歴史に残る怪物ボクサーたち。

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歴史に残る怪物ボクサーたち。

★◆●に更新。(21年、7月26日) ★最後に、《史上、世界で最も打たれ強い選手TOP10》を掲載しています。 ★アリvsフレイジャーの詳細【ドキュメンタリー番組】https://www.youtube.com/watch?v=lkFqO-Tp2Rs  ~はじめに~ 時代が違うボクサーの実力を比較することは、基本的には無理です。番狂わせといわれた試合(アリvsフォアマン、タイソンvsダグラス、タイソンvsホリフィールド、etc)は、もし実現していなかったら敗者のほうが断然有利だと見ることでも分かります。つまり、ボクシングに三段論法(AはBより強い。BはCより強い。だから、AはCより強い)は意味がない。 同世代のボクサーでさえそうなのです。ましてや違う時代のボクサーたちの実力差などあくまで憶測に過ぎず、好き嫌い・独断・偏見によるところが大きいし、ボクシングで重要な要素は相性だといえます。それは多種・多様のボクシングスタイルとボクサーの性格が交錯するなかで生まれるもの。 たとえば中量級なら「レナードvsメイウェザー」の結果は?(を、真面目に論議するのと同じでナンセンス) そこを踏まえて見てください。 ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​《アイアン》マイク・タイソン(58戦50勝44KO6敗2無効試合)​​vs《ビッグ》ジョージ・フォアマン(81戦76勝68KO5敗)は、フォアマンが有利。 フォアマンはフレイジャー戦でも分かるように、タイソンのようなタイプは得意である。ただし、フレイジャーよりタイソンの方がスピード的にも技術的にもファイターとして、より完成されているが。 それでも、フレイジャーはアリとの三戦を見ても分かるとおり精神的にも肉体的にもタフである。つまり、根性が凄い。 逆にタイソンは、フォアマンのようなタイプは苦手だと思われる。なぜなら、 突進力・体力でフォアマンのほうが有利だからである。ホリフィールド戦やルイス戦を見ても、その傾向は見て取れる。 ​《マニラのスリラー》​と形容される《ザ・グレイテスト》モハメッド・​アリ(61戦56勝37KO5敗)​vs《スモーキン(蒸気機関車)》ジョー・フレイジャー(37戦32勝27KO4敗1分、つまり負けたのはアリとファオアマンだけ)​の第三戦​は、アリの14R(終了時点で)KO勝ちだが、アリはトレーナー(アンジェロ・ダンディ)に「もう止める‼ グローブを外してくれ」と降参したが、聞き入れられなかった。 一方、フレイジャーのチーフセコンドのエディが「これは何本に見える?」と指を三本差し出したら、フレイジャーは「一本」と答えたために迷わずストップ。フレイジャーは「必死に試合続行を求めたが止めやがった」と彼は後年、怒りのコメントをしている。123dbfce-163f-4c3b-91dc-394bd338360c試合後の記者会見でも「目が見えなかっただけだ」と。 元々彼は、左目がほとんど見えなかった。フレイジャーによると、1964年の練習中の事故(おそらくスパーリング)だったらしいが時期は不明。ゆえに、相手の右パンチに対しての防御に苦労したに違いない。常に上体を上下に揺さぶっていたのも、見えなかった影響がそうさせていたのだろう。 それでも試合を中止したエディは後悔していない。それまで8人のボクサーがリング禍で死んでいるのを目撃していたからだ。当然だが、死人よりも開頭手術や重度のドランカーのほうが数倍以上は多い。 (こういう経験則があるから、スポーツ化した昨今のボクシングはストップが早い傾向にある) 14Rを終え、最終ラウンドを迎えるフレイジャーの、疲れを通り越したその表情は悲哀に満ちて、涙を浮かべたような瞳は自分の死を予測しているように見える。そんな覚悟の中で、勝手に試合を止められたら溜まったものではないだろう。 13R、アリのフック気味の右パンチで、フレイジャーはマウスピースを吐き出したが、それはリングサイドの5列目まで飛んでいった……❢❢7b851b3e-fe18-480a-b4a2-659365b60abe他方、勝利が告げられて立ち上がったアリは右手を挙げた後、リング上に崩れ落ちてしばらく寝たままで周囲に介抱されている。88b81ab6-5082-48ef-aa8f-4fc2073ef89b 14Rまでのジャッジのスコアは引分けと1ポイントアリの勝ち。 (もう1人は不明) 「俺は死ぬかもしれないと、10Rが終わってアリはコーナーで言った」 「14Rは、まさしく殺し合いだった」(アリの主治医) ​●​​​もし仮にエディが最終ラウンド前に止めていなかったら、どうなっていただろうか? ……ボクシングとは、これに近いくらいの激闘の歴史によって形づくられ、スターが現れ、スター同士の対決がスーパー・ファイトとなって世界中のファンのみならず一般社会にも影響を与え、存在感を保っている。 そして、その試合報酬はあらゆるスポーツ&格闘技の中で一番高額なことが、そのステイタスの高さを物語っている。 ●アリはフレイジャーと三度闘っているが、特に1971年3月、MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)での第一戦はアリ(31戦無敗)が徴兵拒否から三年半後にカムバックして三戦目で、王者フレイジャー(26戦無敗)に挑戦した《世紀の一戦》と呼ばれた試合だった。 これは単に、世界ヘビー級王座を人気選手たちが争うというだけではない。二人の背景には政治色が絡んでいた。人種差別に反対し国家に反抗したアリと体制派のフレイジャー。この背景があったからこそ、国を揺るがす騒ぎになったのだ。 ◆◇◆ アリが徴兵拒否によって国家からライセンスを剥奪されても、フレイジャーはアリのプロ資格の再交付を陳情したり、金銭的に援助をしたりした。にもかかわらず、最高裁がアリの正当性を支持して1970年(アリに)復帰を認めると、アリはフレイジャーに対して掌を返した。アリにしてみれば、それまでの友情を無下にする言動で世間を騒がすことで、より試合を盛り上げようとしたのかもしれなかった。 しかし、フレイジャーにしてみればとても許される行為ではなかったのだ。復帰したアリは、70年の10月&12月、ともにTKOで勝利すると翌年の3月、フレイジャーと初対決❢❢ この無敗対決は、《プロボクシング》がショーとしてビッグビジネスになる革新によって、これからの隆盛を確信できた試合でもある。が、アリは最終15Rにダウンを期して判定負け。 11Rにもアリは倒れているが、ダウンとは見なされていない。しかし、あれは左フックによって腰砕けに倒れたのが足を滑らせてスリップしたように見えただけ。あくまでパンチの効果によって足元がふらついたものだからダウンのほうが正しい。(と、VTRを見たら思える)その後もアリは、11R後半に2度もロープにもたれてダウン寸前に追い込まれている。 アリはこの試合、機関車のように猛進するフレイジャーがとてもやりづらそうだった。打っても打っても怯まずに前に出てくる相手に手こずりながら、試合前のファイトプランが実行できない誤算を感じていたに違いない。 やはり試合後半の精彩を欠いた動きは、王座剥奪によるブランクも関係しているように見える。初回から以前の『蝶のように舞う』ことはできなかったが、疲労度が増すごとにアウトボクサーのスタイルは影をひそめていった。勝利したフレイジャーは、だが試合後に1ヶ月の入院を強いられる。 1971年3月、そのフレイジャーに挑戦したフォアマンは、王者の「根性」を木っ端微塵に吹き飛ばした。 フォアマンは第1R、開始1分過ぎにフレイジャーの額を掠る右アッパーでダウンを奪い(初回)三度、第2Rも三度倒して計六度、最後はレフェリーストップで、アリに勝ったフレイジャーから王座を奪った。 