URUWASHI 2

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「まっちー、おっひさ〜!スマンね、突然」 「お邪魔します」 「お久しぶりです。いらっしゃい」  都内と言っても二十三区からは外れた住宅街のアパートを訪れたのは、午後一時過ぎ。迎えてくれたのは、まっちーこと草町真くんだ。もこもこした部屋着があったかそうだけど、これはクォーターの彼氏の趣味な気がする。  中に上がらせてもらうと、ミカンが乗ったコタツが出迎えてくれた。ラグとかコタツ布団はもこもこしてるけど、カーテンや通年で使う家具はどれもシンプルだ。もこもこは実用性以外の何物でもないなコレ。  家にお邪魔するのは初めてじゃない程度に交流があるけど、去年の秋に引っ越したと聞いてからは初めての訪問だった。ちょっと広くなったけど、荷物量はあんまり変わってなさそうに見える。 「野菜要るー?とか、ちょいちょい話はしてたけど、会うのほんと久々だなー。髪伸びた?あ、これ突撃訪問のお詫びね。今年最後の乾燥芋」 「いつもありがとうございます」  オレの背中と理の腹で挟んで持ってきた乾燥芋の箱を見た瞬間、飼い主を見つけた子犬みたいにピクって反応したまっちーがふわっと笑ってお礼を言ってくれた。  知り合って二年くらいだけど、ずいぶん気の抜けた顔も見せてもらえるようになったもんだ。普段は感情の起伏のなさそうな、一見眠そうな顔なんだけど、ふとした時にビックリするくらい柔らかく微笑む。 「そんな顔されると野菜も直接届けたくなるなあ」 「どんな顔ですか?」 「超嬉しそうな顔。そんな好き?」  生産者としては、喜んでもらえるのは嬉しいし、もっと美味いもん食わせてやりたいって思う。仲良くなった友達なら尚更だ。  勝手に有頂天になって緩み切った顔のオレに対して、まっちーは不思議そうに瞬きをしていた。 「うるしーさんにいただくようになって好きになりましたけど……将宗が喜ぶので」  最後の一言でまたまっちーの顔がほころんだ。まっちーが好きなのは乾燥芋じゃなくて恋人だったわ、知ってた。  あんまりにも惚気そのものな顔を見せられて、思わず親友を振り返ってしまう。 「見た?この顔。聞いた?このセリフ。理に足りないのはこの素直さだよ」 「悪かったな、素直じゃなくて」 「理が素直になったら環が暴走しそうだから、天邪鬼なくらいでちょうどいいっていうのが現実だけどな」  ブスくれた顔で返事をした理だけど、オレの追い打ちには眉間にしわを寄せただけだった。ひん曲がった口が、心当たりがあることを告げている。  あんまり理ばかりいじってるとまっちーが心配そうにするから、持ってきてくれたハンガーに玄関先でバッサバサ花粉を落としたジャケットをかけさせてもらった。お茶を入れてくれるっていうから、遠慮なくコタツに収まる。 「んで?その乾燥芋大好きおのっちは今日お出かけ?」 「はい、急に仕事になって」 「へー。休日出勤か、サラリーマンは大変だね。まっちーは?なんか用事なかったの?」 「実家に帰るつもりだったんですけど、将宗が仕事に行ったので延期にしました。今日は休むって息巻いてたんですけどね」 「そうなん?」 「たぶん、誕生日だからだと思いますが」  ミカンに伸びた手が止まった。サラッと聞き捨てならないこと言われた気がする。  まっちーの発言に動きを止めたのは理も一緒だ。脳内で引っかかった単語を反芻して、意味を理解して、理と目くばせした。  とにもかくにも、確認しよう。なに、たった二つだ。難しくはない。 「……誰の?」 「僕のです」 「いつ?」 「今日です」  まっちーはこともなげに、心底事実を述べているだけの顔と声でお茶と一緒に答えを寄越す。実にまっちーらしい、なんていっそ感心した。  聞けば答えてくれるけど、自分のことをベラベラ話すタイプじゃないのは知ってたし、なんならオレらもまっちーに誕生日教えた覚えはない。だけども、聞いちゃったら全力で祝いたいじゃん。  たとえ準備時間がなくとも、できることはたくさんある。だってここは電車に三十分も乗れば都心に出られる都内なのだから。 「出かけるぞ」 「ガッテン」  ダテに十年以上つるんでない。理と頷き合って、ぬっくぬくのコタツから立ち上がる。ちなみにお茶は熱くて一気飲みは諦めた。ごめんね、せっかく入れてくれたのに。 「お帰りですか?」 「しょぼん顔で何言ってんの、まっちーも行くんだよ」  ハイ、そこー、えっ?て顔しなーい。 「誕生日に休み取れない恋人に代わっておにーさんたちが構い倒してやるからな。まっちーのオッケーが出るならパジャマパーティーも辞さない」 「女子中学生か」 「いーじゃん、今年三十路だけどまだギリギリニジュウダイだもん!」 「もん言うな」 「ふふ……あ、すみません」  理とじゃれてたら笑われちゃった、ヤッタネ。でも笑わせるための冗談じゃなく、百パー本気だから。本気と書いてマジだから。おにーさん頑張っちゃう。 「で、何食べたい?