暗澹たる日々を謳う

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暗澹たる日々を謳う

※ ▪30分クオリティ ▪過去編。隼人×白夜。 ▪微裏。日常文。 ━━━━ 色白の肌や衣服を大いに穢した紅。 それはとても生温く、鼻に纏わり付く程の鉄分臭さを放っていた。 血と共に、滴る溜め息。全長80cmとあるククリナイフの先、血に溺れ無惨に横たわる男。その眼は見事なまでに見開かれており、そこにあるべき色がなく気色が悪い。 そっと細い手を翳し、目蓋を撫でるように瞑らせる。 その動作はまるで、優しい死神のようでーー 「ごめんなさい……」 殺人鬼とは思えない、透き通った優しい声。表情。 これが日常とは言え、雪の如く降り積もる罪悪感。謝罪なんて意味はなくても、せめて、ほんの少しでもそれが溶かせるなら……、と。 じわりじわりと痛覚を煽る切り傷。どうやら彼女は、標的の男に激しく抵抗されたらしい。 抑えた右腕。生への執念とは、時に残酷だ。 例え力量の差が歴然としていても、抉るような爪痕を残すのだから。 月明かりだけが眩しい帰路。 彼女の表情には、痛覚により生じた虚脱感ばかりが映えていた。 だが、それも基地についてしまえば雪崩のように消えて行く。 開いた自室のドア先、ソファーで退屈そうに寝転がる男の姿を見たら、虚や痛覚など敵ではなくなるのだ。 「お、お帰り」 「うんっ……ただいま、隼人っ……!」 数秒待てば、手を伸ばさずとも、触れ合える距離。見上げれば、普段は鋭利でしかない紅眼が弧を描いているのがよく解る。 抱きつきたい。今すぐにでも飛び込んで、頭を撫でてもらいたい。そうして、どっぷりと甘やかされたい。 そんな衝動も、視線の先に映る鏡の自分を見たら削がれる。 血に塗れた姿でくっついてしまっては、彼を汚してまう。気が引けるからと。 「どうした?」 「あ、あぁっ……うん。御風呂、入って来る」 足早に向かおうとした浴室。だが、その手は強引に引かれ、 血に濡れた身体はすっぽり。彼の両腕に収まってしまった。 「服汚れちゃうよっ……?」 「もう手遅れだ」 「そう、だけど……」 「一緒に入る」 耳元で小さく投げられた言葉に、咲いた笑顔。 理性失くして、しがみついた胸板。隙間を無くす程の抱擁に彼もまた、幸福を隠さない笑みを溢した。 ーーーー そうして二人、入浴を終え、ベッドでいつもの様に睡魔が来るまでの時間を潰す。 合わない視線。紅眼に向けられた背。 彼が言葉無しに抱き締めれば、腕の中でくるり。器用に回って、あどけない笑顔をして。 「えへへ……」 「よっこらせっと……」と。ちょっと重そうにしながらも、彼の手を自分の頬に導き、手の平へと頬擦り。 その姿はまるで、飼い主に擦り寄る猫のようでーーふと、親 指が彼女の唇の輪郭をなぞる。 それを、かぷり。子猫のように咥え、一生懸命に舐め始める。 そんな姿を見せられてしまっては、理性なんて忘却の彼方だ。 不意を突いて鷲掴みにし、引き寄せた後頭部。引っ付けた唇に、舌が追い付いて来ない。そんな拙い動きも、彼にとっては甘露にしかならないのだから、もうどうしようもない。 漏れ出る彼女の吐息に、熱ばかりが込み上げる。 「大丈夫か?」 「へっ……」 だが、続かなかった行為。耳に小さく届いた、優しい声。 彼女の中に生じた疑問符。いつもなら、こうではないのに。と。 「傷よ」 ゆっくりと擦られた右腕の傷痕。 青い瞳が、彼の細まった紅眼に溶けていく。 