完結編I

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 サグメの叫びで意識が覚醒する。夢にしてはやけに現実味は帯びているし、内容は重いしで目覚めは最悪だ。しまいには。 「っ!……ぁ!」  誰かに心臓を鷲掴みされているような痛みが消えない。裕昌の直感が、これは妖的なものだと訴える。 「やっぱり、昼間蛇に噛まれたのはまずかったかー……。私もまさか呪術とは思わなかったよ……」 「……っ、わかる。これの犯人、絶対性格悪い……!」  姿を現したサグメに、裕昌は痛みをこらえながら答える。  このタイミングで呪術とは、犯人は一人しか考えられない。しかも蛇ときた。  今、おそらく黒音たちが対峙しているであろう、大蛇に他ならない。  サグメは珍しく渋面を作る。 「私がアメノサグメそのものだったら良いんだけど、残念ながら受け継いでるのはその一部で、今は天邪鬼だし……」  ぶつぶつと何かを呟いているが、裕昌はその内容を聞き取る余裕もない。座布団を握る手に力が入る。  そうだ、自分は黒音たちが帰ってくるまでに夕食を作り、風呂を沸かせ、それが終わったから仮眠でも取ろうかな、と思って座布団を枕にしていたのだった。  そんなどうでもいいことを今更思い出す。 「っ、サグメ。これって、呪いをかけた本人を倒さないといけない奴か?」 「そうだよ。だから君は、何としてでも黒猫たちに倒してもらわなきゃいけない」 「じゃあ、俺を大蛇のいるところまで連れて行ってくれ」  分かった。と一つ頷いて、その言葉の意味を理解するとサグメは勢いよく裕昌を振り返った。 「はあっ!?君、何言ってるか分かってる!?」 「分かってる。でも、黒音たちに絶対倒してもらわなきゃならないなら、行かないと」  本当は黒音たちには心配を掛けたくない。だが、もしかするとこの事態にも勘づいているかもしれない。ならば、ひとまず生きていることを伝えに言った方が良いのではないか。  裕昌は、机の上に置いてあった羽織を手に取った。これを使うと激痛レベルの筋肉痛という代償が待っているのだが、今は使うに越したことはない。 「それ、下手したら彼らに死にゆく姿を見せることになるかもしれないけど。いいの?」 「……でも、会えずに死ぬのは、もっと嫌だ」  それを聞いたサグメははあ、と深く息を吐いた。 「これだから人間は……あーもう!どうなっても知らないからね」  サグメは裕昌に肩を貸す。何とか立ち上がることが出来た裕昌は、痛みをこらえながら足を進める。 「悪いけど、黒猫と違って私は非力なんだよね。速さは期待しないでくれる?」 「ああ。気持ちだけでもいい」  サグメは戸を開け、外の様子を伺った。まだ人の気配がある。裕昌の知り合いに会えば面倒なことになる。姿を隠すか。  神代の頃の術で裕昌の姿を隠す。 「っ、……何その術」 「アメノサグメはかつて巫女だったからね。妖怪として堕ちたけど。その名残みたいなもん」  裕昌は話しかけることで胸の痛みを紛らわす。そうでなければ歩くことすらままならない。時々ずり落ちそうになるのを、サグメは背負い直す。自分より一回り大きい成人男性を運ぶなんて軽々しく引き受けるもんじゃない、とぼやいていた。 「反逆の巫女、って呼ばれてたらしいけど」 「まあねー」 「俺、あんまり神話に詳しくないから、良かったらその時の話、聞きたい」 「……面白くないよ?サグメは「探り女」って字を貰っててね。高天原からの密偵だったってわけ。あの馬鹿ヒコが本当に任務を全うするかどうか、仕える巫女のふりして見張ってたんだ」  サグメの声が怒気を帯びる。裕昌は地雷を踏んでしまったかもしれない、と少しばかり後悔する。馬鹿ヒコ、とはおそらく天若日子の事だろう。 「地雷ふんだと思うなら最後まで聞いてよね」 「う、そうだった。人の心なんて見透かしてるんだった」  サグメはじと、と横目で裕昌を睨むと、再び語り出した。 「あいつは高天原から派遣されたってのに、葦原中国を自分のものにしてやろうとか考えてたんだよ。私は思ったんだよね。これは止めた方が良いなって。でも、話し合うだけじゃ収まらなさそうだった所に、使いの雉がやって来てさ。私は密偵として仕えているから、直接その事実を高天原に言うわけにもいかないし、ってかそんなことしたらばれるし。ちゃーんと神託を曲げずに言ったんだよ?『早く戻ってこいって言ってるよ』って。そしたらあいつ、雉を矢で射殺しちゃってさ。ほんと、馬鹿だよねー。結局、思金神が返した矢で死ぬし、私は高天原から裏切りの巫女だーっていって堕とされるし、ほんと最悪だったね」  ん?と裕昌は引っかかる。 「神託を曲げずに言った……?」 「そうだよ。神託なんてさ、聞いた人がどういう解釈をするかにゆだねられてると思うんだよね、私は。占いと一緒。早く戻ってこいと言ってるだけでさ、自分の思惑がばれたと思うのは、あいつ自身がそう感じたから。なのに、神託を告げた者の所為にするなんて、高天原の神のやり方かーって話。そういう思い込み、誤解、疑念が作ったのが、天探女の分霊を持った天邪鬼。それが私」  サグメの言葉を受けて、裕昌はぼそりと呟く。 「どういう解釈をするか……」  自分のことを、皆がどう思っているか。それを知ったところで建前かもしれないし、本音かもしれない。だが、所詮は普通の人間だ。サグメのように、人の心を読むことなんてできやしない。  だからこそ、彼らの言葉をどのように受け止めるか。それは裕昌自身に委ねられる権利であり、自由である。  今更、その事実に気が付いた。  一体、今まで自分は何に怯えていたのだろう。昔の記憶に囚われて、自分とは遠い人に囚われて。  あの記憶の中の人間はきっと、裕昌のことをどうとも思っていない。  それは興味がない、というわけではなく、ただ話題の人物が兄だっただけの事。  彼らの言葉を自分に向けられていると勘違いして、悲観的に解釈したのは裕昌自身。  そして、本当に裕昌のことを大切に思ってくれているのは、今隣に居る、大切な人たちだ。 「……ああ、そっか……」  不思議と、少しだけ胸の痛みが軽くなった気がする。  蟠りがすっと解けていくような感覚。 「やっと、気が付いた?」 「……うん。……痛かったなあ……」  裕昌は苦笑いを浮かべる。知らぬ間に、自分で自分を傷つけていた。 「自傷行為は愚か者のすることだよ。ほんと……馬鹿だよねえ」 「うん。馬鹿だった」  裕昌とサグメはしばらく互いに沈黙し、山道を登る。遠くで剣戟の音が聞こえる。
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