佐々木悠介の支

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佐々木悠介の支

 恋人とのやりとりは、相手が塩対応でも照れ隠しだってわかっていればわりと楽しい。オレの好きなひとの場合は、ツンデレっていうよりクーデレ?かなって思うけど。  梅雨入りの頃に出会った前嶋優は、綺麗で、背が高くて、首筋のほくろがエロくて、とびっきり優しくて、男前だ。一目惚れみたいなものだったけど、優のいいとこは顔だけじゃなくて心も綺麗なとこだった。  「楽しそうだね。彼女?」 「ん?まーそんなとこ。あーかわいい……早く放課後になんないかな」  クラスメイトの仲原央が、窓際のオレの机のそばに来て話しかけて来た。彼女、ではないけど、恋人だから当たらずしも遠からず、嘘じゃないだろう。  期末テストも終わって、あとは冬休みを待つばかりの十二月中旬。そろそろ付き合って三ヶ月になる。ようやく幸せでニヤける顔をごまかせるようになってきたと思ってたけど、まだまだ修行が足りないらしい。  想像以上にストレートなデレを見せてくれるから、痕跡が残るスマホをいつまでも眺めてしまう。 「……ない」 「ん?」 「聞いてない!彼女⁉︎いつから⁉︎」 「え、何その食いつき」 「いつから!」 「んー?文化祭?」  今までこんな必死の形相の仲原を見たことがあったろうか。いや、ない。  仲原は、ぱっと見かわいい。見た目はほとんど女子だ。ネクタイをリボン結びにしてしょっちゅう生活指導に注意されている。女子曰く、男の娘ってやつらしい。  本人もかわいい自覚があって、洗顔フォームやら化粧水やら、色々気にしているようで、女子に混ざって情報収集、実践しているらしい。所作だって、普通の男子高校生みたいなガサツさはない。汚くない言葉遣いとか、柔らかい印象の動き方とか、そういう育てられ方をした優ほどじゃないけど、おとなしい。  だから、こんなに前のめりで問い詰められるとは思ってもなかった。 「どこの馬の骨⁉あっ、まさか後藤ちゃんじゃないよね⁉︎」 「なんで目の前にいるのにメッセして背後からかわいいとか言われなきゃいけないのよ。虚し過ぎるでしょそんな恋人。ていうかそれ妄想でしょ」 「え?妄想なの?」 「や、翼じゃないし。妄想でもないし」  俺の前の席で次の授業の準備をしていた後藤翼が呆れ顔で振り返ってくる。  仲原は、恋人は俺の妄想説に一瞬嬉しそうな顔をしたけど、すぐに複雑そうな顔になって、胸の前で拳を上下に振った。じっとしていられないらしい。 「ていうか、アレはかわいいでいいの?」 「後藤ちゃん、相手知ってんの⁉」 「え、かわいくない?」 「スルーいくない!」 「かわいいっていうか、綺麗系じゃない?」  翼は優の幼馴染だ。家も隣で、兄弟みたいに育ったらしい。  それにしたって、女子にためらいもなく綺麗系に分類される優はスゴイというかなんというか。日頃の苦労を思うと不憫だ。 「あー、なる。見た目は綺麗だな、確かに。でもこう、反応がかわいい。時々」 「普段は?」 「かっこいい」 「は?」  聞き返してきたのは仲原だ。翼は優がかっこいいのは知ってるから、それはまあそうなんだろうけど、って感じで半目になってる。翼、惚気たオレが悪いのかもしれないが、その顔可愛くないぞ。  翼には流されそうだったけど、仲原は聞いてくれそうだから俺は俺の主張を声に出す。ていうか翼くらいにしか惚気らんないから、仲原いてもいなくてもあんま変わんないんだけど。 「いやもうほんと、抱いて!ってなるくらいかっこいい」 「ないわー」 「のろけていいって言ったじゃん!」 