私のものに、なって

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豊海は2011年3月11日に消えた。 地面が揺れることよりも、 その後に押し寄せる津波の方が怖いんだって思い知らされた時だった。 俺は戦後の焼け野原みたいに、 残骸だらけの街を探し回っていた。 「豊海」って名前を叫んで返事を期待していた。 「もうやめて」 泣きながら俺の袖を付かんだのは、 豊海のお母さんだった。 俺は72時間が過ぎても、 1週間経っても叫び続けていた。 遺体が見つかっていないから、 生きているかもしれない。 記憶を失っているから、 名乗りでないのかもしれない。 どこかで保護されて生きている。 そんなドラマみたいな希望に囚われていた。 そして3ヶ月経った。 俺はメキシコの地で、 夢へと続く通過点を辿っている。 青色のユニフォームに刺繍された 日本国旗を胸に、 11人の仲間たちと芝生のグラウンドに立つ。 17歳以下の子供たちがサッカー世界一を争うワールドカップだった。 「被災した人たちの為に戦おう」 試合前に必ずロッカールームで監督が叫んだ。 レギュラー以外のベンチメンバーもスタッフも全員で、部屋一杯の大きな円陣を組んだ。 監督が高ぶらせようと叫ぶ締めの文句に、 俺は苛立っていた。 17歳の若者の勝敗で、 被災者の生活が変わるわけがないからだ。 喜んでくれるのは、 身内か一部のサッカーマニアだけ。 そもそも死んだ人間に声なんて届かない、 、、。 それは無意識に沸いてきた。 ぽつりと頭に君の悲しげな姿が浮かんだ。 君はまだ見つかっていないのに、 諦めの気持ちが芽生えていたことに動揺した。 それで俺のプレーはおかしくなった。 俺はアジア大会を得点王となって、 チームのエースとして大会に挑んだ。 ポジションはチームの最前線に立つFWで、 仲間たちが最後尾から繋いだボールの終着地点にいた。 ゴール付近に留まることを定められ、 サイドへ逃げることを禁じられた。 守備に下がることも、 ボールを受けるために中盤へ下りてくることも禁じられた。 それは日本が渇望し続けてきた生粋のストライカーの姿だった。 監督、ひいては日本サッカー協会が俺に期待していた。 そんな俺の初戦はゴールを奪うどころか、 1本のシュートすら打つことが出来ずに終わった。 最前線で陣取っておきながら、 ボールを収めたところで吹き飛ばされ、 裏へ走り抜ければオフサイドを取られる。 フリーで送られてきたボールを空振りした。 会場のため息が俺の両肩に、 重石のようにのし掛かかり、 さらに出足が鈍くなっていった。 試合を重ねるごとに、 出場時間は短くされて、 3試合目で先発すら外れてしまった。 それでも監督の声で一丸となったチームは、 破竹の勢いでグループリーグを突破した。 トーナメント方式へ切り替わった第4戦は、 ベンチからキックオフを見届けた。 一番端っこに座って、 肘を付きながら、 ここに何をしにきたのかと自分に問いかけた。 活躍して、 ニュースに取り上げられて、 どこかで生きているはずの君に届けること。 それがきっかけとなって、 記憶を取り戻してくれるかもしれない、、、。 そんなことを本気で思えたのは、 埋め立て地みたいになった街を見る前までだった。 あの日、あの場所で瞼を閉じて、 暗闇の中に見た願望は、 開いた瞳に映るガレキの残骸によって目覚めさせられた。 それからずっと、現実から目を背けてきた。 俺は本気で君を愛していたからだ。 豊海は本当に欲張りな子だった。 誕生日に何が欲しいかって尋ねたら、 両手の指だけでは、 数えきれないほど候補を挙げるのだ。 毎度、自分でひとつに絞れなくて、 決定権を俺に委ねていた。 大人にはなりたくないと言いながら、 結婚はしたくて、 子供は5人くらいは欲しいけど、 新婚生活も満喫したい。 