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 語り部が来た日は特別だ。  その日ばかりは城の騎士たちもいつもより早く訓練場から出てくるし、畑仕事に勤しむ農夫たちも、息子より可愛がっている畑の世話もそこそこ切り上げて日が高いうちから戻ってくる。  少女がふと二階の自室から窓の外を見ると、家の前にはもう人が集まり始めていた。  雲一つない真っ青な空には太陽が燦然と輝き、ライトグリーンの木々の葉がキラキラと反射して強い日差しを和らげている。  いつもと同じ、草の張った石垣と轍のついた古い石の道。そして遠く広がる一面の葡萄畑。見慣れた平和な景色だ。この国は豊かだったが、それでも街のほとんどの子供は畑の世話か、少し頑張って城に上がって騎士団に志願するかくらいの道しかない。  少女のいる二階の広い部屋には天蓋付きの大きなベッドと本棚にピアノ。おおよそ同じ年頃の少女が羨むすべてがそこには揃っていた。  本棚の本は全て新品同様で、一度しか読まれた形跡がない。  それでも彼女はしばしば両親の眼を盗んで家を抜け出しては、本から読んで得たすべての物語を文字が読めない町の子供たちの前で暗唱してみせた。  語り部になりたいと両親に口にしたことは一度もない。  少女には生まれつきこの世のすべてが与えられていて、そんなものになる必要は何処にもなかったからだ。大きな家も、家庭教師も、羊皮紙で出来た高価な本を遠くから来た商人から買うお金も、ピアノも、将来の旦那さえ…生まれつき用意されていた。  このまま何もせずに生きていれば、好きな本だけを読んで生きていける。  部屋の外からメイドが少女を呼ぶ声がした。  語り部が来たらしい。  少女の家は城下町でも一番の金持ちで、語り部の話を聞くのが何より好きな両親が自慢の大広間を提供するから人々はこの家に集まるのが決まりになっていた。  町から町へと旅をして渡り歩く『語り部』と呼ばれる人々が語る物は、時が止まったかの如く変わらない平穏な日々を過ごす町の人々にとって唯一に近いエンターテイメントだ。
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