「限度があるわよ」  翼は心底嫌そうな顔をするけど、俺の話を無視するようなことはしない。  夏休みの終わり、オレが優を好きだって知っても、翼はオレを好きだったと言ってくれた。それは愛や恋の告白ではなくて、踏み出せないでいたオレの背を押すためのものだった。  本当は聞きたくないことだってたくさんあるだろうけど、変わらず傍にいて、話を聞いてくれる、一番の友達だ。恋人にはなれなかったけど、オレも翼が好きだと思う。 「会いたい」 「へ?」  数日に一度、多い時は一日に数回思う、翼はいいやつだなあ、をしみじみ実感していると、仲原がポツリとこぼした。  放置し過ぎたかと顔を上げようした時、二の腕の辺りを微かに掴まれる。ブレザーの下にパーカーを着込んでいるから、布地を摘むというよりは添えられただけのような、頼りない主張。 「ゆーくんの彼女、会わせて」  その時見上げた仲原の顔が、なぜか泣くのを堪えているように見えた。 「はっじめましてー!ゆーくんのソウルメイトの仲原央でっす!ナナって呼んでね!」 「そ、ソウルメイト?」 「や、クラスメイト」  駅前で優と待ち合わせたはずなのに、そこには仲原と翼もいた。にこにこ笑ってる仲原と、三歩くらい離れた所で感情のない目をしている翼のテンションの差がひどい。  翼は仲原に連行される形でここにいるので、本当に心から帰りたい、と顔に書いてある。優は優で翼の表情と見知らぬ男の娘の登場に困惑しているのがわかる。心から申し訳ない。 「会いたいってうるさくて……撒ききれなかった。ごめん」 「あ、いや、いいん、だけど……えっと……?」 「アナタがゆーくんのカレシ?へー?ふーん?」 「……ごめんって」  カレシ、という単語が出た瞬間に、優の睨むような視線がオレに刺さる。  オレの彼氏かっこいいだろ!って自慢したい気持ちはぶっちゃけ、ある。大いにある。でも、優の平穏な日常とオレの自己満足とか比べるまでもないから、オレは翼以外のひとに優のことを話すつもりはなかった。  なかった、んだけど。仲原の追求は凄まじかった。  ついてくんなって言っても聞いてもらえず、撒くこともできない。のっぴきならない事情があって会わせられないと言えば、その理由を聞けないなら帰らないと言う。仕方なく話したのに、聞いちゃったからもう会っても問題なくない?と押し切られてしまった。一番最初に頼りなく袖を引いたのはなんだったんだ。  十分遅れで待ち合わせ場所に着いてみれば、仲原は可愛らしくにこにこ笑ったまま優を観察し始めた。おい、優ドン引いてるっていうか怖がってんじゃん、やめたげてよ。 「えっと……前嶋優、です」 「スグルくんね。よろしく!……確かにすっごく綺麗だね。でも」 「でも?」 「ぼくのが断然かわいくない⁉」 「へっ?」  くわっ!てオレを振り向いて詰問されても、即座に反応できない。え、なに、おまえオレの彼氏が自分よりカワイイかどうか確認しにきたの?  おれの返事が期待できないと瞬時に悟ったのか、今度は翼に食ってかかる。 「ねえ!ぼくのがかわいいよね⁉」 「わたしに振らないでよ」 「何言ってんだ、優めっちゃかわいいんだぞ!」 「ちょっと黙ってくれる?」  翼の冷静な声で我に帰って反論したら、優に止められた。マジトーンだったからすぐに口を引き結ぶ。 「えっと、仲原く」 「ナナ!」  一方、優は仲原に凄まじい剣幕で呼び名の訂正を迫られて一歩後ずさった。あれはビビる。 「……ナナくん、とってもかわいいと思います、よ?」 「知ってる」 「えーと……別に、比べるものでもないのでは……?