梨香子の出現

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「これは私が持っている契約書です。2通作っていますので、理人さんもお持ちだと思います」 「確かに俺の字だ……。俺が署名している……」 「それで……、記憶が戻ったら分かると思うのですが、この契約結婚は2人だけの秘密で1年間という約束でした。ちょうど10月末が契約終了日でした。2人とも納得して離婚する予定でしたが、理人さんが記憶喪失になられて離婚することができなくなりました。 絶対に誰にもバレてはいけない契約結婚でしたので、私は記憶喪失になった理人さんを置いたままここを出ていくことができませんでした。だからこの契約結婚のことは誰も知りません。理人さんのお父さんもお兄さんも、会社の方も、シーキャリアの湯川社長も、誰も知らないことです。みんな私たちが普通に結婚したと思ってます」 綾瀬さんは黙ったまま、私の話をじっと聞いている。 「それで、私はもうひとつ理人さんに謝らないといけないことがあります。この契約結婚では2人で決めた約束事がありました。契約書に書いてありますが、期間は1年間だけ。1年後にきちんと離婚すること。お互い干渉することはしない。恋愛も性交渉もしない。その約束を私は全て破ってしまいました。本当に申し訳ございません」 テーブルにおでこがつく勢いで頭を下げる。 「理人さんと一緒に生活していくうちに、私はいつの間にか理人さんのことを好きになってしまいました。いつも朝起きたらおはようって笑ってくれる顔や、私の作ったごはんを毎日美味しそうに食べてくれるところ、たまに意地悪をして私を困らせて喜ぶところ、いろんなことから守ってくれるところ、とっても優しいところ、子どもみたいに甘いフルーツが大好きなところ、全部全部大好きでした。最後に契約終了のお礼にと言って理人さんが箱根にドライブに連れてってくれたことはすごくすごく嬉しかったです。 だから……、さっきはバレてはいけない契約結婚だったから、記憶喪失になった理人さんを置いて離婚できなかったって言いましたけど……、本当は私が理人さんから離れたくなかったんです。このまま記憶なんて戻らなくていい、そんな酷いことも願ったりしてました。本当にごめんなさい……。だけど……、私はこの一年、本当に本当に幸せでした」 綾瀬さんとの幸せな思い出が口に出すたびに消えていくようで、ぽろぽろと涙が零れてきた。
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