この試合は、その衝撃から「​​​キングストンの惨劇​​​」と語り継がれる。 ​それでもフレイジャーは何度ダウンしても立ち上がり、勇敢にフォアマンに立ち向かっていった。やはり、そのスピリットは勇者と呼ぶにふさわしい。 そんな王者を、フォアマンが倒すたびに仁王立ちで見下ろす様は、まさしく仁王様のようだ。f920dd98-20e2-4271-ba9c-002d9aff9f62115655a5-85a1-4278-af6d-8643c80cd9adフォアマンによると、このとき膝が震えていた(笑)e4202d40-795c-4440-979d-41df0c80ff231R、最初のダウンを奪う直前の右アッパー。 まさに空気を切り裂いている❢❣33288dc4-cb95-450d-9965-fdf2e7d6c1362R、アッパー気味の右フックによる3度めのダウンで吹き飛ばされた。 最後は、見かねたレフェリーがストップ。 フレイジャーの精神力が凄いと思うのは、そんな負け方をしたにもかかわらず再びフォアマンに挑んでいること。それだけ彼のプライドは高く、かつ崇高であると思わざるをえない。 初防衛戦を東京で初回KOした後、2度目の防衛戦では、アリの顎を骨折させて判定勝ちしたケン・ノートン(50戦42勝33KO7敗1分)を2R粉砕。フォアマンの右フックで、ロープまで吹き飛ばされるノートン。 アリが、世界中が注目する中でそのフォアマンに勝ったのだから当時の社会的影響力とともに「キンシャサの奇跡」と語り継がれるのも当然。 (これについては、《前編》で詳しく紹介しています) 元々、アフリカ系の黒人であるアリだからアフリカ(ザイール国・首都のキンシャサ)での勝利は、さらに当事国や(その)国民にとって熱狂して受け入れられた。       ~1974年(昭和49年)10月31日発行・報知新聞~ ★ライバル対決の今昔ーー。 『アリvsフレイジャー』と『タイソンvsホリフィールド』 《ホリィはタイソンの戦法を逆手にとって、頭を低くしてバッティングを誘っていた。第一戦ではそれが見事にヒットして、7Rにタイソンをのけ反らせて瞼から出血させた。再戦でも2Rに瞼を切って、いったんタイソンはレフェリーに傷口をチェックされている。そのホリィの戦術は、VTRで見てもよく分からないほど巧妙。だが戦っているタイソンには、わざと頭をぶつけていると分かった。だから激怒して第3Rに耳を噛みちぎって(耳の一部を吐き捨て)減点2を食らい、さらにもう一度噛みつき行為の末に反則負けになってしまった。 そういえば、ホリフィールドと戦ったフォアマンが「彼(ホリィ)は本当に汚い」と語っていた。 タイソンvsホリィⅡは「1997年、タイソンが耳を食いちぎった試合、現地での観戦記」で詳しく書いています》 ★最近(20年9月19日)初めて観て、思わず笑った(アラビア語の「タイソンvsホリィ」の)You Tube。  それは、第3Rが終わってコーナーに座るタイソンが、レフェリーのミルズ・レインから(おそらく)失格負けを宣告されたときの驚いた顔。この角度の映像は観たことがなかったが、タイソンは「ウソだろ❢?」と言わんばかりに目をひん剥いて何か叫んでいる。口の動きを見ると、「Why!?」と叫んでいるようだ。 まさか相手の耳を噛みちぎり減点2を食らい、その後すぐに反対側の耳に噛みついたにもかかわらず、「何でだ!?」はないでしょ(笑) それにしても耳の軟骨を食いちぎる顎の力とは、どれくらいのモノなのか? 通常の人間の顎の力は、自分の体重と同じくらいだともいいますが、個人差があるので一概にはいえません。焼き肉のホルモンでも、ゴムみたいに硬いのは噛みちぎることは難しい。ましてや耳の軟骨となれば想像できませんが、人間の力でないことだけは確かです。 アリVSタイソンは、タイソン絶対有利。 アリはタイソンのようなタイプが苦手だ。これはフレイジャー&ノートン戦を見れば分かる。しかし、タイソンは アウトボクサーには天才的な強さを見せる。 ボクシングという競技において、《ヘビー級ボクシングの革命》といわれたモハメッド・アリは唯一無二の天才である。それにアリは、ボクシングというジャンルの枠を飛び越えた存在だった。 祖国と戦っても戦争(徴兵)を拒否し、王座をはく奪されても尚、屈しなかった。そして選手としても、対戦相手に対する挑発的なコメントやパフォーマンスはテレビを意識した彼の演出が初めてであり、あらゆる意味でプロのスポーツマンとしての先駆けだった。そんなアリによってスポーツの地位が向上し、報酬も上がっていった。たとえ黒人であっても。(そんな彼の功績が認められ、米国で最高位の勲章である《大統領自由勲章》を得た) それ以外にも彼は、米国の黒人差別(人種差別)とも闘っている。 ローマオリンピックで、米国人としてライト・ヘビー級の金メダルを獲ったにもかかわらず、白人専用・レストランで「ニガー(黒人を侮辱する言葉)に出す料理はない」と入店を拒否され、アリは「こんな物、何の役にも立たない」とメダルを川に放り投げた。 ◆◆そんな、アリが王座剥奪される前の全盛期に、二度も闘っているソニー・リストンはアリに負けたシーンしかメディアに出てこないために、最強王者のイメージはないけれど、1964年2月(アリとの)初戦は圧倒的有利(掛け率7対1)といわれるくらいに恐れられていた。 リストンは、スパーリング(実践練習)でも相手を務めるパートナーを探すのに苦労したらしい。 ​◆◆◆63年6月のヘンリー・クーパー戦で、アリは左フックでロープまで吹き飛ばされ強烈なダウンを期している。結果は5R、クーパーの瞼の傷と出血を憂慮(ゆうりょ)したレフェリーはストップしたが、そのダウンシーンのイメージもあってか、次戦のリストンへの挑戦ではアリは勝てないと思われていた。​ 1968年(メキシコ五輪)オリンピックで金メダル獲得後、翌年にプロデビューしたフォアマンは、64年アリに王座を奪われたリストンのスパーリングパートナーだった。 フォアマンもタイソンも「リストンのようなボクサーになりたい。と語っていた」と、ある記事でみたけれど、それは獰猛さという意味だと想像がつく。 リストンの倒しっぷりは、それくらいの迫力と凄みがある。★ソニー・リストン(54戦50勝39KO4敗) 身長185㌢・リーチ213㌢(タイソン・フューリー206㌢:リーチ216㌢) 両親が出生届を出さなかったため、正確な生年月日が不明。(記録上は、1932年5月8日) 12人兄弟の11番目。極貧な家庭で育ち、文盲なため自分のサインも書けなかった。(リストンの体には父親から受けた虐待の傷跡が無数) ボクシングを始めるまでに19回の逮捕歴で、刑務所でボクシングを覚えた。(ちなみにタイソンは9歳から12歳まで51回) 1952年、2年間の刑務所生活から仮出所、マフィアのボスと付き合うようになる。 53年プロデビュー。 56年、警官暴行&拳銃強奪で感化院(更生施設)へ。出院後、再び警官暴行で住んでいた町を追放される。 ★★★(人種差別にうるさい最近でも警察官による黒人射殺のニュースが後を絶たないが、あの当時であればもっと黒人に対する偏見はひどかっただろうに。よく殺されなかったと不思議。それだけ有名なワルだったのだろうし、マフィアとつながっていたから警察もうかつに手を出せなかったのか?) 62年9月、フロイド・パターソン(トレーナーはタイソンと同じ「カス・ダマト」)に初回KO勝ち、世界ヘビー級王者に。パターソンとのリマッチ(1RKO)で一度防衛。当時は「史上最強」と呼ばれた。 64年2月、カシアス・クレイ(モハメッド・アリ)に6R終了時・棄権で王座陥落。棄権の理由はその強打ゆえに、振り回した際に右肩を脱臼したことが原因。​65年5月、アリとの再戦で初回KO負け。 1971年、死去(39歳=あくまで推定。