っていう」  かわいいって言われて、そんなことないよーとかいう謙遜は時に戦争の火種になる。女子の褒め合いと、否定による自己肯定怖い。  というのは、いつだったか数人のグループに逆ナンされた日の帰り道に優が疲れ切った顔で言ってたことだ。  実際、子どもの頃とか今よりもっと、それこそ女の子よりかわいかったろう優の言葉は重かった。否定も肯定もしない、っていうのが、優の出した一番安全な解答なんだろう。  仲原がかわいいのはわかる。だけど、なんで怒ってるのかがわからない。オレも優も、多分、翼も同意見だったと思う。  どうしてって、口に出さないけどみんな思ってるっていう空気は仲原もちゃんとわかっているらしく、俯きがちにボソボソと口を開いた。 「だって……ぼく、ゆーくんのこと好きだもん」 「は?」  ギリギリ聞き取れたと思う。だけど、意味を理解するのに手間取った。意識しないで出た声は、たぶん仲原を傷つけたんだろう。  一度ぎゅっと唇をひき結んで、ばっと顔を上げてまっすぐにオレを見てくる仲原の目は、うっすらと涙の膜が張ってるように見えた。 「好きだよ。男として」  胸のあたりでカーディガンを握りしめて、しぼりだすみたいに呟かれた告白は、いつかオレが優に言ったのとは全然別物みたいだった。冗談にしてしまう、という逃げ道なんてない、本気の気持ちに殴られたみたいな錯覚に襲われる。  目を見開いて言葉もないオレから優へと、仲原の視線が移った。挑むようなそれに、オレの方が怯む。 「だから、ライバル宣言しに来たの」 「ちょ、おい」 「戦線布告だよ。ゼッタイ負けない。だって、ぼくのがゆーくんのこと好きだもん!」  言葉は優に対するものなのに、オレへの想いでできたそれに動揺する。こんなにストレートで他人を巻き込んだ告白されたことない。ごめんウソ、そもそも告られたの二回目だったわ。一回目は過去形で言われちゃったからカウントしていいのか微妙なところだけど。  今まで何人もに告白されて、おそらく否応無しに色んなことに巻き込まれてきただろう優も、すこし困ったような顔をしている。助けを求めるように翼を見るから、そこはオレじゃねーのかよ、と思わなくもないけど妥当な判断だとも思う。まだまだ信頼の年季と重みが違うんだろう。 「なんでここでわたしを見るのよ」 「や、だって……どうしたらいいの、これ」  ため息をついた翼に答える優の声には、困惑がにじみ出ている。半眼で数秒優を見つめ、翼はもう一度大きくため息を落とすと腕を組んで断言した。 「あんたが遠慮する必要が、どこにあるの?」 「あ、そうなの?えっと、じゃあ」 「わっ」  翼かっけぇ!とか感動してたら、ストンと胸のつかえが取れたみたいなすっきりした顔になった優に肩を抱き寄せられた。え?って状況を飲み込もうとした瞬間、見上げた先の彼氏サマが一言。 「あげません」  オレは、ぽかん、ていう擬音がぴったりな間抜け面だったと思う。仲原がハクハクと口を開閉させてるのが視界の端に引っかかった。 「わたし、帰る」 「あっちょ、待って⁉︎」  オレの制止は無視で、翼はさくさく歩いて行ってしまった。今やばいって、オレと優と仲原って修羅場以外のなんなのこれ、ていうか顔熱いやばい! 「悠介?真っ赤だけど、熱でもある?」 「ばっか、照れてんだよ!言わせんな恥ずかしい‼」 「なんで?」 「なん、……っもー!嬉しかったの!クーデレなカレシ様の独占欲が超嬉しかったの!」  一瞬、バカかって言いそうになった。言ってもよかったと思う、ここには怒る人いないし。  でも、そんな意味のない罵倒より、素直な気持ちの方が伝えたかった。