story6.Bay of Love

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5月17日(Thu)  月曜日の拉致事件から2日間、自宅で休養していた美月は今日から職場に復帰した。暖かく迎え入れてくれる上司の安藤部長や新見千鶴、同僚達も美月の心中を察して気遣ってくれた。  事件を起こした池田は解雇になる前に自分から退職を申し出た。池田が使っていたデスクに彼の荷物はなく、池田大夢という新入社員がいたことすら抹消されてしまったかのように、ブルーミングハウスから池田の存在は跡形もなく消えていた。  それでも池田に関する噂話は広まっている。 池田がプライベートで使っていた非公開SNSのアカウントがネット掲示板で晒されている。 プライベートの非公開SNSの内容なんて、SNSの閲覧を許可されている一部の人間にしか共有できない内容のはずだ。それがネット掲示板に晒されたということは、池田が閲覧を許可していたフォロワーの誰かが今回の事件をきっかけにして池田を晒し者にしたのだ。  美月は警察に被害届は出したが、プライベートの非公開SNSの内容を晒されたあげくに誹謗中傷される池田には少々同情する。 ネットに美月の名前は一言も出ていないらしいが、〈池田が同僚の既婚女性を拉致監禁〉を(さかな)にしてネットで好き勝手に盛り上がられるのは当事者として気分のいいものではなかった。  午前中の業務を終えて美月は屋上庭園に向かった。屋上には麻子、薫、鈴川、亀山のいつもの同期達がいる。ここにいないのは池田だけだ。 屋上庭園のテーブルを五人で囲んでのランチタイム。美月は薫の隣に腰を降ろした。 「怪我、平気?」 「うん。打ち身とかすり傷だけだからもう大丈夫」 麻子の隣には鈴川がいる。二人が両思いになったことは火曜日に送られた麻子からのメールで報告を受けていた。 『池田ちゃんと同じ大学でサークルの先輩だった人が営業部にいてさ。その人に聞いた話だけど池田ちゃん大学時代の彼女を怪我させて警察沙汰になったらしい。別れ話がこじれてキレた池田ちゃんが彼女を殴っちゃったとか』 「哲平がもうちょっと早くその情報仕入れてたら良かったのにね。哲平もカメヤマンも池田くんのヤバい感じには気付いていたんだから」 麻子が鈴川を下の名前で呼ぶのも自然な流れになっている。鈴川は面目なく口を尖らせた。 『俺だって池田ちゃんには裏表ありそうとは思っててもまさかこんなことやらかすとは……ねぇ、カメヤマン?』 『まぁ……。でも池田は危ないとは思ってた。キレやすいって言うか、ひとつ気に入らないことがあると不機嫌になるタイプだろ』 「私は全然気付かなかったなー。美月ちゃんへの態度があからさまなのは感じてても、爽やか好青年のイメージで池田くんのこと見てたもん」 「そうそう、私も。人は見かけによらないね」 薫の言葉に麻子が頷く。美月も池田の裏の顔に気付けなかった。亀山から忠告を受けていたのにその危険信号を見落としてしまっていた。 「私も無用心だった。池田くんには気を付けろって亀山くんに言われた時にちゃんとその意味を考えれば良かったんだよね。皆に心配かけてごめんなさい」 「美月ちゃんは何も悪くないよっ! 本当に無事で良かった」 「うん。お帰りなさい!」  謝る美月の頭をポンポンと薫が撫で、続いて麻子が美月にハグをする。鈴川と亀山の視線も優しかった。 『梅雨入りする前に皆でバーベキューしない?』 「賛成! 哲平、バーベキュー企画担当よろしくぅ!」 鈴川の提案に麻子が賛成の挙手をした。このカップルもなんだかんだで上手く行きそうだ。  人に表と裏があるのなら、きっと愛にも表と裏がある。 愛は人を癒し、慰め、慈しみ、生きる希望を与えるけれど、歪んだ愛は狂気と化して、憎み、恨み、傷付け、絶望の闇に突き落とす。  すべては愛、故に。 story6.Bay of Love END →story7.刹那主義シンドローム に続く
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