「大丈夫っ……」 戸惑いを潜めた微笑。彼は溢す事なく見つめていた。 だからこそ、なのか。先程の強引さは宙に浮き、彼女を抱き締めるだけの仕草へと落ち着いてしまった。 「お前の『大丈夫』はいっつも意味合ってねぇだろ」 「っ……、」 こんな風に優しく図星を突いてくる隼人が、堪らなく好きだ。 彼女は間欠泉の如く吹き出そうな感情を漏らさないよう、唇を噛み絞める。そうして『離さない。離れない』と言わんばかりに彼の背に手を回し、しがみつく。 彼女の脆弱さを彩ったその仕草に、彼は生温い感情を存分に引き出されて。撫でる頭と、滑らかな頬擦りと。 「痛くないよっ……」 「それならいいけど」 「……隼人?」 「何?」 「……、そのねっ、あの、」 「何だよ?」 「……きっ……大好きっ……」 「…………」 「だから、離れないでっ……わっ、私以外の人に、優しくしちゃ嫌だっ……」 余りにも拙く、無邪気な言葉。 ふと視線を落とせば、照れ臭そうに笑みを漏らす彼女。 彼の顔が見る見ると穏やかになっていく。 「不安か?」 「……、大丈夫っ……」 「だから意味理解してから使えよ、それ」 「ごめんねっ……ごめん、」 髪を緩やかに梳く指先。彼の表情、仕草一つ一つが彼女に愛を教えている。だけれど、彼女にはきっと足りてない。 彼からしたらそれが容易に推察出来るから、酷くもどかしくなり、つい、衝動に身を任せてしまうのだ。 気遣いなどとうに忘れて、彼女を一心不乱に求めてしまう。 言葉など、所詮は当てにならない。少なくとも、感情を知らない彼にとって言葉は、装飾品でしかなくて。 彼女の両手首を抑え、股がる。顔なんて見つめる余裕もなく、唇、耳、首元の輪郭を舌で器用になぞっていく。 度々、室内に漏れる彼女の涙声は、彼の理性を奪取していくばかり。 「なぁ……白夜?」 彼女の耳に響いた低声は、普段とは違い酷く弱々しく、そして優しいもの。彼女しか知らない、知り得ない声。 彼女自身、それを存分に理解しているからこそ、何とも言えない熱が身体を駆け巡り、火照りに支配されていく。 背中へとがっしり回した手。声に出さなくても、離れないでと叫んでいるような彼女の仕草に、彼は力なくして微笑んだ。 「大丈夫だ。死んでも一緒に居るよ」 「んっ……」 切情を孕んだ囁きに、彼女は涙を潰した笑顔を咲かせた。 彼の口にする『大丈夫』は、何故こうも安堵に満ちているのか。そんなの、考える暇すら奪われて。 張り裂けそうな程に強烈な感情。互いに、表現、形容する言葉を知らない。だから無我夢中で求め合う。こんな温い戯れ合いに身を窶した所で、満たされるのは一瞬だと解っているのに。 乱れた呼吸。静かに鳴り響く律動音。夜露に濡れた身体。漏れ伝わる嬌声に、欲や熱を乗せて――身体を重ねる事で感情を語り合い、この終わらない暗澹たる日々を謳う。 消えない痛み。右腕の傷口から溢れた血は、涙にも見えて。 けれど、彼がそれを余すことなく絡め取ってくれる。 苦痛も、気鬱も、翳りも、彼ならば……と、全てを委ね、彼女は視界を闇に預ける。その先に浮かぶ光は、いつだって黒に穢れた紅色をしていた。それが愛しくて、触れたくて、そっと伸ばした指先。 「隼人っ……」 「どうした?」 「もっと……、近くにっ……」 「はっ……これ以上かよ」 笑みと共に落とされた接吻。彼女は今日も今日とて、儚き幸福に抱かれ、夜明けを待つのだった。 END
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