そんで後悔する。嬉しいって単語に反応して、優の方が嬉しそうな顔で笑うから。  おまえさあ、自分がイケメンなの忘れてるだろ。こっちの心臓保たねーよ。 「……から」 「はい?」 「ぜったい、振り向かせてみせるんだから!アンタみたいな顔だけの鈍そうなヤツに負けないもん!」  捨て台詞を叫んで仲原が走り去っていく。かける言葉を見つけられないまま、背中を見送った。  同年代男子にしては小柄な体が人混みに消えるのに時間はかからなくて、優はすぐオレを抱き寄せていた腕を緩めた。帰宅ラッシュが始まりそうな駅前で手をつないだりはしないけど、コートの裾を摘んできた優が首をかしげる。 「俺、やっぱ鈍い?」 「や、そんなことはないと思うけど……時々カンベンしてってなる、かな。優は自分がどんだけかっこいいのか自覚が足りない」 「えええ」  いろんな失敗を経て、優は自分が整った容姿なのはわかっている。でも、家族はじめ、自分より綺麗なひとが世界にはごろごろいることを知ってるからか、自己評価が低い。容姿なんて個性の一つ、整っていることが長所にはならない、みたいに思ってるのだ。  納得しかねる、っていう顔でうんうん唸ってる恋人は、やっぱりかわいい。言い方が悪いのかな。ちょっと照れくさいけど、きっと一番ふさわしいのは愛おしい、だ。 「さて、なんかすげーひっかきまわされちゃったけど、改めてデート行きますか?」 「……ん」 「優?」  上の空っぽい恋人は、仲原が走り去っていった方を見つめている。  初対面の男の娘にライバル宣言された。状況説明しようと思った時の字面はツッコミどころ満載で、気にするなって言う方が無理かもしれない。 「……カナカナ、気になる?」 「かなかな?」 「仲原のこと。ナナより、ナカとかナカナカって呼ばれる方が多いんだ、あいつ。オレはカナカナだけど。セミみたいだからやめてって言われる」 「そこはやめてやれよ」  呆れ顔で言う優はいまいちすっきりしない顔をしてる。優は思いの外表情に感情が出る。愛想笑いしてる時の方がよっぽど読めない。  優はオレより十センチくらい背が高いから、自然と見上げることになる。下から覗き込むみたいにすると、照れてちょっとだけ口を引き結ぶのがとても好きだ。 「な、やきもち妬いた?」 「……まあ、それなりに。悪い?ゆーくん」 「あれ、そっち?」  告白自体についてのつもりだったから少し驚いた。オレが意外そうな顔をしたのを見て、優は小さく息を吐く。  遠く、駅前の喧騒を眺めて口を開く優は随分大人びて見えた。 「誰が誰を好きかなんて、俺にどうこう言う資格ないだろ。……でも、あの呼び方はちょっと、もやっとした」  少しだけ見惚れて、後半のかわいいやきもちに心臓を鷲掴みされる。高校二年、この歳で動悸息切れで悩むことになるとは思ってなかった。 「そ、そっか……じゃ、明日やめてくれって言っとく」 「そのかわり、ナナって呼べって言われるかもよ」 「優だって呼んでたじゃん」 「あの剣幕で睨まれて訂正せずにいられるかよ……」 「それはわかるけど。優がいやなら、オレもアダ名じゃなくて仲原って呼ぶよ」 「別に、いいよ。ナナで」  いやだって言ってほしい、って思うのはオレのわがままだろうか。  いやなものを我慢したり、自分より他人を優先するのは優の長所で短所だ。それができるのはすごいことだけど、オレのことも我慢できちゃうことなの、なんて言ったら怒るかな。それとも、困るだろうか。 「ほんとにいいの?」 「こっちがあれもイヤこれもイヤって言ってるのに、相手の要望一つも聞かないわけにいかないだろ」 「言ってもいいと思うよ」 「いや、だめだろ」 「いいよ。