れて

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 いつの間にかうつらうつらとしていた紗栄は、聞こえたアナウンスに飛び起きた。あわてて停車ボタンを押して、バスを降りる。  たしか神社は、ここから歩いて十分程度だったはず。  幸い今は雨がやんでいるが、いつまた降りだすかわからない空模様だ。リュックを背負い直すと、足早に歩きだす。  ――おかえり、紗栄。  ふと、どこかから声が聞こえた。立ち止まって振り返るが、どこにも人の姿は見当たらない。  気のせいか。長旅で疲れているのかもしれない。  気にせず先へ進むと、遠くに石造りの鳥居が見えてくる。 「ここが、草津神社……」  地図アプリで確認して、顔を上げる。鳥居の奥は、杉の森を切り開いたように、参道がまっすぐ伸びている。  子どものころは、よくここへ遊びに来ていたらしい。しかし、自分が覚えている限りでは、四年前、祖父が亡くなったときに一度訪れただけだ。 『親戚』という名の知らない大人たちに囲まれて、記憶がないことについてあれこれ聞かれ、ひどく居心地の悪い思いをしたのを覚えている。  苦いものが込み上げてくるのを感じ、紗栄は小さく首を振った。  ポケットにスマートフォンをしまって、鳥居をくぐる。濡れた石畳には落ち葉が貼り付き、あちこちに雑草が生えていた。  引っ越し作業が落ち着いたら、ここも掃除しよう。  参道を歩きながら、紗栄は周囲を見回した。  森の中だからか、道路沿いを歩いていたときより、肌寒く感じる。まだ昼間だが、曇っているのに加え、生い茂る木々に僅かな日の光も遮られているせいで、日暮れ前のように薄暗い。
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