シトラスローズの香り

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 私はパリの病院にいた。  ベッドの上で目覚めると、私の足は1本に減って、新しく2本の足が壁に立て掛けてあった。  それは木で組み立てられた松葉杖、失った足は石膏で塗り固められていて、切断されたわけではなかった。  私は舞台中央に立つバレリーナ、1年間のリハビリを宣告され、38歳という年齢を踏まえれば、最高位エトワールの称号を失うことは確実だった。  そんな失意の最中にオネーギンが訪れた。彼は終わりを告げて、ごねる私にこう言って諭した。 「一度咲いて枯れた花に、水をやっても咲きはしない」  舞台に人生を捧げてきた演出家らしい、台詞のような浮わついた言葉を贈られた。昔はそんな姿に憧れ、恋もした。  彼は私の枯れた手を取って、「添え木となって支えて欲しい」と言った。彼は指導者としての道を私に求めた。彼が若くて新しい才能を見つけたのだと悟った。 「いくつの子なの?」  卑しい私は聞かずにはいられなかった。 「18歳。カミュラという子だよ」  私は14歳で日本を発って、パリのオペラ座で主役まで登り詰めた。こんな歳になってまで主役をやっているなんて思ってなかった。よくやった。これで終わりでいい。私は夢を果たし終えたのだ。    そう納得する自分とは裏腹に、枯れ枝を折るように彼の手を切り離すと、まるで乙女のように口をつむんで拒絶した。振り返ることなく去っていくオネーギンには立ち止まってと心の内で願うだけ。  もしカミュラが27、8歳の子なら嫉妬なんてしなかっただろう。私がエトワールに選ばれたが28歳の誕生日だった。  居場所を失ったこれから何をすればいいのだろうか? その難題を解決出来ないままに、私は1年間のリハビリをやりとげた。そして、それから、、、。  私は飛行機に乗っていた。隣に小学生か中学生くらいの少年が座っていた。離陸し始めると、目頭を押さえてうずくまっている姿が、小人のように小さく見えた。ジェットエンジンが揺らす機体が、煽るように私の心も揺さぶった。少年は泣いていた。家族との別れを思わせた。  私はパリに留まるつもりもなく、日本へ一旦帰ったけれど、誰に会うこともなく日本を発った。家族にも、恩師にも伝えなかった。  私は恥じていた。クビを切られ、枯れたと言われたことを、咲かないと言われたことを。それを受け入れた自分自身に失望していた。  そんな私が向かう先は、かつて私が主役を奪って引退へと追いやった友人が住むウルグアイだった。
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