だって優、オレの彼氏サマじゃん」  きょとん、て顔でこっち見るから、かわいいなあって顔が溶けてく。  好きだなあってダダ漏れだったんだろう。優が照れくさそうに、コートの袖口で口元を隠した。 「そういうもん?」 「そーいうもん、そーいうもん。で?オレの王子様は今日どこ行きたいって?」 「……悠介んち」 「お、おう……」  恋人にときめきすぎて早死にするんじゃなかろうかと、わりと本気で考える今日この頃だ。  二人で遊ぼうってなった時、だいたい本屋とか服屋とか雑貨屋とかを冷やかすか、どっちかの家でだらだら過ごすことが多い。ゲームセンターはお互いに好きじゃないから滅多に近づかないし、カラオケも金がかかるからそんなに頻繁には行かない。  ある意味健全で、ある意味不健全な気もする放課後デートは、三回に一回は宿題して終わる。そばに居られれば不満はないけど、優は平日は部活、オレは土日にバイトもあるから、思っていたよりずっと二人でいられる時間は短かった。 「今日、お袋帰り遅いって言ってたけど、夕飯どうする?」 「台所借りていいなら、俺作るけど」 「マジですか、お願いします!」  うちは母子家庭で、小さいアパートにお袋と二人で住んでる。お袋は稼がなきゃというよりも仕事が楽しくて仕方ないひとで、あんまり家にいない。  図鑑見たり、ブロックで色々作っては壊したり、一人遊びも得意だったオレは、そんなに寂しい思いをした覚えもない。けど、食事を一人でするのはあんまり好きじゃないから、優がいてくれるのはとても嬉しいことだ。  優の家は両親と二人のお姉さん、妹が一人の女系家族だ。立派な一軒家だけど、お姉さんたちは既に家を出てそれぞれ一人暮らしをしているからか、余計に広く感じる。  お姉さんたちに仕込まれたという優の料理の腕は、そこらの女子では到底敵いそうにない。初めて作ってもらった肉じゃがでしっかりガッツリ胃袋を掴まれたのもいい思い出だ。 「妹ちゃんは?優が遅くなっても平気?」 「今日は母さんそんなに遅くならないって言ってたし、いざとなったら翼んち行くだろうから。電話だけしていい?」 「うん」  優が電話をかけてる間に、オレもお袋にメールを打つ。胃袋を掴まれたのはオレだけではないからだ。  お袋は料理が得意じゃなくて、優が作ったふわふわのオムライスに感動して以来、優が来る日は土産を買って帰るようになった。 「大丈夫だって」 「ん。こっちもオッケー。お袋が青椒肉絲食べたいって。こういう時だけ返事早い」 「ふふ、りょーかい。買い物して帰るか」  放課後、スーパーで買い物して帰って、優が作った夕飯を食べる。夫婦みたいだ、なんて、優にも翼にもオヤジかよってドン引かれそうだから言ってない、オレの大好きな時間だ。  青椒肉絲がいいっていうお袋のリクエストに追加して、夕飯には中華スープとオレが好きなチーズ入りの餃子までついた。余計に作ってくれた餃子は冷凍して焼けば食べられるようにしてくれたけど、優みたいに羽根つきには出来ないから結局おふくろが残念な感じに焼いてしまいそうだ。 「ごちそうさまでした!……しあわせだぁ」 「おそまつさまでした」 「いやあ、優はいい嫁さんになるぞ。あ、あと半年待ってな」 「俺一月生まれだから半年じゃ無理だけどな」 「プレゼントは何がほしいって?」 「別にいらないよ。ケーキ作るから一緒に食べよう」 「買ってきてじゃない、だと……」  アホなかけあいしながら欲しいものを聞くけど、いつも明確な答えはもらえない。オレも何かお返ししたいんだけどな。  