そんなことを中学生から口笛を吹くように語っていた。 僕たちの地元は、 宮城県の東部の田舎町にあった。 田んぼだらけで、 デートスポットと呼べる場所は、 ガラの悪い連中のたまり場だった。 二人きりになれる場所を探して、 行きついたのは実家の裏山だった。 30分も歩けば山頂で、 整備された訳じゃないのに、 お城でも建てられそうな平地になっていた。 そこは春になれば、 シロツメクサが1面に広がって、 雪山のように真っ白になる。 僕たちは二人きりになるために通っていた。 豊海が手を引いて、俺を急かした。 俺は面倒くさそうなフリして文句を呟いて、 山頂が見え始めた途端に走り出す。 そのまま一番乗りでシロツメクサの上に寝転がると、 豊海はズルいって言いながら後を追ってきて、 俺の隣に寝転がる。 「次は1年後だね」 豊海が寂しそうに言ったのは、 俺がサッカー選手になるために、 地元を離れ、東京へ旅立っていたからだった。 豊海にその決断を伝えたのは2年前、 この場所で、何もかもが決まった後だった。 豊海には地元の高校に通うって嘘をついていた。 本当のことを教えたら、 東京へ行くって言い出しただろう。 どうせ傷つけるなら、ギリギリの方が良いと思った。 豊海は寝転がった俺の胸に顔を埋めて泣き出した。 嘘つきだって言って、俺の胸をか細い腕で叩いた。 俺は豊海が泣きつかれるまで、 黙って聞き入れて、 豊海の頭を撫でるように手を置いた。 冷静でいられるのは、 理解してくれるのを知っていたからだ。 泣き疲れた豊海は、 ツクシみたいに凛と立つと、 一人でつかつかと歩き出した。 俺から少し離れたところに、 ちょこんと腰を下ろして背中を向ける。 拗ねている時の恒例で、 もうすぐ許してくれる証拠だった。 俺も立ち上がって、 だるまさんが転んだみたいに、ゆっくり近寄った。 「浮気したら殴るからね」 「しないよ」 「女の子と二人きりになるのも浮気だよ」 「ならないよ」 「3秒以上目を合わせてもダメだよ」 「わかったよ」 「可愛いなって思ってもダメだからね」 俺は笑った。 豊海の後ろに座って、 パズルがはまるように抱き締めた。 「豊海以上に可愛い子なんているわけない」 「当たり前じゃん」 豊海はシロツメクサを抜き取った。 「これの花言葉知ってる?」 「約束だろ」 「じゃあ、これは?」 豊海は四つ葉のクローバーを手にした。 「幸運」 「正解だけど、不正解」 豊海は悪戯っぽく笑って、 四つ葉のクローバーを俺の手に握らせた。 「どういうこと?」 「私らしくないってこと」 豊海は得意気な顔で振り返って、 俺のポケットからスマホを抜き取った。 そのまま自分で四つ葉のクローバーで検索すると、 幸運以外にもいくつか花言葉が並んぶ画面をしばらくスクロールして手を止めた。 俺は笑ってしまった。 豊海にぴったりの花言葉をみつけた。 「私のものになって」 その日僕たちは、結婚を誓い合った。 真っ白なシロツメクサの上に、 俺が押し倒されて、 欲張りな豊海が上になった。 世界一のサッカー選手の奥さんになりたいって言った。 俺はシロツメクサを豊海に、 豊海は四つ葉のクローバーを俺に手渡した。 最後に誓いのキスもした。 豊海が姿を消すなんて知らずに。 今でも渡されたクローバーは、 枯れることなく青々としていた。 それはスマホカバーに挟んでいて、 メキシコにも持ち込んでいた。 俺は準決勝の直前の朝にクローバーを眺めながら、 力をくれって呼び掛けていた。 すると、部屋のドアがノックされて、 監督が顔を出した。 持っていた電話を差し出され、 相手は国際電話で繋がった母親からだった。 わざわざ監督に掛けてきたのは、 俺が母親からの電話を無視していたからだ。 監督から直接代わってもらうと、 一言目で何で出ないのかと怒鳴られた。 母親とは日本を出る前からケンカをしていた。 いつまでも豊海の死を受け入れない俺に、優しい言葉で諭すタイプじゃない。 