腹ペコ坊主、捕まる。

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腹ペコ坊主、捕まる。

電車を降りて欠伸をしながら、正嗣(まさつぐ)は改札へ向かう。 気だるい午後のビル風が髪をなびかせた。 (そろそろ切らないとな…) 襟足が伸びてきて見た目にもウザったくなっている。この髪が伸びた分がフリーターになった時間を指していた。 バイトをしていた中華料理店が、数ヶ月前に営業不振を理由に閉店した。店長はひたすらに謝り通してくれたが、職がなくなったことは事実だ。 バイトばかりで、のらりくらり暮らしてきたツケがいま回ってきたのかなと、正嗣は感じている。大学を出てマトモに就活もせず、一生懸命就活に励む友人達を見て見ぬふりしながら、のんびりと過ごして。気がつけば周りは就職し、家庭を持ち幸せそうに過ごしていた。 まあそれでも、これが自分の選んだ道だと偉そうに虚勢を張るが最近は少し弱気だ。 改札前でICカードを出そうとした時、ふと隣を歩く気配に気づき目を向ける。 姿勢を正して颯爽(さっそう)と歩く僧侶がいた。大股で歩く姿に正嗣は目で追う。 改札前で僧侶は斜めにかけていた頭陀袋から、スマホを取り出し自動改札にかざして改札を出る。 一連の動きを見ながら正嗣はため息をつく。 (坊主ってやっぱエロいよな) 何を隠そう、正嗣は僧侶、坊主フェチである。 (しかも今のやつ、あの古めかしい袋からスマホとか…カッコよすぎだろ…) 正嗣は自分が僧侶になりたい訳ではない。 鉄道マニアが「電車の運転手に憧れる」と言う類ではなく、完全なる性癖だ。街で見かけるとつい見入ってしまうほどの筋金入り。流石にこんな話、誰にも言えない。 (しかも結構なイケメン坊主だったな) さっと通り過ぎただけの僧侶の顔をチェックできているあたり、我ながら怖いと正嗣は一人笑う。 自分も改札を抜けて帰路につこうとした時、先ほどの僧侶が前を歩いていることに気づいた。颯爽と歩いていた割には、まだこんなとこにいるなんてラッキー、と正嗣はホクホク顔だ。 (…ん?) ふと気がつくと僧侶の歩みがかなり遅い。右手で腹部を抑えたような格好で歩いている。そおっと隣に行ってみると、イケメンの僧侶の顔が少し歪んでいた。 (具合が悪いのか?) 気のせいか顔も青ざめているように見えた。これは人としてほっとけないだろ…、と自分に言い聞かせ、思い切って話しかけた。 「あ、あのお坊さん。具合でも悪いんですか?顔色が悪いですよ」 話しかけられた僧侶は正嗣の方を向く。 通った鼻筋に、少しこけた頰。切れ長の目がイケメン度を上げている。思ったより具合が悪そうだ。 「…はあ、少し…、腹の具合が…」 少し頼りないような声でそう答える僧侶。右手は相変わらず腹をさすっている。 「腹痛ですか?オレんち近いんで休んていきます?倒れそうな顔してますよ」 (何の下心もありませんからっ!) 心の中で、正嗣は呟く。 僧侶は少し驚いた顔をして、ご迷惑をかけるわけにはと言った瞬間、体が崩れた。 「う、うわ…!大丈夫…?!」 思わず体を支えて正嗣は慌てる。僧侶はうっすらと消え入りそうな声でこう、呟いた。 「実は、お腹空いたんです…」 *** 「はーーー!生き返りました!!」 さっきのか細い声と裏腹に、僧侶は元気な声を張り上げた。 お腹空いて具合が悪かった僧侶を抱えながら、とりあえず自分の部屋に連れ込んだ正嗣は、冷蔵庫にあった食材で調理をし、食べさせた。 幸い、実家から大量に送れられていた食材があったことと、バイトで(つちか)った正嗣の料理の腕が腹ペコ坊主を救ったのである。 「生き返って何よりです…って、なんでそんなに腹ペコで歩いてたんですか」 食後のお茶を淹れてやりながら、正嗣はタバコを口に咥える。 「檀家さんの法事がご自宅でありまして…、結構長くなっちゃいましてね。お昼も呼ばれてたんですが早く帰りたくてつい…」 早く帰りたいなどと坊主が言っていいのか、と思いながら正嗣はライターに手をかけた。 「タバコ吸ってもいいですか?」 「構いませんよ。貴方の家じゃないですか」 たらふく食って上機嫌の坊主はニコニコ顔だ。正嗣の入れたお茶を、美味しそうに飲んでいる。 「料理、お上手なんですね!早いし美味しいし…、コックさんなんですか?」 無邪気に聞いてくる坊主に痛いとこつくなあ、と心でつぶやきながらも苦笑した。 「コックらしきものはしてたんですけどね、バイトで。でも、店が潰れちゃって」 自分が作った海老チリを一口頬張りながら、自嘲気味に正嗣は呟く。 「今やこんな歳なのに、フリーターですよ」 「…あ」 僧侶はまずった、というような顔して俯いた。一瞬気まずい空気が流れる。 「気にしないでくださいよ、初対面でこんな辛気臭い話も良くないな…あ、お坊さん何歳なんですか」 「わ、私ですか。今二十八歳で…」 「えっ同い年?!」 ギョッとしたのは正嗣だった。落ち着いた風貌なのでてっきり年上だと思い込んでいた。 「そうなんですか、同い年なんですね!私は実家が寺なので、継ぐために今副住職なんです」 「へーーー」 同い年で副住職とフリーターかあ、と正嗣は呟く。 「あああ、自分がイヤになって来た…」 「何でですか」 「だって友達もアンタも、ちゃんと働いてて稼いでてさ、オレなんてこの歳でフリーターよ」 情けねえよ、と片手で頬杖をつく。 僧侶は少し困ったような顔を一瞬見せたが突然、テーブルに乗せていた正嗣の手を取って握ってきた。 「お、おわっ?」 「そんなことで自分を卑下(ひげ)しないでください…!今は苦しくても仏様がついてくれていますっ…!」 僧侶はさらに手を強く握って正嗣を見つめる。 イケメンの坊主にこんなに近くで見つめられるなんて、と思わず生唾を飲む。 (仏様なら今ここに降臨してくれたよ…!!) 「わ、分かった…です」 理性が吹っ飛ぶ前に、正嗣は手を何とか外した。 「良かった…!」 ホッとした顔を見せる僧侶。危なかった、と思いながら何だか面白い人だなあ、と正嗣は笑った。
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