アリとの試合では50歳との説も)、死因についてはヘロインの過剰摂取や心臓麻痺や暗殺など諸説ーー。 言葉は悪いが、アリと同じくらいのカリスマであるタイソンの印象といえば、ただリングでルール無視の大乱闘を起こし、私生活でも法律違反を犯して世間を騒がせただけではないか?(生涯ファイトマネー4億ドル→2300万ドル借金→自己破産) 言わずもがなのホリフィールド第2戦、1R終了時に相手の腕をホールドして放さず関係者たちがリング上になだれ込んで乱闘寸前にまでなったボタ戦、1R終了後に左フックでダウンをとったときに倒れた相手が足を捻挫して続行不可能となり、ノーコンテストとなったノリス戦。(これで米国のファンはタイソンを見放した) 逆に言えば、リング上の強さだけで世界中のボクシングファンを納得させ万人受けするKO劇を見せてくれたタイソンは、やはり凄いということか? ▲▼▲アリは67年3月の試合を最後に(徴兵拒否で)ライセンス剥奪から70年8月の復帰戦まで(3年5ヶ月の)ブランク、タイソンは91年6月のラドック戦の後に事件を起こし、95年8月のマクニーリー戦まで(4年2ヶ月)ブランクを作った。 アリは国家に逆らって勇気ある英断の結果のブランクだが、タイソンはレイプ事件で……という極端な違いも、そのキャラクターを如実に表している。 【​​★★★​世界ヘビー級・史上最強​★★★​​】 ※ここでは「​テクニック的な上手さ​」より「​​怪物的な強さ​​」にこだわり、独断と偏見でランキングしてみた。 1.​ジョージ・フォアマン​ ★アリ戦後にフォアマンは何度も再戦を要求したが、アリは拒否した。それは同じ戦法が二度使えるとは、アリも思っていなかったからだろう。 ​ ​◆◇◆​77年3月、28歳のフォアマンはジミー・ヤング(57戦35勝11KO18敗3分1NC)に判定負け。常に前進しながら圧力をかけるフォアマンに対し、ヤングは小刻みに後ずさりしながらカウンターを狙うスタイル。ヤングは足を使うアウトボクサーではないが、フォアマン戦を見る限りではカウンターパンチャーのよう。7Rの序盤、フォアマンの左フック一発でヤングはグラつく。もっとダイレクトに当たっていれば、ダウンしていたかもしれなかった。しかし、最終15Rには右のカウンターを食らったフォアマンは、その後(右の)カウンターでダウン❢❢ スコアは不明だが、ダウンが響いたとしか思えない内容。フォアマンはこの試合で勝っていれば、次戦はアリとの再戦が予定されていたらしい。(アリが受けたかはともかく) 結局、アリとの再戦は《神が許さなかった》ということか? しかし負けたフォアマンは、控室で昏倒して神の存在を悟った。それから宣教師となってキリスト教の普及に務めるも、青少年更生施設の建設資金などを必要としたため、引退して10年後にカムバックを果たす。 フォアマンに子供扱いされて2R・KO負けしたノートンは、だが77年11月ジミー・ヤングに判定勝ち。やはり、ボクシングにおいて相性が重要で、三段論法は不要論。単に、ボクサータイプ・ファイター・ボクサー&ファイターなどのスタイルにとどまらず、身長&リーチ、パンチの打ち方やそれに対する防御の相性やメンタル面などによって、その微妙な差が勝敗に大きく影響する。またそれがボクシングの面白さである。◆◇◆ ​ そして​​アリ戦の20年後​​、1994年11月にサウスポーのマイケル・モーラー(57戦52勝40KO4敗1分)を10RにKOしてWBA・IBFの世界王者に返り咲く。 当時のモーラーは35勝30KO(無敗)で、元々L・ヘビー級上がりの王者がスピードでフォアマンを圧倒していた。 ♣♣しかも、ラウンドが進むごとにそのスピード差は顕著になって、フォアマンのフックはまるでスローモーションのように虚しく空を切るばかり。 ​一方、モーラーは前の試合の94年4月、ホリフィールドに判定勝ちして、さらに勢いづいていたこともシャープな動きにつながっていたのかもしれない。(91年4月、ホリフィールドはフォアマンに判定勝ち、そのホリィに94年4月、モーラーは判定勝ち) しかし、それが油断=隙(すき)となってしまうことになろうとは……。 5Rくらいからフォアマンの顔が腫れはじめ、インターバル(休憩)時に、セコンドがエンスウエル(腫れ止め)を使いだす。 判定までいけば当然、王者の防衛が見えていた。(9Rまでの採点は、王者がフルマーク)モーラーがフォアマンを逆指名して挑戦を受けたのも、(相手は)ビッグネームがゆえに高い報酬が得られ、しかもイージーに勝てると踏んだからである。しかし、右ストレートのタイミングが合い始めていたフォアマンは、10Rにワン・ツーからの右ストレートを爆発させた❢❢ その一発でモーラーは大の字。ピクリとも動かない。​♣♣20年前にアリに「20世紀最大の」奇跡を許したとき、すでにこの勝利のシナリオができ上がっていたのか❢❢ (以下、ボクシング・マガジン2020年、8月号より) フォアマンが再起する際、健康的な生活を送るために考案されたとするキッチンキット『ジョージ・フォアマン・グリル』がモーラーに勝った同じ年に売り出され、爆発的に売れた。最初の5年間でネーミングライツとして2億ドル以上をフォアマンは手にし、さらに1999年にパーセンテージによる支払いの権利を放棄する代わりに1億3800万ドルを手に入れた。 ​​フォアマン・グリルとは、ハンバーガーと思いきや、それを焼くプレート。​​ ★ただ、パンチ力だけなら「アーニー・シェイバース」(89戦74勝68KO14敗1分、1RKOが23回)が一番かもしれません。 フォアマンとシェイバース、ともに闘ったリロイ・コールドウェルによると、「シェイバースのほうがよりパンチが強かった」 フォアマンとは71年9月、シェイバースとは72年10月に対戦しているから、ほぼ同時期であるし、どちらにも2RにKOされている。 《ボクシング選手名鑑:アーニー・シェイバース》においても一番下のほうに【補足情報】としてアリのコメントが載っていて、「対戦した中で、一番パンチが強かったのはシェーバース」(アリの判定勝ち) 「フォアマンのパンチはドカーン❢ドカーン❢という感じで、シェーバースはショットガンで撃たれたような……シェーバースのほうがより効いた」(リロイ・コールドウェル) 「12歳から木を切ったり、畑の仕事でパワーがついた」(シェーバース) ★You Tubeでシェイバースの試合を観ると、金属バットにグローブをつけて、振り回している感じに見える。逆にいえば、これだけのパンチ力を持ってしても世界王者になれなかったとは……ボクシングは難しいし、一流ヘビー級ボクサーの打たれ強さも凄い。 さらに、全盛期のタイソン&シェイバースと戦ったラリー・ホームズ(75戦69勝44KO6敗)によると、「タイソンよりシェイバースのほうが断然パンチが強かった」 (ちなみにホームズは、タイソン戦では全盛期をとうに過ぎていた。まず、ジャブやストレートのスピードが違うし、個人的には同タイプのアリよりホームズのほうが強かった? とさえ思えます。 ■□■​ただ、対戦相手のことを考えると???が。それだけホームズには強力なライバルがいなかったことも不幸だったといえます。 全盛期のホームズは、アリとフォアマンの、両方の要素を兼ね備えた史上最強ともいわれていた。それほど攻撃は迫力があって、またアウトボクシングもでき、オールマイティな強さと上手さを兼備していた。しかし、アリのコピーとして不人気で終わったホームズと、世界を巻き込んで影響を与えたアリ。アリ戦以外でビッグファイトとなったのは、《ホワイトホープ》ジェリー・クーニー戦だけで、当時は白人対黒人ともいわれた。実際アメリカでは異人種対決が一番盛り上がるらしい) 何でもシェイバースのパンチは、 「弾丸が当たったような衝撃で、身体全体が衝撃を受けた」(ホームズ) (シェイバースは、アリやホームズたちと激闘を演じたノートンを、1Rに二度のダウンを奪ってKO勝ちした) しかし、世界ランカーで終わったシェイバースでは、いかに一発のパンチが強くても説得力に欠ける部分があります。 (おそらくタイソンは、速いから見えなかったというのが正直な感想ではないでしょうか?) そして、フォアマン&タイソンと戦ったホリフィールドによると、 「フォアマンのほうが、パンチが強かった」 ★フォアマンが(74年10月に)アリに負けた後、76年1月にロン・ライル(51戦43勝31KO7敗1分)と再起戦を行うが、「これぞヘビー級」と唸る一戦。 (ライルは《パンチ力だけなら最強の》シェイバースを6RKOするが、シェイバースが前のめりに倒れるシーンは、まるで拳銃で頭を撃たれた死者)試合前のフォアマンとライルのにらみ合いは、お互いがキスをせんばかりの近づきようで、実際唇は当たっているようだし、さらに熱い視線を交わす……(笑) 1Rから、強打者同士を思わせるパンチの交換を見せるものの、フォアマンの圧力がやや優勢かと思いきや、終盤にライルの右が炸裂。フォアマンはダウン寸前に追い込まれた。 2R、3Rはフォアマンが持ち直しロープに追い込むシーンが目立つが、4Rに試合が動く……。 左右の連打でライルがダウンを奪うと、立ち上がったフォアマンも右を爆発させて倒し返す。その後の凄まじい打ち合いの中、カウンターを食らったフォアマンは再びダウン!! その倒れ方は、右側頭部と右肩からマットに雪崩落ち、パンチの衝撃を物語っている。 しかしゴングに救われるも、立ち上がったフォアマンはフラフラ。 (あと15秒あったら、フォアマンは4Rで負けていたかもしれない) そして第5Rは、ダメージ濃厚のフォアマンと打ち疲れたライルの乱打戦で、どちらが倒れてもおかしくない死闘だが、自力で勝るフォアマンがコーナーに追い込み、左右ストレートから左右アッパーの怒涛のラッシュでライルを前のめりに倒した。立ち上がろうとするライルだが、レフェリーがストップすると、力尽きたライルは崩れ落ちた。 見ている方が痛くなるような打ち合いもさることながら、驚くべきは同じ人間とは思えないような耐久力&タフネスぶり。まさに怪物たちだ!! この試合は、​リング誌の年間最高試合​に選ばれた。 ※特筆すべきは、フォアマンが過去の対戦相手について「最強の男はロン・ライル」と語っていること。 「ライルとの試合が一番ハードで、もう少しで殺されるところだった。アリとの試合は、疲れ切っていたから倒れたけど、もう少しアリに敬意を持って戦術を練っていたら体力(スタミナ)も温存できた」(フォアマン談) ライルは75年にアリ戦(WBA・WBC世界タイトル)で11RTKO負けをしているが、それまでの判定は(意外にも)ライルが勝っていた。(ライルはストップが早いと抗議) ライルにとって、アリより真っ向から打ち合ったフォアマン戦のほうが(ライルの)強さを引き出せたと思う。 ★フォアマンVSライルの動画は以下です。 https://www.youtube.com/watch?v=q1RPZreSKPw&feature=push-fr&attr_tag=5AhfO-snvRdwGy5N%3A6 ★★★もう一つ、フォアマンvsライルのドキュメンタリー動画です。 https://www.youtube.com/watch?v=q1RPZreSKPw&t=131s フォアマンのパンチを受けるトレーナーは、最後は吹っ飛んだ❢❢ ★アリvsフォアマンを改めて見返すと、「フォアマンは負けるべくして負けた」の一言。 第1Rから、アリはクリンチを多用し、直線的に襲いかかるフォアマンにクリーンヒットをさせなかった。フォアマンの出鼻をくじくワン・ツーでペースを握らせず、水のようにしなやかな動きでいなし続けた。 片やフォアマンは一発で倒そうとムキになって倒しにかかり、強振を繰り返し、まんまとアリの術中にはまってしまう。 それはまさに『剛』に対する『柔』。 自分より強い闘牛をあしらいながら、左右ストレートで徐々に弱らせ、あるときはガードを堅めてロープを背負いながらスタミナを奪っていった。 ラウンドが進むごとに、フォアマンはガス欠の度を強め、そして自滅した。まさに《アリ地獄》に落ちてしまったのだ。 フォアマン自身が語っているように、もう少しアリを警戒し、相手を見ながら対応していけばあんな負け方はしなかっただろう。 ★アリはフォアマンと拳を合わせる前に、すでにフォアマンが自分に対してどういう戦法で来るのか分かっていたらしい。だから、自然とそれに対応する戦術を考えていた。 「フォアマン(王者)は、ただ力まかせに強打を振り回して倒しにくる。だから打たせるだけ打たせて、クリンチやロープ際でガードを堅めて防御してスタミナを奪う。決してKOを狙わずに速いワン・ツーでフォアマンを奇襲し、慌てさせる」……という戦術に、フォアマンはまんまとハマってしまった。しかも、今まではそれで相手をなぎ倒して王者になったフォアマンは、《史上最強》ともてはやされたから、ますます彼もその気になっていた。 ◆◆◆フォアマンは(アリとの)試合前の練習で怪我をして一度試合を延期しているが、10日間は安静にするように医師から練習を止められていたこともスタミナ不足と無関係ではないだろう。 ◆そして晩年のアリーー◆~1976年(昭和51年)9月30日発行・読売新聞~ アリvsノートン第三戦で、猪木戦は同年6月26日。 『アリキック』のダメージで1ヶ月入院していたらしいが……。 ~1978年(昭和53年)2月17日発行・読売~アリは同年9月15日、スピンクスに判定勝利で雪辱。 80年10月、ラリー・ホームズに10R終了後・棄権。 81年12月、トレバー・バービックに判定負けで引退。 (2006年、バービックは2人から鉄パイプで撲殺された。享年52) 2.​レノックス・ルイス​(44戦41勝32KO2敗1分) ヘビー級王者のまま引退したのは(ルイスを含めて)4人だけ。2敗しているが負けた相手には再戦でKOしている、文字通りのパーフェクト・レコード。 全盛期に近いタイソンと二度戦い、二度目は判定までもつれ込んで苦戦させたラドック(47戦40勝30KO6敗1分)を、2RKOした。 ★他にルイスの強さが際立つ試合は『ダーティ・ファイター』アンドリュー・ゴロタ(ポーランド、52戦41勝33KO9敗1分1無効試合)戦。ゴロタは、リディック・ボウ(44戦42勝33KO1敗1無効試合)をダウンさせて、耳への噛みつき&ローブローなどで苦戦させた。そのゴロタを、長い左のリードで突き放し左右ストレートだけで(1分で)1度目のダウン、その後は右アッパーをおりまぜて約1分30秒でジ・エンド! ♣♣、ルイス戦後のゴロタは、控室で昏倒して救急車で運ばれた。 『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、エティエンヌ戦で1RKOしたタイソンは、ルイスから再戦のオファーを受けたが断った。 と記載されているが、タイソンからすればもう少し試合を挟む必要があると思ったのだろう。 ★★ルイスが最も苦戦をした試合は「ビタリ・クリチコ(47戦45勝41KO2敗)」 ビタリの2敗は、クリス・バード(47戦41勝22KO5敗1分)とルイスだが、ともに怪我による負傷負けで、それまでビタリが優勢だった。クリチコ兄弟は巨漢でスピード&パワー&テクニックもあり、特に兄のビタリはパンチ力と打たれ強さでも突出していた。ダウン経験が一度もなく、ルイスの強打にも耐えたことから、タイソンでも倒すことができなかったのではないか? 判定までもつれ込んだら体格で勝るビタリのほうが有利だったかもしれない。ボクサーとしての実績では防衛回数も含めて弟のウラジミール(後に紹介)のほうが上だが、強さという点ではビタリだと思う。……というわけで、ビタリは同列・2位にしてもいいのかもしれません。 ビタリとルイスの2人と闘っている選手がいます。 シャノン・ブリッグス(2006年11月にWBO世界王者を獲得、68戦60勝53KO6敗1分1無効試合)です。 