漁師の娘として育てられ、 男の女々しい姿が気に入らないのだ。 「豊ちゃんの遺留品が見つかったぞ」 母親の言葉が震えていた。 俺は瞼を閉じると、 真っ暗な世界に豊海の姿がありありと浮かんだ。 世界一のサッカー選手の奥さんになりたいって言ったあの時の姿だった。 「何が見つかったの?」 「片方の靴だけ」 「どんなやつ?」 「藍色のパンプスだよ」 俺の脳裏に浮かんだのが、 去年の誕生日にプレゼントしたパンプスだった。 豊海は東京で履くんだって喜んでくれていた。 原宿に行って、クレープを食べて、スカウトされるんだって浮かれていた。 世界一のサッカー選手の奥さんになるから、断るんだって、俺の腕に絡み付いてきた。 「間違いないの?」 「間違いよ。裏山で見つかったから」 「なんでそんなところに」 「豊ちゃん、よく一人で登っていたんだよ」 「なんでだよ」 「わかるでしょ」 「、、、」 「今は消防団が探してくれている。豊ちゃん見つかるのは時間の問題だぞ。いい加減覚悟を決めろよ。チームに迷惑を掛けるなよ」 「わかってるよ」 精一杯の強がりで電話を切ると、 監督が肩に手を置いてくれた。 そして、 「今日は先発で使う」 俺の状況を知ったから決断したのか、 そもそも先発で使うつもりなのかはわからない。 監督は選手との会話を欠かさなくて、 プライベートまで相談に乗ってくれていた。 やっぱり憐れみからの決断なのか、 いや、監督は試合が終わる度に声が枯れてしまうほど熱い人、 憐れみや同情はあり得ない。 どん底だからこその底力を期待してくれていたのかもしれない。 試合前のロッカールームで、いつものように円陣を組んだ。 監督が叫んだ。 「被災地のために戦おう」 言い終えた監督は俺を見ていた。 俺は自分自身のために叫んだ。 「被災地のために戦おう」 これ以上、仲間たちの足を引っ張る訳にはいかない。 戦う理由なんてなりふりかまっていられない。 闘争心で満たして奮い起たせた。 だけど相手はブラジルで、戦前の予想通り試合は圧倒された。 前半だけで2ゴールを奪われ、 俺は最前線で空回り、 何を叫んだって心と体のバランスがとれていない。 それでも最後尾から繋がった数少ないパスの終着点は俺のまま変わらない。 みんなが期待してくれている。 「下がるな」「前にいろ」「俺たちを信じろ」 一回り体の大きな相手にボールを支配され、 仲間たちがやっと奪っても、すぐに奪い返された。 芝生に尻餅をついて、 華麗に抜き去る相手の引き立て役になっても、仲間たちは歯を食い縛って立ち上がっていた。 その度に歓声が上がり、 ユニフォームを屈辱で汚す仲間を ポツンと一人で眺めることしか出来ない自分が腹ただしかった。 本当に待っていていいのか、 これが勝利へ繋がる決断なのか、 答えを見いだせずに立ち尽くしていると、 ようやくベンチが動いた。 自分が交代だって思ったけれど、 監督は俺をグラウンドに残した。 新たにドリブラーの二人を投入し、 パスサッカーを標榜していたスタイルを捨てて、個人技の強引な突破に勝機を見出だした。  仲間は奪ったら盲目的に前へ蹴りだす。 そんな意図のない五分五分のボールを、 投入されたばかりのドリブラーが争った。 相手に体をぶつけて、 倒されまいと相手のユニフォームを掴んで離さない。 審判に笛を吹かれ、イエローカードを提示されても退くわけにもいなかない。 みんなが戦っているなかで、 俺は相変わらず、ゴール前へ走り出し、 決定的なパスが来るのを待っていた。 すると残り10分を切った中で、 ブラジルがチャンスをものにした。 三点目を決められた。 試合を決めるゴールだった。 ブラジルの選手はコーナーへ集まって、 宴のようにサンバを踊った。 それは客席へ伝播して、 会場全体がカーニバルのように賑わいだ。 日本選手は下を向いて、 落胆のため息ばかりが口からこぼれ落ちる。 