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消せない記憶
それから、雄陽と付き合うことになった。しかし今となっては、そんな良い思い出もつむじからたちのぼって消えてくれれば、と思う。そういえば昔読んだ本に、つむじからたちのぼる記憶がつまった帽子を集める双子の帽子屋、なんてのが出てきたなと思い出す。こんな記憶なんか、誰でもいいからくれてやりたい。そしてきれいさっぱり忘れたい。
そんな与太話はともかく、田中くんのカットが無事、前回よりも早い時間に終わった。そして前回と同じく、カット後の写真をパシャパシャ撮られた。
「上からな言い方になりますけど、前と比べて、切り方がスムーズになりましたね」
「本当ですか!ありがとうございます!」
今回は料金を払い、田中くんとお互いにお礼を述べ合い、サロンを出た。
さて、駅はどっちだったか、と店の前でマップを調べていたら、
「谷さん!」
と、八城店長が外に出てきた。このパターンは…と緊張が走って思わず自分の首元に触れたが、今回はプロテクターをちゃんと忘れずつけていた。
「突然すみません、帰るところで」
「いえ、大丈夫ですけど、何かありましたか?」
「ちょっと実は、谷さんに聞いておきたいことがありまして…」
少し深刻な口調になり、俺も身構える。
「大変失礼ながらも先程、田中との会話を小耳に挟みまして。谷さん、岸田養蜂でスタッフをされていたのですか?」
「ああ、はい。といっても、学生の頃に少しだけですけど」
「そうでしたか。それでもし、もし、ご存知であればで構わないのですが、浅川雄陽という俳優はご存知ですか?」
「…え?」
なぜ、八城店長が、雄陽のことを?
浅川雄陽は、舞台のみの活動で映像は一切NGだったから、一般的にはそこまで名を知られていないはずだ。それに、アイツは3年くらい前に既に俳優業を引退している。それからどうなったのかは定かではない。
「…一応、存じ上げてはいましたが…」
「本当ですか!?」
俺につかみかかる勢いで迫ってきた店長に、俺はビビる。
「今!あいつ!どこにいるか知ってますか!?」
「え、いや、そこまでさすがに私も…」
当時の連絡先も当然消してしまっている。そうでなくても、もう繋がるはずのない番号だ。
俺が店長の勢いにビビっているのに気づいたのか、八城店長は「あ」と落着き、咳払いをした。
「すみません。お客様に…」
「いえ。全然構いませんが、浅川さんが何か…?」
聞き返すと、八城店長は取り繕うように笑う。
「ああ、いえ、そんな大したことではないんですよ。個人的な事情なんで、気になさらないでください」
個人的な事情?店長と雄陽はどういう関係なのだろうか。
「すみません!引き留めてしまいまして。遅い時間までありがとうございまし…」
「あの、すみません」
八城店長が挨拶をしかけたところで、思わず俺は声をかけてしまった。
もう記憶の彼方に消し去っていたなのに。どうしてこうも気になってしまうのだろうか。信じていたのに、消えてしまったアイツのことなど。俺の気持ちを踏みにじった、アイツのことなど…
「俺、実は…」
それでも俺は、雄陽のことを信じたかったのかもしれない。
〈第4章 終〉
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