ルイスには5RKO負け(98年3月)、ビタリには12R判定負け(2010年10月)で120-105、120-107、120-107の大差だった。12年くらいの開きがあるので何ともいえませんが、ルイス戦とビタリ戦ではブリックスの体型が違う。スリムなルイス戦のほうが強かった? と思いますが、太ったビタリ戦では体重が増した分、耐久力も増したのかもしれない(?)。 それにしてもビタリの右強打を再三もらったにもかかわらず倒れなかったのはさすがだが、やはりルイスの右のほうが破壊力では勝っていたのでは、とも思えます。しかし、耐えに耐えたビタリ戦後のブリックスは、顔面骨折・左眼窩骨折・鼻骨骨折・左上腕二頭筋の断裂・鼓膜破裂の重傷で集中治療室へ……。まさに死闘。 やはり、一流ヘビー級ボクサーのメガトン・パンチに対するその耐久力は凄い❢❢ 3.​​​​​マイク・タイソン​​​ ただし、ケビン・ルーニーと組んでいた時まで。そして、タイソンがタイソンらしかったのはブルース・セルドン(43戦37勝33KO6敗)戦(1996年9月7日)​まで。​​ 2000年6月、ルー・サバリースを1RKOしたときも全盛期の面影はあったが、セルドン戦とはスピードが違う。 ★◆●自分より一回り大きいセルドンを109秒で二度倒し、戦意喪失させてKO勝利したとき、放送席の小泉さんは「タイソンは強い。ホリフィールドもレノックス・ルイスも1Rで倒せますよ❢❢」と確信の表情で断言していましたが、まさかその2ヶ月後の11月7日、ホリフィールドにKO負けするとは……。 ★タイソンとやらせたかったのは、サモアの『​デビッド・トゥア​(58戦52勝43KO4敗2引分けで、1RKOが16回)』 タイソンと同タイプだし、ハードパンチャー。レノックス・ルイスに挑戦(判定負け)したときも、王者のアウトボクシングに自身の強打が空回りしたけれど、ルイスは打ち合いを避けて(アウトボクシングに徹底して)いた。しかし、タイソンとだったら突貫ファイター同士、凄まじい打ち合いが見られただろう。 ♣♣「ルイス戦の2Rに、試合前に痛めていた脇腹を悪化させた」(トゥア) という記事を見たので、You Tubeで確認。 やはり2R残り45秒、ルイスの左ボディを一発被弾している。ローブロー気味で脇腹に直接もらったわけではないが、もともと痛めていたのなら効いたのかもしれない。しかし、2Rゴング直前には飛び込みざまの左フックでルイスをロープまでふっ飛ばし、数少ない見せ場を作った。 5Rにもトゥアは、二発の強い左ホディブローを食っている。 ルイスの戦略としては、左ジャブ&ストレートとフットワークでトゥアを中に入らせず、接近したらクリンチでかわし、決して打ち合いには応じない。 11R終盤には、ダンス気味の動きで余裕を見せたが、後半は客席もじゃっかん、白け気味のように見受けられた。所々、ブーイングも聞こえる。 トゥアは一本調子のボクシングで変化に乏しかった。もっと、ボディを攻めてスタミナを奪う作戦に出たり、上下を打ち分けたりするなど工夫が欲しかった。 解説の採点も111-117。 トゥアは、世界ヘビー級王者の経験者であるジョン・ルイス(1R・15秒で失神KO)、オレグ・マスカエフ(KO勝ち)、マイケル・モーラー(30秒で失神KO)、ハシム・ラクマン(初戦は10RTKOで、2戦目は判定勝ち)という結果で、もっとビッグファイトへの参戦があってもよかった。 178cmで115キロという体型で打たれ強いことから、おそらくは対戦相手を探すのに苦労したのだろう。ビッグネームとは言い難く、相手にしてみれば高額なファイトマネーを得られない割にはリスクをともなう。 史上最強4位には、個人的にはトゥアを押します。何といっても倒しっぷりが魅力的。当然、タイソンとの兼ね合いで、ホリフィールドとの一戦が観たかった❢❢ ★タイソンは、1999年1月に元IBF世界王者「ホワイト・バッファロー」​フランソワ・ボタ​戦で第5RにKO勝ちしているが、首の骨がずれたボタは担架で運ばれた。そのパンチは右のショート・ストレート。(30センチ程度のパンチで、あのボタの、太い首の骨がズレるとは……) この試合は、タイソンがホリィの耳を噛みちぎってから1年7ヶ月ぶりで、4Rまでタイソンは、ブランクからか苦戦していた。 ★ボタは95年、空位のタイトルを(ノーランカーの)アクセル・シュルツと争い2-1の判定勝ちで王座奪取。しかし、ドーピング検査で「黒」のため剥奪。それでも王座認定が一定期間あるために『元王者』という肩書が残っている。(その後、この試合は無効試合扱いに) ボタは、ルイス(2000年)やウラジミール・クリチコ(2002年)には全く歯が立たなかった。 ・ルイスには2R、右の2発を食らいロープの外まで上半身が飛び出るほどのダウンから立ち上がったものの、レフェリーストップ。 ⦿クリチコには何もできずに8R、KO負け。(とはいうものの、ウラジミール相手に8Rまで戦ったわけだし、1996年11月、マイケル・モーラーにも12RKO負け。(つまり、もう少しで判定決着) ボタが最も評価される試合は99年8月、巨漢のブリッグス戦の引き分け。 (ブリッグスはその後、2006年11月にWBO世界王者に) ……ということから、2003年からK-1や総合に参戦して苦戦していたが、ボクサーとしてはある程度、評価できる戦績を残している。 ​♣♣タイソンはセルドン戦後のインタビューで、 「俺は野獣だ!!」と鬼の形相で吠えていました。このときのコメントは、「子供を食ってやる❢」とか「俺が最も殺伐&悪質&無慈悲な王者だ。俺ほど冷酷な奴はいない」など、勝利者インタビューとは思えないようなセリフが続きました。 そして「レノックス・ルイスは偽物。ソニー・リストン、ジャック・デンプシー……俺は彼らと同類だ」などと、吠え続けた。 しかし、引退試合となったマクブライト戦後には涙を流しながら、 「こんなにキツイことは、もう出来ない。これ以上、ボクシングを侮辱したくない」と語っていた。とても同じボクサーのコメントとは思えなかったし、淋しかった。​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​​​​​ ★タイソンが全盛期であればタイソンはルイスより強い。と、タイソンファンは思うだろう。アゴの打たれ強さもあるし。 (確かにアリ同様、世界に旋風を巻き起こしたという点では、タイソンのほうが影響力は比較にならないほど強いが) しかし、それはあくまで仮定であって、現実は違う。プロは、リングでの結果がすべてなのだから仕方ない。(アリに負けたフォアマンを1位に挙げているのだから矛盾していますが) ​年齢はルイスが一つ上だが、タイソンは早熟でルイスは晩成型? 個人的には、マイケル・スピンクス戦やアレックス・スチュワート戦、ブルース・セルドン戦のタイソン(主に、ルーニーがトレーナーだった時代)なら、ルイスやホリフィールドより強いと思いますが、ボクシングは相手あってのことなので、相手が違えばまた相性も変わり、結果も変わる……。だから、ラドック戦&ゴロタ戦&ボタ戦のルイスなら、これまた全盛期のタイソンでも勝てない? とも思えるし。 したがって、あくまで「全盛期同士なら、どっち?」という想像になってしまうので難しい。 ★日本テレビで、50歳のタイソンにインタビューした番組がありました。そのとき「対戦した相手で一番強かった相手は誰?」という質問で、タイソンは「​マイケル・スピンクス​」(32戦31勝21KO1敗)と答えていた。 無敗対決だったスピンクス戦(1988年)は、開始1分でダウンを奪い、再開後のたった一発で試合終了。終わった後のスピンクスは、とりあえずダメージが大事に至らなくて安心したようでした。試合内容も、ほぼ一方的にタイソンが圧倒していた。しかし、戦ったタイソンにはスピンクスの実力が分かったのでしょう。