お茶でいいか、とか言いながら食器を片付けようとするから、慌てて追いかけて洗い物を請け負う。食事を作ってもらってるんだから片付けはオレがやるっていつも言ってるんだけど、優は優で何もしないでいるのが落ち着かないらしい。 「悠介は?何か欲しいものないの」 「え、なんで?」 「なんでじゃないだろ。俺、ちゃんと誕生日祝えてないし」  初めて会った時、オレは既に十七歳だった。そうかもなって思ってたけど、やっぱり気にしてくれてたらしい。  男の下心なんて隠してもなんとなく分かっちゃうから、不快にならない程度にオープンだ。イヤならイヤって言ってくれるのも知ってるから、希望ははっきり口にする。 「じゃ、ちゅーしてほしいな。濃厚なやつ」 「……安い。なんかもっと特別っぽいのないの」 「安くねーよ。充分特別」 「じゃあ物好き」 「否定はしないけど……金払ってでも優とキスしたいやつ、結構いるんじゃねーの」  ピタって優の動きが止まった気配がした。振り返ると、綺麗な顔をむすってさせた優がこっちを見てる。 「お金積まれたら、誰かとしてもいいんだ?」 「絶対だめ」  即答すれば、なら言うなって感じにそっぽを向かれる。ごめんごめんと謝って、最後の皿を水切りカゴに入れて蛇口を締める。お茶の乗ったお盆を持って台所を出る優を追い抜いて、自分の部屋のドアを開けた。  四畳半の真ん中にあるちゃぶ台に盆を置いて、座布団に落ち着く優の顔はもう怒ってなさそうだ。優がオレを好きなの知ってるから言える冗談なんて、あまり褒められたものじゃない。けど、呆れてもはっきり好意を示してもらえるのが嬉しくて、オレはいつも余計な質問をする。 「いくら積まれたらしちゃう?」 「しないよ。悠介がいい」 「へへ、よかった」  隣に座って指を絡めたら、自由な方の手でデコピンされた。調子に乗ってる自覚はあるから避けたり文句言ったりはしないけど、わりと痛い。正直に言うと、めっちゃ痛い。  おでこをさすりながら入れてもらったお茶を飲んでると、優が自分の鞄を引き寄せて中をごそごそ漁り始めた。これは、今日も宿題コースかな。  今日は優が二人がいいって言ってくれたのに。仲原に引っ掻き回されちゃったけど、やきもち妬いてくれたのに。  もうちょっと、恋人っぽいことしたい。どうかな、彼氏サマ。 「……してくれねーの?濃厚なやつ」 「今したら餃子味だよ」 「チーズ入りだったしセーフじゃね?」  体も顔も近付けて、半分体重を預けて言えば顔はこっちに向いた。数秒の沈黙の間、優は果たしてそうだろうか、ってすごく納得してない顔でオレを見る。  じぃって見続けてたら、細長い指がほっぺを撫でた。 「悠介がいいならいいけどね」  手が首の後ろに回って引き寄せられる。数秒触れて、何度か下唇をはぐはぐ挟まれて、ぺろっと舐められて、口を開くとゆっくり舌が入ってきた。  優はオレみたいにガッついたりしない。触れる時はゆっくりで、優しくて、大事にされてるのがわかる。  オレはだめだ。大事にしたいけど、好きとか気持ちいとかが我慢出来ない。だって、さっきまでやきもち妬いて拗ねてた口で、キスするならオレがいいって言った口でこんな優しいキスされたら、たまんないだろ。  鼻に抜けるのは確かにニラとかチーズとか、色気のない日常の匂いだけど気にならない。なんなら一緒に同じ飯を食った、家族みたいに特別な時間を過ごしたって証みたいなものだ。むしろ興奮する。 「ん……ふ、ぅ……んっ」  舌を舐め合いながらカーディガンの下に手を伸ばして、スラックスに仕舞われたシャツを抜いて肌に触れる。さっきまでお湯で皿洗いしてたから、冷たくはないはずだ。  