竜胆

1/1
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
私のお母さんはとても美しい人でした。絹のようになめらかでつやつやとした黒い髪をしていて、大きな瞳はまるで黒真珠のようでした。おとぎばなしにでてくるお姫様のようだと幼いながらに誇らしかったものです。私はお母さんのどんな表情も大好きでした。優しい人でしたから、怒った顔は見たことがありませんでしたが、笑った顔、微笑みを浮かべている顔、喜んでいる顔、楽しそうな顔……。そんな表情の中でも私が一番好きだったのはお母さんの悲しそうな顔でした。 あの大きな黒真珠のような瞳からハラハラと涙が落ちていく様子が本当に美しかったのです。真珠から真珠が生まれ落ちていくような美しさでした。お母さんの悲しそうな顔が好きだなんてとんでもない子どもかもしれませんね。私は物心つくころにはすっかりそのことが罪深いということを知っていました。自分の胸がチクチクと痛むからです。けれどもお母さんの悲しそうな顔は私を愛しんでいたからこそだと思っていたので嬉しかったのです。私はとても病気がちで怪我をも多い子どもでした。私が病気になったり、怪我をするたびにお母さんは悲しそうに泣くのです。 「葵ちゃん、こんなにお熱が出てかわいそう」 「葵ちゃん、痛くて寝られないなんてかわいそう」 そう言って悲しそうにハラハラと涙を落としながら、柔らかな白い手をベッドで寝ている私の額の上に乗せてくれるのです。その時の幸福な気持ちは今でも言葉に言い表すことができません。お母さんとずっと一緒にいられれば幸せだと思っていました。 そんな私の幸せは私が小学校に上がる前に終わってしまいました。ある時家に黒い車がやってきてお母さんを乗せて行ってしまいました。家で週に一度顔を見ることがあるかないかのお父さんが私を抱きしめてこう言いました。 「葵、お母さんはね、病気なんだ」 私には意味がさっぱり分かりませんでした。お母さんはとても元気そうだったのに。それに私に何も言わずにどこかに行ってしまうなどということがあるのでしょうか? 私はお父さんの手を振り払い、お母さんを乗せた車の向かった方へ走り出しました。けれども、車は影も形もありませんでした。私はそれきり二度とお母さんに会うことはありませんでした。 小学校に上がってしばらくたったころ、お父さんは新しい奥さんを家に連れてきました。お母さんが大好きだった私にとっては衝撃的な事件でした。お父さんも私の周りにいたどんな大人もお母さんがあれからどうしているのかを私に教えてはくれませんでした。私はすっかり、諦めることを覚えてしまっていました。 お父さんの新しい奥さんはもの静かだったお母さんとは違って明るくて快活でした。そして親切でした。子どもというものはとても残酷なものです。私はいとも簡単にこのお父さんの新しい奥さんに懐きました。でもお母さんとはどうしても呼べなくて「ママ」と呼ぶことにしました。一つだけとても気になることがありました。ママは私が熱を出したり具合が悪くなったりしても泣きませんでした。私にはそれが少し不満でした。けれども、ママはママハハだから仕方がないことなのかもしれないと思ったのです。 私はお母さんを時々思い出して悲しい気持ちになりながらも健やかに成長しました。あれほど病気がちで入退院を繰り返したり、怪我をしてギプスをしたり手術をしたりしていたのが信じられないほどでした。高校生になったときふと玄関の鏡に映る自分にぎくりとしました。自分がとても「お母さん」によく似ていると気づいたのです。 そして、そのことがどうしてだかとても怖かった。鏡に映る私は本当はお母さんだったのではないかと思えたのです。あんなに大好きだったお母さんのことを怖いと思ってしまった自分が不思議でなりませんでしたが、お母さんのことを忘れてしまったかのような生活をしている自分の罪悪感生み出した恐怖なのかしれないなと思いました。 高校生になっても誰もお母さんが今どうしているかを教えてくれませんでした。 