(それでも「ルイス」と言わなかったのは、タイソンの意地か?) ★試合前の予想でも双方と戦ったホームズが、「スピンクスは全然強くない。タイソンのKO勝ちだ」と断言していた。 ★ホームズvsスピンクスは二試合行われましたが、その1985年時点で、ホームズは全盛期を過ぎていた。(タイソンvsホームズは1988年) ホームズvsスピンクスの初戦は、ホームズが49連勝をかけていたにもかかわらず、判定負け。 (実はこの試合、ヘビー級で最多の49連勝記録を持つ「ロッキー・マルシアノ」に並ぶか? と注目されていた。しかし、白人のマルシアノに黒人が肩を並べることへの嫌悪感が判定に影響したとも言われている。が、翌年の再戦でも2-1でスピンクスが辛勝) ★プロ野球の一流投手でも、そのときの体調や調子によって体のキレや動き、投球フォームさえも微妙に変わることがあります。同じ打者や球団を相手にしても完封したり、大乱調によって変化球が冴えなかったり直球のスピードがなくて初回KOされたり。これはボクサーにも言えると思います。しかしボクシングは、たった一つの負けが選手生命を左右してしまう。それは、頭を打たれる競技だから、より危険だし厳しい。 ​​タイソンは、ホリフィールドとの第一戦を見る限りでは接戦に弱い気がする。​​(強豪)ドノバン・レーザー・ラドックとの第二戦では打ち合いの末、判定勝ちまで、もつれ込んだけれど。 ホリフィールドとの初戦は、おそらくタイソンは練習不足もあってスタミナがなかった。(それが敗因の一つでもある) 二ヶ月前のセルドン戦で、圧倒的な強さを見せて109秒、WBA王座を奪取した勢いもあったし、元々クルーザー級だったホリィを舐めていた。 それは何故かというと、以下の状況からうかがえる。 当初この一戦は、タイソンが東京でのダグラス戦(1990年2月)後に(同年6月)米国で試合が決定していた。(つまり、タイソンサイドにとって、ダグラス戦は単なる消化試合に過ぎなかった。海外の日本での顔見せ的な) しかし、ダグラスに大番狂わせで敗戦しご破算になった。 (これも「​​​タイソン、東京で初めての敗戦の裏話​​​」として他で書いています) ダグラスとの試合の前に、米国でタイソンとホリフィールドは記者を交えて会談していたが、 「すぐに、やっつけてやるぜ!!」 と、椅子から立ち上がったタイソンは拳を握りしめ、凄まじい勢いで睨みつけていた。(見ているほうが怖くなるほどの睨み方で、テレビ画面を通じてこれほどリアルな恐怖を与えるのが、全盛期のマイク・タイソン) ホリィはやや背もたれにもたれながら、一言も語らずその眼光を受け止めていた。 ●●●そして遂に、1996年11月に初対決(タイソンvsホリィ)を迎えるも、ホリフィールドは直近の試合(96年6月)で178センチのボビー・チェズ(52戦44勝28KO8敗)と対戦、5R終了時(ドクターのストップによる棄権)のTKO勝ちだが、ミドル級出身のチェズを倒すことはできなかった。3Rに一度ダウンを取っているが、スタンディング・カウント。 ※チェズの王座獲得履歴:IBF世界ライト・ヘビー級、WBA世界クルーザー級。 その前の95年11月では、リディック・ボウに前のめりに倒され8R・KO負け。94年4月にも、ホリィはマイケル・モーラーに判定負け(2ー0)している。 ……いくら因縁の対決といっても、刑務所から出所して3戦目(3RKO)でWBC王座獲得→4戦目でWBA獲得(1RKO)しているタイソンが相手では、果たして相手が務まるのか!? という前評判も納得がいく。 ​​全盛期の​​​​​タイソンの逸話を一つ​​……​​​​。 控室で試合を控えるタイソンに、トレーナーや関係者たちは、一緒にいるだけで恐ろしさを感じていたらしい。(猛獣といるような感覚か?) そんなタイソンは日本でも大人気で、1988年に新設された東京ドームのこけら落としで試合のため初来日。トニー・タップスと防衛戦を行った。当時のヘビー級・世界ランカーで「一番立っていられる相手」という理由からタップスが選ばれたが、2Rで終わった。ダウンシーンも、あっ気なかった。(ジョー小泉さんによると、「このときのタイソンがベスト」) その次の試合で、マイケル・スピンクスと無敗対決。(1RKO) そして、トレーナーのケビン・ルーニーを解雇し、それまでのマネージャーたちとも縁を切った。 ドン・キングと独占契約を結んだタイソンは(ダグラス戦やブルーノとの第一戦など)、練習不足をリング上で露呈していたが、それはつまりボクシングを舐めていたと言われても仕方がない。 自信過剰だったのは、レノックス・ルイス戦後に(タイソンの言動を耳にした)小泉さんが、 「お前、ルイスを舐めていたのかよ」と愚痴っていたことからもうかがえる。 新しいスタイルと強烈なノックアウトでセンセーションを巻き起こしたという意味でマイク・タイソンは、その存在感とともに後世に語り継がれる​NO.1のヘビー級ボクサー​であろう。彼は​​史上最凶の男​​として語り継がれることは間違いない。 (社会的影響としていうならば、黒人差別や戦争拒否をして国と戦ったモハメッド・アリが一番ですが) タイソンを評価する際に、まずパンチ力の凄さが強調されるが、彼のタフネス(打たれ強さ)の一例を挙げると、 1988年7月、ホリフィールドがクルーザー級からヘビー級に転向して、1989年7月に米大陸ヘビー級王座の防衛戦でのロドリゲス(ブラジル)戦、2Rに右のクロスカウンターをこめかみにヒットさせた。その一撃で、大柄(193㎝)のロドリゲスは足を痙攣させて失神に近い状態に陥った。 しかしタイソンはホリフィールドとの第一戦(1996年)、10Rに(ホリィの)右カウンターをもろにアゴに食らったにもかかわらず、後ろによろけながらも倒れることはなかった。(しかも、それまでタイソンはダメージ濃厚だったが) もう一つ、それはルイスvsシャノン・ブリックス(後の世界ヘビー級王者、68戦60勝53KO6敗1分1無効試合)で分かる。 巨漢のブリックスはルイスの右のパンチを(アゴや側頭部に)一発もらうと何度もダウンしたが、タイソンは何発まともに側頭部にもらってもグラつくことはなかった。 タイソンvsルイス、 第1R開始早々、タイソンはルイスの右アッパーを二発、ガードの上からまともにもらっていたが、あれは凄い衝撃だっただろう。おそらく目の前で爆弾が炸裂したような感じだったに違いない。カンがいいタイソンが同じパンチを続けてもらったのは(二発目を外せなかったのは)、最初のパンチがそれだけ強烈だったからだろう。普通の選手なら(ガードの上からでも)あの一発でKOできたに違いない。 1R、ルイスはタイソンの強打を警戒してクリンチを多用していた。観客からブーイングが起きるほどに執拗だったが、やはりそれだけタイソンのパンチに危機感を覚えていたのだ。しかしタイソンは2R以降、パンチは単発で戦術もワンパターン、3R以降は早くもスタミナが切れ始めたことも影響してかスピードも落ちていた。そこをルイスにつけ込まれ、(ルイスの)パンチを受けだした。しかもあの右を。 結局は、セコンドと自分自身の無策が招いた失策試合だった。セコンドもタイソンには何も言えず、イエスマンになって従順になるしかなかったのだろう。(もう一つの敗因は、やはり全盛期とは程遠かったこと。年齢は一つ上のルイスだが、それほど落ちていなかったのは、普段の節制も無関係ではないと思う) ♣♣、試合前の公開記者会見で、タイソンはルイスの側近に左フックを空振りしてから大乱闘を演じているが、あれは「わざと空振り」したんだと思います。まさか、あそこで本当に殴っていたら試合そのものが中止になることはタイソンだって分かっていたはず。動かない(素人に近い)相手に、本気で手を出すわけがない。 私見ですが、あくまで乱闘に持ち込んで大騒ぎすることで、PPV(有料放送)の売り上げアップを見込んでいたのでは? それでも、その後で興奮したであろうタイソンはルイスの太ももに噛みついたことを認めている。