冷命打壊

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冷命打壊

 我々は裁きを待つ羊の群れだ。誰かがこの首を刎ねてくれる事を期待している。自ら頚椎を押し潰す勇気はなく、たった一歩の跳躍に思いを馳せる事もままならない。  だからこそ、この世界は生まれたのだ。遅かれ早かれ、文明は滅んでゆくものだ。二千年ものあいだ、我々は文明を維持してきた。それだけで万々歳ではないか。  人類というサイクルは、その耐用年数をとうに超え擦り切れた残骸だ。突貫工事の連続で何とかやりくりしてきた歴史の果てが、醜く足掻く血塗れの地下室というのは、余りにも出来すぎた話だろう。  僕は考える。これはきっと、神が誰かに囁いたのだと。  こんなにも優れたシステムを生み出した奴は、きっと頭がおかしいか神の使いかのどちらかだ。僕はこのシステムを心から尊敬している。  だからこの鎚を振り下ろすことに、一切の躊躇を持たない。  かあん、と甲高い音が響いて、そして止んだ。強張った肩がふっと解けるのを見て、僕は微笑みかけた。 「お疲れ様でした。成功です」 「ああ、ありがとうございます。本当だ、全然痛くなかった……」  右足の小指からは赤黒い血がぷくぷくと溢れ出しており、僕は落ち着いた手付きでガーゼを添えさせた。  痛みは限りなくゼロに近づけられても、生理的反応まではコントロール出来ない。  地面に落ちたを拾い上げ、駆け寄ってきたアシスタントに手渡した。出来るだけ綺麗に、かつ鮮度を確保できる形で保存しなければならないからだ。あれは一度洗浄され、抗酸化コーティングを施された後に専用のケースに収めて依頼者の元へ戻る。  まるで結婚指輪のように大切に扱われるそれは。  、爪である。  手足に生えるそれらが、ニ〇四五年における唯一価値のある金銭なのだ。  ことの始まりはニ〇ニ三年まで遡る。当時の地球では天災やらテロリズムやらウイルスやら、次から次へと頭を悩ませる苦難が降り注いでいた。  そのどれもが人類を絶滅しかねない脅威であるのは明白だった。しかし人類を殺せる方法は何もたった三つとは限らない。更にもう一つ、よりどうしようもなくてより即効性のある第四の絶滅兵器が発見された。  それは紛れもない、人災というやつだ。  人口増加率が右肩上がりを続ける中で、偉い人から凡庸な一般人まで、誰一人としてその代償について考えていなかったのだ。  世界での年間ゴミ排出量は二十億トンを超えたにも関わらず、それらを正しくリサイクルし「純粋なゴミ」にせずに済んだのはそのうちの僅か三十パーセントだ。発展途上国に至っては五パーセントにも満たない。  溢れかえるゴミは燃やしたり埋め立てたりとあの手この手で無くそうとするけれど、その消費量はとどまるところを知らない。  それだけならまだ良い。多くの企業は環境的な生産方法を無視できないし、ペットボトルをアルミ缶に変えるだけでプラスチックゴミの大部分が削減出来る。やろうと思いさえすればすぐにでも改善できる点は多くあった。  問題は消費を生み出すコミュニティにあった。  ゴミの排出量を超える勢いで消費されているのが通信(トラフィック)だ。人々は家にいながらにしてマクドナルドのハンバーガーを注文できるし、名前も知らない誰かと交流できる。  その手軽さゆえ、コミュニティの形はどんどんと消費もとい浪費され、インスタントな消費とインスタントな対人関係を築き上げた。  ゴミが増えるのと同じように、ジャンキーな人格がネットワーク上に大量発生した。つまり、誰彼かまわず刃物を振りかざすような野蛮人が当たり前に存在していた。  子供の頃にハリー・ポッターを読まなかった子供は、大人になってもホウキが空を飛ぶアイテムになるという空想を獲得出来ない。想像力を養わずに生きた人間は、客観視という機能を持たずに振る舞う。  自らが傷つけられる事には敏感だというのに、誰かを傷つける事には何の抵抗も持たない。何故なら自らの痛みが他者にも同じように起こるものだと考えないからだ。  そんな想像力の欠如が、「コーラを一本我慢するだけで地球がプラスチックの海に沈まずに済む」という単純な答えを目隠しする。  氏名住所という防壁を、見えない誰かが壊そうとする。壊れた隙間にみんなで手を突っ込んで引っ掻き回す。たったそれだけの児戯が人を殺せる。  一万件の共犯(リツイート)で誰かが自殺した時、一万人の殺人犯を検挙出来ない。それが文明の限界だった。  その野蛮なコミュニケーションを打破するため、「文化制限法」が可決された。  どこの誰が考えたのかは公表されなかった。無論逆恨みを食らうからだ。とにかくどこかの誰かがそれを思いつき、不特定多数の有権者により採用された。  法律はいたって単純で、どんな馬鹿にも分かるものだった。 「今後、生活必需品を除くあらゆる消費物に貨幣は使わない」  二千年以上続いた貨幣取引は終わりを迎えた。ではどうやってモノのやり取りを行うかというと、コインや紙幣の代わりに肉体を使うと決めたのだ。  人体に置いて、何度失おうが必ず生えてくるものがある。髪の毛よりも少なくて、骨よりも手軽な部位。そう、爪だ。  ニ〇ニ三年以降、特定の贅沢を行うには爪を剥がして献上するという儀式が義務付けられた。  爪の剥がし方は自由だ。自分でやってもいいし、誰かに頼んでもいい。  毎日必要最低限の食料や生理用品は配給制となり、スターバックスのコーヒーからロレックスの腕時計まで、それらは全て贅沢品と見なされた。
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