俺たちはここまで引き分けを1つ挟んでの三連勝で勝ち上がってきた。 フランスやアルゼンチンの格上相手にも負けなかった。 自分たちが強いと確信を持って挑んだなかで、 現実を突きつけられた。 「俺たちは強くはない」 言葉で突きつけられた訳ではないが、 肌で感じた真実だった。 自分たちの思い上がりにうちひしがれるのは避けようもないだろう。 それでも俺が冷静に受け止められたのは、 ここまで戦力になっていなかったからかもしれない。 そして強くはないという真実とともに、 それでも勝ち上がってきた事実に気づいて顔を上げた。 俺は仲間に声を掛けた。 円陣を組もうと仲間を集めた。 何を言うかは決まりきっていた。 「被災地のために戦おう」  仲間たちは顔を上げた。 自分たちが強いか弱いかなんて関係ない。 負けたとしても命を失うわけじゃない。 俺たちの胸には日の丸があって、 被災された人たちが見ているかもしれないのだ。 たかだかゴールを三度奪われた程度で絶望するわけにはいかない。 俺たちは闘わなければいけない。 とはいえ、俺にはたった一人で試合をひっくり返すような実力がない。 待っていてもボールは来ない。 ならば答えは単純だった。 俺は走った。 チームのバランスなんて考えない。 エースストライカーなんて理想像を脱ぎ捨てた。 行こうぜって声を出して、 諦めるなって仲間の背中を叩いた。 届くか、届かないかなんて関係なくボールを追って、しがみつくように足を伸ばした。 もはや失点なんて恐れる必要なくて、 チームは前へ前へと津波のよう押し上げた。 相手がミスを誘発して、 ルーズボールを拾って、日本がゴールを奪った。 立て続けに二点目も相手のミスからゴールを奪った。 すると、 会場に日本コールがこだました。 日本人じゃない、メキシコ人の声だった。 ハポン、ハポンと手拍子で背中を押してくれる。 とにかく懸命に走った。 ドリブルで交わされても、諦めずに足を伸ばすと、観客が拍手で讃えてくれた。 「あと一点!」 仲間から声が上がる。 「下りてくるな」 「ゴール前にいろ」 「後ろの守備は俺たちに任せろ」 仲間が俺の背中を押して、 前線へ送り出してくれた。 まだ俺はノーゴールだった。 俺は最前線で相手DFと駆け引きして、 パスが出てこなくても走り出した。 届かないパスだってわかっていても走った。 圧倒的な体格差とわかっても、 体をぶつけて闘った。 提示されたロスタイムは3分で、 審判は腕時計を見始めていた。 メキシコの青空にボールが打ち上げられた。 俺は所有権のないボールに走り出すと、 相手DFと交錯して共に倒れ込んだ。 そこはペナルティーエリア内で、 敵のファールならば、PKを与える。 審判が笛を吹いた。 天に向けて指差すと、 もう一度笛を鳴らしてピッチ中央を指差した。 さらに3度目の笛を吹いた。 俺たちは膝をついて、 相手は神様に感謝を告げていた。 観客は勝者のブラジルではなく、 敗者の日本を讃えてくれた。 いつまでもハポン、ハポンの声が会場をこだました。 結局俺は、まともなシュートを一本も打てずに、試合が終わってしまった。 帰国すると、寄り道せずに地元へ帰った。 最寄り駅には、 お祭りみたいに人が集まっている。 出迎えてくれた人々の言葉は、 「おめでとう」ではなく、 「ありがとう」だった。 日本国旗を振って、 泣いている人もいた。 話したことも見たこともない、 言ってしまえば無関係な人ばかりだった。 「急ぐから」 迎えに来た母親に言われ、 車に乗り込んだ。 母親は黙り込んだまま運転していた。 何をためらって言わないのかは、 曇りがかった顔を見ればわかる。 母親は実家とは別の道へと、 ハンドルをきった。 長い煙突から真っ白な煙が立ち昇る光景が見えてきた。          おわり
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