罰金は約4千万。 ★若いタイソンが、もし総合格闘技をやっていればトップに立っていたとしても不思議ではない。(というか、間違いなく最強王者) 彼の体型はボクシングよりレスリング向きだし、あのパワー・スピード・闘争本能・運動神経は総合でも充分生きると思う。 ★そしてもう一人、 歴代ヘビー級最強王者列伝に欠かせない男といえば、タイソンに二度の黒星をつけ、リディック・ボウやルイスと死闘を演じた、 真実の男「イベンダー・ホリフィールド」(55戦43勝28KO10敗2分)である。 ホリフィールドはルイスとは1敗1引分け、ボウとは1勝2敗(3戦目はKO負け)で分が悪いが、(前述しているように)ボウはゴロタに対しては相性が悪く2戦して2度とも反則勝ち(1996年7月は7R・11月は9R)の苦戦だった。 ホリィVSボウは、ボクシング史に残る乱打戦。 ホリィは、84年11月にライトヘビー級でプロデビューして、85年7月にクルーザー級に転向、88年4月に3団体王座を統一して返上。(88年に発足したWBOはまだメジャータイトルではなかった)そして、ヘビー級に転向してから94年に心臓疾患により一度は引退。全身に血液を送る心臓の病気を乗り越えて最もハードな競技であるボクシング界へカムバックして、2011年の試合を最後に14年に正式引退……凄まじいボクサー人生。 通算:43勝(28KO)10敗・2引き分け。二流どころにも苦戦や敗戦をしている難点があるものの、タイソンとの初戦(11R・TKO勝ち)や高齢になってもファイティング・スピリットを保ち続けた。​(2008年、46歳で46キロ重い213センチのニコライ・ワルーエフ(ロシア)に挑戦するも2‐0の判定で大善戦) ボウ(45戦43勝1敗1無効試合。つまり、ホリィに一度負けただけ)はソウル五輪・銀メダリストで、金はルイス、銅はゴロタ。 ボウVSルイス、ボウVSタイソンは見たかったカード。 ちなみに、ゴロタはルイスに1RKO負け。タイソンにも2R終了後の試合放棄でノーコンテスト。(眼底骨折) 世界ヘビー級の現在(2016年11月)――。 ★WBA(8度防衛)IBF(18度防衛)WBO(14度防衛)元王者のウラジミール・クリチコ(64勝53KO5敗)は、主戦場はドイツ。だが彼の試合はボクシングの発祥地であるイギリスや本場のアメリカでは放送しない。やはり社会的影響力(カリスマ)という点では、アリやタイソンには遠く及ばない。 しかし、2メートルの身長と恵まれた筋力・体力を駆使し、テクニック・パワー&スピードを兼ね備え、磐石の強さを見せつけた点では、歴代最強王者たちにも引けをとらない実力の持ち主であった。 29回の世界戦を経験(ボクシング最多記録)、内23度の防衛。現役王者&元王者12人に勝利。無敗ボクサー11人に勝利(世界記録) 体育学博士でもあり、母国のウクライナ語・英語・ドイツ語・ロシア語を話す。米国・美人女優のヘイデン・パネッティーアと結婚。 4敗のうち3敗がKO負けであることからアゴに難があるといわれているが、それはレノックス・ルイスも同じ。 つまり、決定打をもらわない戦術(ファイト・プラン)を実行し続けることができれば、25度の世界戦・防衛記録(ヘビー級のジョー・ルイス)を破る可能性も見えてくるはずだったが、2015年11月、タイソン・フューリーに判定負けしてからの復帰戦は、2017年にIBF王者のアンソニー・ジョシュアが予定されている。 ★フューリーは次戦未定。 引退状態で今後剥奪されるでしょうが、おそらくは戻ってくるでしょう。なぜなら、巨万の富と名声を得られる資格を持ちながら、みすみす見逃すわけはないからです。すでに同国のスーパー・スターであるジョシュアを意識しないはずもないし、たとえばお互いが最高の状態で「ジョシュアvsフューリー」が実現すれば、英国ならず世界のボクシングファンが熱狂するでしょう。 しかし2017年、いまだに復帰の予定なし。 ★2016年12月時点。 WBA王者(空位)スーパー王者(フューリー) WBC王者(デオンディ・ワイルダー) IBF王者(ジョシュア) WBO王者(フューリー) 2017年は、ワイルダー、ジョシュア、キングコング・オルティスに、クリチコと多士済々、混戦が期待され興味深い。 ワイルダーは腰高なので、打たれたときにどれだけの耐久力があるのか疑問です。が、1RKO・20回のパンチ力は魅力的。 オルティスはサウスポーでスピードがあり、ショートパンチが上手い。 実力・自力では、(実績の)クリチコと(若手の勢い)ジョシュアだと思いますが……。 完。 ★4月30日、午前6時、WOWOW生中継――。 (ロンドン・9万人収容会場のチケットが、1時間で売り切れ) 現役ヘビー級においての実力最強決定戦といえる『アンソニー・ジョシュア(英国)』vs『ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)』の予想……。 KOならジョシュア、判定ならクリチコと見るのが妥当なところでしょうか? 共に198センチで、リーチは208(ジョシュア)206(クリチコ)と、 肉体面ではほぼ互角。しかし、クリチコには約1年半のブランクがあって、いきなりタイトルマッチのジョシュア戦。 それは、41歳というクリチコの年齢を考慮(憂慮)してのものなのか? 必勝を確信しての挑戦なのか? 現役最強の呼び声が高いジョシュアを下すという最高のパフォーマンスが戦う動機なのでしょうか。 勝敗にかかわらず、クリチコにとっては引退試合になる可能性があると思います。(内容にもよりますが。仮に苦戦後は勝利しても引退、肉体的消耗が少ない場合は現役続行) 若さと勢いのあるジョシュア(27歳)が有利と見る向きが多いでしょうが、WBA防衛8・IBF防衛18・WBO防衛14のキャリアを見くびってはいけません。この経験を活かして、ジョシュアの裏をかいて若さを空回りさせ技術を駆使すれば、クリチコは自分のペースで試合を有利に進めることができるかもしれない。 それでもジョシュアの大逆転KO勝ちもありえます。クリチコの顎は決して打たれ強くないことも理由です。 「裏をかく」とは、相手が嫌がることを実行したり相手の動きを読んでカウンターをとったりして、肉体的にも精神的にも優位に立つことです。いわば、人生の駆け引きというだけの経験の構築が、クリチコの戦績には裏打ちされています。ただ王者の勢いが、それら全てを粉砕してしまうことも充分に予想できます。 ジョシュアの欠点は、まだ苦戦をしていないことです。打たれ強さ、接戦のときの対処法、スタミナ、終盤にもつれたときの精神力・パンチの強さ・スピードなど、それら全てが未知数。 18戦全KOのうち、後半にもつれたのは一度だけ(7R)。 それ以外は全て3Rまで。果たしてこれが、クリチコ戦において吉と出るか凶と出るか? 二人とも正統派のスタイルだけに、まずはジャブの付き合いが見ものですが、互いに巨漢のヘビー級で強打者であるがゆえ迫力ある応酬が期待できます。 さらに、どんな打ち合いをするのか!? 長きに亘(わた)って王者として君臨したクリチコの意地が、ジョシュアの顎を打ち砕き、ボクシング人生初めての苦杯を味わわせることができるのか? ジョシュアの肉体的優位さは、あれだけの筋肉量を誇りながら質に弾力があることです。筋トレなしでは、ボクシングだけであの筋肉を作ることは無理でしょうが、持って生まれた資質の筋肉だから柔軟さがあるのです。よく、筋トレをやると筋肉が硬くなるといわれますが、それも個人の資質。つまり、生まれつき筋肉が硬いか柔らかいかが大きな問題。 しかし、クリチコだって見劣りしないほどの筋肉を誇っています。クリチコのほうが、よりナチュラル(自然)です。 ★いずれにしても、この試合でジョシュアの真価が問われます。 勝者が​デオンティ・ワイルダー​(米国)と統一戦をすれば、ジョシュアvsクリチコを超えるヘビー級・メガファイト(ファイトマネー50億以上)になるでしょう。