14. 待つのに焦れて <side:シオン・エル・レイブン>

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14. 待つのに焦れて <side:シオン・エル・レイブン>

 その日、レイブン伯爵家の屋敷は、久しぶりに明るくにぎわった。  服を駄目にした弁償にと、ディルレクシアから服が届いた。  〈楽園〉御用達の仕立て屋が訪問したため、母が何事かと驚き、誰か分かると頬を赤くした。 「まあ、〈楽園〉御用達(ごようたし)の仕立て屋は、富豪でなければ相手にしないので有名なんですよ。ディルレクシア様からの贈り物ですって? なんてこと!」  母がこんなに楽しそうなのは、父を病気で亡くして以来かもしれない。  先祖が受け継いできたアンティークドレスと言えば聞こえが良いが、物は良い古着をまとっている母は、応接室に並べられた品にうっとりしている。 「新品を見たのはいつぶりかしら」  祖父が処刑された日から、両親は苦労続きだ。父は病死し、母はいつも疲れた顔をしている。  シオンは感激に浸るよりも、恐ろしかった。代金を請求されたら、まず払えない。 「失礼ですが、本当に支払いはいいので?」  シオンが仕立て屋に確認すると、母にも緊張が走る。仕立て屋のエイプリルは頷いた。 「もちろんでございますとも! 代金はすでに〈楽園〉からいただいておりますので」  それを聞いて、シオンはやっと心から安心した。 「ああ、そうでした。こちらはディルレクシア様からのお手紙でございます」  エイプリルが手を叩くと、使用人が銀盆にのせた手紙をうやうやしく差し出した。 「あの方にしては珍しく、ご直筆(じきひつ)だそうですよ。ふふっ、では、失礼いたしました」  エイプリルはバチンとウィンクをして、使用人を引き連れて帰っていった。どう見ても男なのに、仕草が女性的で、それが美しいと感じさせる不思議な人だった。母やレイブン家の使用人も毒気を抜かれて、ぽかんと見送る。 「なんだか変わった方でしたわね。それより、お手紙をごらんなさいな」  母だけでなく、使用人らも興味津々だ。  もしかしたら嫌味が書かれているかもと恐れながら手紙を開く。そこには、やわらかで美しい字が並んでいた。 『親愛なるレイブン卿  先日は、助けてくださって、どうもありがとうございました。  その際、あなたの服を駄目にしたことは、申し訳なく思っております。  お()びのつもりが、お似合いの服を選ぶのを楽しんでしまいました。あなたの時間を多く使いすぎたと反省しております。  届いた服を、あなたが少しでも気に入ってくだされば、うれしいのですが。  もしお心にかなうならば、次の謁見では、どれかを着てきていただけませんか。  きっと目を楽しませてくれるだろうと、とても楽しみです。  ディル』  けなすどころか、感じが良い手紙だ。  タルボの代筆かと思ったが、エイプリルが言うには、ディルレクシアの直筆だという。 (おかしいな。ディルレクシア様は悪筆だから、直筆では書かないという噂だったが)  普通はオメガについて、神官は噂などしない。  だが、ディルレクシアは神官相手でも態度が悪いので、陰口を叩く者はいた。彼がわがままで気難しい人なのは、神官の間では有名なのだ。  悪筆だというのは、中央棟を散策するうちに、シオンが自然と拾った噂だった。 (この間、病気をされてから、何かがおかしい)  反省したからと、ここまで性格が変わるものだろうか。  シオンには不思議だったが、便箋から花の香りがして、なぜだかドキッとする。 「あら、薔薇の香水ね。なんて美しい()かしら! さすがは〈楽園〉育ちの神の使徒は違うわね」  しびれを切らせて、横から手紙をのぞきこんだ母は、子どもみたいにはしゃぐ。 「あなたのおじいさまがああなってから、あなたには服一つ満足に買い与えられなかったわ。あなたがオメガと婚約すると言い出した時はどうしたものかしらと悩んだけれど、こんなふうに大事にしてくださるなら安心ね」 「母上、ディルレクシア様の気まぐれかと思います。気が早いですよ」 「でも、殿方は何も思わない相手に、こんな贈り物はしないわ。オメガでも、男でしょう? 下心がなければ、動かないものよ」  母は持論を口にして、シオンにかつを入れる。 「こうなったら、とことんがんばりなさい、シオン! やるだけやって駄目だったら、あきらめて夜逃げよ!」  それはどうなんだということを堂々と宣言し、母は手紙から離れ、服のほうへ舞い戻る。今度は侍女や下男(げなん)達と、服や宝飾品を眺めては、どれもシオンに似合うと騒ぎ始めた。  しばらくの間、シオンは家族にも着せ替え人形扱いされた。  服が届いてから数日しても、ディルレクシアからの呼び出しがない。  シオンは王立騎士団で勤めながら、知らせを待った。  シオンは貴族なので、近衛騎士になる資格はあったが、祖父の事件のせいで現王には嫌われている。  騎士の名門とはいえ、下部組織で、時に昼夜問わず働いていた。 (再会を約束してくださったのに、やはり気まぐれだったのだろうか)  心を落胆が占める。いつもは呼び出されると緊張したが、手紙を見ると、心惹かれる自分がいた。  こんなやわらかく美しい字を書く人だ。本性は優しいのかもしれない。今のところ分からないので、様子見するつもりだ。  それも謁見がなければ、どうしようもない。  ついには待つのに焦れて、休日に〈楽園〉を訪ねることにした。幸いにも、服のお礼を言うという建前がある。 (以前のように、図書室のあたりにいらっしゃらないかな)  婚約者候補でいるうちは、中央棟を自由に出入りできる。以前は好奇心で散策していたが、今回は少し下心があった。 (手紙で言われるままに、服を着て。できれば会いたいと、呼ばれもしないのに〈楽園〉まで来るなんて。まるで道化(どうけ)だな)  シオンの上司は、シオンがオメガの婚約者候補になったことが面白くないようだった。「わがままオメガに振り回されて、すれた雑巾みたいになってしまえ」と暴言を吐かれたことがある。  オメガの後ろ盾があれば、シオンがあっという間に出世して、上司すら追い越すことを危惧しているのだろうと、シオンは取り合わなかった。  だが、上司は喜ぶだろうことに、シオンはすでに振り回され始めている。  ひとまず受付で面会申請と用件を告げ、中央棟の散策に出ようと廊下を歩きだした時、たまたま近くで騒ぎ声がした。  薔薇棟から近い廊下だと気付いて、なんだか胸が騒ぐ。 (何もなければ、それでいい。とりあえず何があるのか確認して、それから散策しよう)  騎士の本分か、トラブルは確認せずにいられない。  そちらに向かい、いつかのようにアルフレッドともめているディルレクシアを見た瞬間、シオンは走り出していた。  アルフレッドを取り押さえると、神官兵がタルボの命令に従い、アルフレッドを地下牢に連れていく。  王家がペナルティーを科されるから止めたというのは、建前だ。シオンが王家に鬱屈した思いを抱えているのも少しはあるが、ディルレクシアがどう見てもアルフレッドを怖がっているので、助けねばと思った。  床にへたりこんで震えているディルレクシアは、か弱いオメガそのものだ。プライドが高く、助けられて当然という彼なら「遅い」とののしってもいいくらいだったが、シオンが差し出した手に弱弱しくつかまる様子は、深窓の姫君のようである。  あの森の王者のような猛獣はどこに消えたのだろうか。  シオンはけげんに思う。心の隅では警戒するのに、不思議と庇護欲がわく。  猛獣を手なずけるのを面白いとする男もいるだろうが、あいにくとシオンはその他大勢の男と同じく、かわいそうな者に弱かった。  アルフレッドに殴られ、口端を切って怪我をしているタルボが、シオンに礼を言う。 「レイブン卿、助かりました。ああ、私のディルレクシア様、お怪我はありませんか?」  私のディルレクシアという言葉に、シオンはぴくりと反応する。 (私の? どういうことだ。この二人は、実は恋人とか? 婚約者候補を選んでいながら、本命は傍仕えなのか?)  どうしても気になって、下世話なことだと自覚しつつも恐る恐る問う。 「失礼ですが、お二人は実は恋人同士では?」 「え?」 「ありません。ないない」  ディルレクシアは目を丸くし、タルボは鼻で笑った。 「しかし、今、『私のディルレクシア様』と」 「そうですよ。私のお仕えしている方なので。できれば兄だと思っていていただきたいところなんですが」  期待を込めて、タルボが横目にちらと見る。ディルレクシアは頷いた。 「ええ。タルボは兄のような存在で、保護者ですね」 「そうですか、安心いたしました」  シオンは頷いたが、この家族のような主従関係を色眼鏡で見てしまったことが、どうもバツが悪い。 「シオンはどうしてここに?」  さらに、ディルレクシアの問いにぎくりとする。  アルフレッドがストーカーのように待ち伏せしていて、こんな騒ぎを起こした直後だ。  シオンもまた、運が良ければ会えるかもという下心があったのは事実だから、アルフレッドを強く否定はできない。  シオンは釈明しようと、ぴしっと背筋を正した。 「ディルレクシア様は後日の再会をお話しくださいましたが、お呼びがないので……。服のお礼だけでも伝えたいと、面会申請をしたところです。私はその、せっかくの機会なので中央棟の散策をしていて……騒ぎが聞こえてたまたま」  ディルレクシアは納得したようだ。シオンの姿をまじまじと眺め、ひかえめな微笑みを浮かべて褒める。 「そうなんですか。よくお似合いですよ。あ、襟元が……」  ふいにディルレクシアがシオンのほうに手を伸ばして、タイの乱れを整えた。シオンを見上げてにっこりと笑う。 「はい、綺麗になりました」 「……!」  シオンは息を飲み、顔を赤くする。  まるで甲斐甲斐しい妻のような仕草だ。  こんなふうに見上げられて初めて、ディルレクシアの背がシオンより頭一つ分より低く、華奢な体躯をしていると気付いた。  彼はいつも王者の風格で、こちらを見下す側だった。体よりずっと大きく見えるように錯覚していたのだ。  しかし、今のディルレクシアは、たおやかな花のようである。  シオンが驚いたのを、ディルレクシアは不思議そうにして、なぜか慌て始めた。 「あっ、えっと、それでは。僕は用事があるので……」  シオンも気を取り直して、ディルレクシアが去る前に、目的を果たすことにした。服の礼だ。 「服について、ありがとうございました。お顔を拝見し、お礼を申し上げられて、光栄にございます」  シオンがお辞儀をすると、ディルレクシアは会釈をして、タルボとともに中央棟の奥へと歩きだす。  その背を見送り、シオンは口を手で覆って、自分の様子になんともいえない敗北感を覚えた。 「どうしてあの猛獣が、可憐な花に見えるんだ……?」  たった今、別れたばかりなのに、次はいつ会えるだろうかと考えて、自分自身に撃沈した。
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