翼の実家の合気道の道場に通わなくなってから、もう二年近くになるって聞いてる。でも、日常的に走ったり筋トレしたりしてる体は引き締まっていて、シックスパックって程じゃないけど腹にはうっすら筋が見えた。  鍛えてないオレの腹にはないそれをなぞるのが結構好きだ。くすぐったそうに息を詰めるのがかわいい。 「んわ、っふ……ぁに」 「……おかえし」  勝手に腹を弄ってたら、素肌の背中を腰のあたりから一気に撫で上げられた。優はたまに、オレの背骨を撫でるみたいに背中に触る。気持ちいから、触られるのは結構好きだ。訂正、優に触られるのはすごく好きだ。 「いきなりはビビる」 「お互いさまだろ」 「たしかに」  至近距離で笑って、またキスをねだった。ちゅっちゅって唇を押し付けあいながら相手の体に触る。脇腹を撫で上げたら舌を甘噛みされた。  じゃれあいはまだ手探りだ。どこまで触っていいのか、どんな触り方が気持ちいのか、試しながら探してる。  ラブホはまだちょっと怖いし金もない。かといって、いつ家族が帰ってくるかわからない自分の部屋で最後までするのは賭けだ。興味はあるけど、急ぎすぎて傷つけたくないっていうのもある。  初めては大事にしたいっていう大義名分を掲げながら、臆病者はおとなしく触りっこ、抜きっこで満足したふりをしていた。それも、もう三ヶ月になる。  高校生なんて、そういう好奇心の塊だ。調べられるだけ調べた。妄想だけなら何度抱いただろう。  欲と自制心、好奇心と恐怖心はいつもだいたい同じくらいで、結局一回ずつイって恥ずかしくなって終わりだ。ちなみに、後処理してる間は優の色気がすごすぎてあんまり直視できない。  もう一歩踏み込みたい、もっと奥まで触れてみたい。多分その時、日に日に大きくなる欲が限界を超えて溢れた。 「わ、んっ……え」 「わっ、ごめ……あ」  気付いた時には、優の驚いた顔を見下ろしてた。畳に散った男にしては長い黒髪が綺麗で、不意に目に入った首筋のホクロに視界がチカチカするみたいな錯覚に襲われる。  じゃれあってバランスを崩しただけだ。頭ではそれだけだとわかってるのに、優がオレの体の下で無防備に見上げてくるって状況はだいぶヤバイ。  何がヤバイって、心臓がバクバク言ってるのが聞こえて、顔も股間も熱い。好きな人を押し倒すって、こんなに頭真っ白になることだったのか。 「……優?」  無性にキスしたくなって顔を近づけようとした時、優の様子がおかしいのに気付く。  俺の影になってるからじゃなく、顔色が悪い。青を通り越して、白くなってく。堪えるみたいに拳を口元に当てて、力なくオレのパーカーの腕を掴んだ手は震えていた。 「ごめ、ちょ、と……ごめん」  声も震えて、聞き取れるギリギリの大きさだ。突然怯え出した優の様子は覚えがある。付き合う前、初めてキスをして、地雷を踏み抜いた時だ。不安が伝播するみたいにオレの頭からもすっと血の気が引いていく。  どうすればいいのかわからない。それでも、とにかく安心させたくて撫でようと頬に伸ばした手は、ビクッと目に見えて大きく震えた優に拒まれた。 「っ……すぐる?」  口元にあった手はいつの間にか顔を覆って、隙間からふー、ふー、って必死に繰り返す呼吸が漏れる。指の隙間から見える、悲しそうに、苦しそうに歪んだ目は見るからに怯えていた。怖くて怖くてしかたないって感じなのに、泣くこともできないのか、乾いた目が痛々しい。 「こわい」  震える声と体で小さく弱くごめんと繰り返す優に、オレは何もしてやれなかった。
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