それは本場・ラスベガスでやることになるからです。 その前に、ワイルダーはオルティス戦の課題をクリアしてからになりますが。 もしくは、ジョシュアvsクリチコの勝者vsオルティスvsワイルダー。 いずれにしても、タイソンが去ってからのヘビー級はスター不在で盛り上がりに欠けていて、中量級のメイウエザーやパッキャオに主役を奪われていましたが、本来は「キング・オブ・キングス」のヘビー級が主役であるべきです。 ★★蛇足ーー。 不世出の漫画原作者・梶原一騎氏を語る伝記(書名は不明)の中で、「黒人空手家・Wがフォアマンに挑戦状を出したが、恐れをなしたフォアマンは応じなかった」という一文に、思わず違和感を覚えた。(ボクシングを知らない格闘技ファンや空手ファンなら鵜呑みにするかも) しかし、これは《相手にするわけがない》のが本当のところ。 プロボクシング・世界ヘビー級のトップ選手は、常に世界中のヘビー級ボクサーから標的にされ、アスリートとして一般人からも注目される。ましてやフォアマンほどの選手となれば、羨望の対象としてみなされる。 そして世界ヘビー級王者といえば、強い米国の象徴で、総合が競技として確立するまでは「キング・オブ・キングス」 日本でいえば横綱、タイならムエタイ王者。 ●何より他の格闘技と違うのはその報酬の高さであるし、それがまたステイタスを物語っている● ある劇画の中で、Wが「私はボクシングだけでも世界ランカーに負けない」というセリフがありましたが、映画でWのシャドー空手を観たら、あのパンチではプロボクサーにもなれない。(Wはキックの道場でパンチを習い、プロらしいパンチの打ち方を身につけた) しかも、顔面パンチを避けるだけのテクニックと経験は(通常の)空手の選手にはない。ボクシングで一番大変なのは相手のパンチをかわすこと。次に、パンチをかわすテクを持った相手に自分のパンチを当てること。 ​ ★​アメブロ​では、タイソンVSホリフィールドの第一戦&​耳噛み試合​、ジョシュアVSクリチコ戦を写真入りで紹介しています。 《史上、世界で最も打たれ強い選手TOP10》(順位不問) You Tubeから紹介させていただきます。 ★ゴロフキン(42戦40勝34KO1敗1分) プロ42戦アマチュア350戦で、一度も倒れたことがない。 ミドル級王者として、最も高いKO率。 挑戦した渕上選手(元東洋王者)は「試合開始、最初のジャブの一発で歯が折れた」 (確かに3RKO負けの、試合後の渕上選手の前歯は3本なかった) ベビーフェイスのゴロフキンは米国では人気が出なかったため、実力に見合う報酬が得られることはなかった。唯一、カネロ・アルバレスとの試合はそれなりの額だったが、それでも挑戦者のほうが高かったというのはそれだけ不人気だったことを物語っている。(第一戦は7対3で、カネロ55億) キャラというより、強力なライバルがいなかったのが最大の理由かもしれない。 ★ジョージ・シュバロ(93戦73勝64KO18敗2分) 1956年プロデビュー、60~70年代の最も強い選手たち(フォアマン、アリと2回、フレイジャー、パターソン)と試合をしている。試合数も、そのタフネスさを物語っている。 アリとの初戦(66年3月)と2戦目(72年5月)は、ともに判定負けしたが、シュバロによると「(2戦目の)アリは別人だった」 25歳~28歳(67年~70年)というアスリートとして最盛期に「徴兵拒否」によってライセンスを剥奪されたアリは、やはり不運だったし、それでもフレイジャーとの死闘の3試合(75年の第3戦は「マニラのスリラー」)、「キンシャサの奇跡」(74年)を演じた彼は《グレイテスト》と呼ぶに相応しい。 ★ジョージ・フォアマン(81戦76勝5敗) ダウン経験は3度。(アリ戦、ロン・ライル戦=2度) 28歳で引退して10年後、再起。23連勝(22KO)してホリフィールドに挑戦。 ホリィのベストパンチを何発食らっても倒れなかったけれど判定負け。 その後3連勝してトミー・モリソン(当時36勝31KO1敗)に挑戦するも判定負け。 ホリィに勝ったマイケル・モーラーに挑戦、見事10R・KOで20年ぶりに45歳9ヶ月で王座奪還(当時は全階級で史上最年長の王者だったが、その後ホプキンスが46歳4ヶ月でL・ヘビー級王者に) フォアマンは試合でも打たれ強かったけれど、人生においても最もタフな選手。まさに彼の自伝・著書の題名でもある「敗れざる者」 ★ランドール・コッブ(50戦42勝35KO7敗1分) 「最も打たれ強いアゴの持ち主」といわれ1982年11月、ホームズに挑戦した試合が真骨頂。 判定負けするも、15Rまで打たれ続けて倒れなかった。しかも、この辺りのホームズは全盛期で本当に強くて上手い。 ちなみに、タイソンVSホームズは1988年。(86年に引退してからの復帰戦でタイソン戦) ★マービン・ハグラー(67戦62勝52KO3敗2分) 1度ダウンしたが、スリップ気味。 ハグラーの側頭部は普通の人間より4倍厚い。(You Tubeによると) ★ジェームス・トニー(92戦77勝47KO10敗3分2無効試合) ミドル級からヘビー級まで闘い、ミドル・Lヘビー・クルーザー級はメジャータイトル。 ヘビー級王座はマイナータイトル獲得。とはいうものの、2005年4月のWBA王者ジョン・ルイス戦では12R無効試合、2006年3月WBC王者のハシム・ラクマン戦では0-1の引分け。 2003年10月にはホリフィールドに9RTKO勝ち。 KO負けが一度もない。 L字ガードの上手さは、メイウェザーからも評価される。 ロイ・ジョーンズも「間違いなく、闘った中で一番強い」 ★レイ・マーサー(42戦35勝26KO6敗1分) 有名な試合は、ロッキー5に出演したトミー・モリソン戦。ボコボコにされながらも5Rに逆転KO勝ち。 ホリフィールドやレノックス・ルイスもKOできなかった。 ウラジミール・クリチコとシャノン・ブリッグスにはKO負けされたが、それはキャリアの後半で41歳と44歳。 ★オリバー・マッコール(75戦59勝38KO14敗2無効試合) 全盛期のタイソンのスパーリング・パートナーを2年半務める。東京で行われたトニー・タップス戦の(タイソンの)スパーリングでは、腹にコルセットを巻いて、その中に雑誌を挟んでいた。スパーが終わったマッコールのコメントは「(タイソンの)ボディ攻撃がキツイ」と、悲鳴に近い声を上げていた。 ルイス(94年9月に2RKO勝ちでWBC王座獲得)やホームズ(95年4月に判定勝ち)にも勝利。ルイスには(97年2月)再戦で5RKO負けだが、倒されたわけではなく号泣しながらルイスと向き合わず、情緒不安定のマッコールを試合放棄と認めたレフェリーがストップ。 コカインやマリファナで逮捕されたこともあるマッコールは、94年4月に精神障害と診断され、精神病院へ強制入院。 ★ビタリ・クリチコ(47戦45勝41KO2敗) 一度も倒れたことがない。 体育学のPHD(博士号)を取得して世界王者になったのは弟・ウラジミールも同じ。 ★モハメド・アリ(61戦56勝37KO5敗) キャリアで4度ダウンしているが、それも同時期の最強パンチャーたちと闘っているためであり『鉄のアゴ』ともいわれた。特にボディが打たれ強い。 ロープ際で、相手にわざとパンチを打たせてスタミナを奪う『ロープ・ア・ドープ』作戦はアリが考案。 アリは、それまで大男の殴り合いだったヘビー級ボクシングに《スピード》と《中量級のテクニック》を持ち込んだ。つまり、ヘビー級に革命をもたらした。スピードとフットワークで対戦相手をかく乱しただけでなく、強打者と打ち合っても怯まないタフネスがあったからこそ、歴史に残る超一流のボクサーとして語り継がれる。 ★欄外、デビッド・トゥア(58戦52勝43KO4敗2分け) 倒れるどころか、効いた素振りさえ見せたことがない?
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