やがて私は大学生になり、社会人になり、そして、結婚をして子どもを産みました。私もお母さんと同じように娘を産みました。安産で元気な産ぶ声をあげたのも束の間、娘には心臓に障害がありました。産後まもなくそのことを医師から聞かされたとき、私は病院のトイレで嗚咽をあげながら泣きました。やっと肩でゆっくりと呼吸ができるようになったころ、ふとトイレの鏡に映る自分が見えました。どうして自分がお母さんに少しでも似ていると思ったのでしょう? 私の顔は目と鼻は真っ赤で行く筋もいく筋も涙の跡がついていて鼻水まででていました。 私の知っているお母さんの悲しい顔とはかけ離れていました。気分が悪くなった私はトイレを出て夫に慰めをもとめました。 娘の病気は本当に深刻で、幾度となく苦しそうにしていました。本当にかわいそうでしたが、私は娘の前では決して泣きませんでした。いいえ、泣くことができなかったのです。けれどもお母さんがしてくれたように、娘の額にそっと手を置きました。深刻な病気でしたが娘は幾度かの手術を受けて一命を取り止め元気になりました。そして、それと同時に私はまるで呪いが解けたかのようにあることを思いだしました。 娘を夫に頼みある日私は生まれ育った家に帰りました。呪いが解けてしまった今、大きな家の色んな場所が怖かったことを思いだしました。そして、今まで一度もお母さんのことを尋ねたことのない人に尋ねてみたのです。 「ねえ、ママ。私のお母さんは、もしかして私のことを虐待していた?」 ママは私のために入れようとしていた紅茶のティーポットをティーカップの上に落としました。陶磁器はカン高い音をたてて砕けました。 「あなたのお母さんは病気だったのよ」 ママは最初にお父さんが言ったことと同じことを言いました。そして、すべてを話してくれました。 私のお母さんは代理ミュンヒハウゼン症候群だったそうです。病気や怪我をした私を看病することで注目されたり同情されたりすることがお母さんには必要だったのです。だから、私はいつも病人か、怪我人でなければなりませんでした。飲むと何故だか具合の悪くなるスープのこと。何故か食事に含まれていた除去されているはずのアレルゲンのこと。そして、突き飛ばされた階段や大理石の床のことを思い出しました。 「葵ちゃんはお母さんにされた悪いことを何も知らなかったから、お父さんと相談して何も言わないことに決めたの。葵ちゃんはお母さんのことが大好きだったでしょう? そのまま大好きでいた方が幸せだろうと思ったの。どうして気づいてしまったの?」 ママにそう言われて私は恐る恐るこう言ったのです。 「私はあんな風に泣けなかったの」 ママはなんのことか分からないようでしたが、子どものように泣きじゃくる私を抱きしめてくれました。 私はお母さんに確かに似ています。でも私の黒い瞳からはどんなに悲しいことがあっても真珠は生まれなかったのです。きっとこれからもずっとそうでしょう。 竜胆(りんどう)の花言葉を知った時に私の胸は締め付けられました。 「悲しんでいるときのあなたが好き」 まるで自分のことのようです。けれども悲しんでいるのは本当にお母さんだったのでしょうか?「悲しんでいるときのあなたが好き」だったのは本当は私ではなくお母さんだったのかもしれません。 そして、お母さんの悲しい顔が好きだった私はひっそりとお母さんの罪に加担していたのでしょう。お母さんは黒い車に乗ってから一年後に亡くなったそうです。病気ということでしたが、本当のことはきっとお母さんにしか分からないのだと思います。 私の幸福だった幼い日の記憶は虚構だったのかもしれません。けれどもあの白くて柔らかい手が額に乗せられたときに味わった多幸感は本物だったと思うのです。たとえハラハラと落ちてくるあの美しい真珠が私のためでなかったのだとしても、あの幸福は私だけのものに違いはないのです。 了
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!