行きたいとこでもいいけど……あれ、まっちーはお出かけより家でまったりタイプか?本買ったげる方がいい?」 「あ、いえ、本買う時は将宗の承認が要るので」 「承認」  思わずオウム返しして、コートに腕を通そうとした格好のまま一時停止した。  なんか、いいよね、その二人のルール的なさ。言い回しがまっちー節だけど。 「……床抜け防止か」 「図書館も近くにありますし……無暗に増やすと引っ越しが大変なので」  あー……って納得しちゃった空気のオレらを見て、さすがにまっちーも居心地悪そうにした。言い訳っぽい言葉選びになるのは珍しい。  無暗に増やして床面積が減ったり、おのっちに小言もらったり、ため息吐かれちゃったりしたんだろうな。想像できてちょっと笑った。 「相変わらず本の虫?」 「そう、ですね……仕事でも色々読みますし、必要になる知識も増えたので学生の頃より読んでいるかもしれません」 「仕事で本読むの?今何してるんだっけ?」 「ん?転職?したんだっけか?」  おしゃべり始まっちゃったから、コート着たまま温もりの残るコタツにもう一回収まった。まっちーはもこもこを脱いでコートを着ている。お出かけは付き合ってくれるらしい。 「今は大学の先輩が作った会社で手伝いをしてます。主に原稿の校閲ですね」 「そっかー。知らん世界だけど面白そうだね。引越しも転職に合わせてだっけ?」 「まあ、そうですね。僕はほとんど家での作業なので、将宗の会社の近くにしました」 「在宅勤務ってやつかー。通勤ないだけで楽だよなー」 「はい、本当に。先輩からも、通勤電車で消耗する体力がもったいないと言われました。打ち合わせで事務所や客先に行ったりはしますけど」  外での仕事、相当ちょっとしかないんだろうな。先輩くんはまっちーの活用方を熟知してる感ある。そんで、負担にならないように仕事を振れるんだろう。  それはともかく、環境を整えたからこその心配ごともあるにはあった。 「運動不足待った無しじゃね?」  事務仕事で座り続けるのも、歩き回ったり体を動かすのは使う筋肉が違うだけで結構体力が要るのはわかる。それでも、やっぱり若いうちから家に籠もってるのは推奨はできない状態だろう。 「晴れた日は散歩することと、買い物もなるべく徒歩で行くようにと念書を書かされました」 「念書」 「日常的にサボったのがバレたらジム通いさせられるそうです」 「それ会社の金?愛されてるぅ」  案外っていうか、想定以上にちゃんと考えてたわ、先輩くん。社員の健康管理も社長の仕事だもんね。エライぞ。  先輩くんがちゃんと考えてるのもあるだろうけど、飴と鞭感がまっちーを解った上でだいぶ大事にしてる感じがして好感が持てる。 「いっそこっち来いよ。在宅なんだろ?」 「理、ソレおまえがまっちーと遊びたいだけだろ」 「悪いか」 「うっわ、開き直りやがった。そんなこと言ったらオレだってまっちーと遊びたいわ。つーかそれ環の前では言うなよ、絶対めんどくさいぞ」 「僕は良くても、将宗は難しいでしょうし」  オレと理の言い合いの最中、まっちーは真面目に検討してくれていたらしい。スルースキルを覚えてもらった方が良い気もするけど、それで構ってもらえなくなるのはイヤだからそのままのまっちーでいてほしいな。  理はツンデレだし、環は自分に正直なだけだし、まっちーみたいに素直な子は身近にあんまいない。良い子だなあって孫を見守るおじいちゃんみたいな心境だ。理も似たようなこと考えてそうな仏の顔をしている。  まあ当たり前だけど、オレんとこにも理んとこにも行かねーよって話だ。そのはずだ。だけどもそれより、おのっちと離れる気はないっていうのが前面に出ててそわそわしちゃう。 「サラッとノロケられちゃったね」 「惚気でした?」 「わーお、無自覚ぅ。ほら、若い子がこんなにラブラブなんだよ?家出で県跨ぐような子どもっぽいことしてねーで帰んな?」 「やかましい」  子どもはそうそう県跨げないのでは、みたいな真っ当なツッコミが頭の中にあっても黙っているんだろうな、まっちー。良い子。  そんなこんなしてるうちに、まっちーのお出かけ準備も万端整ったっぽい。あったかいんだかよくわかんなくなってきたコタツから出て立ち上がる。 「ま、いいや。お出かけは電車と歩きで行こう。バイクで三人乗りはできないし。運動運動!」 「行きたいとこ決まったか?」 「えっと……あ、そういえば服を買いに行きたかったです」 「デート用だな!任された!」  えって顔をしたまっちーの腕を引いて、寒空の下に飛び出した。勝手に来て勝手に盛り上がる年長者はさぞ面倒だろうけど、なんだかんだで許してくれるから楽しいが止まらない。   「そういえば基、花粉は平気なのか?」 「ん?あれ?そだな、なんか楽。薬が効いてるのかと思ってたけど……東京の方がちょっと少ないのかな」  次のデートに着ていきなって、まっちーの上から下までコーディネートしたショッピングから帰宅して、玄関先でいつものように服からバッサバサ花粉を落としていた時だ。理が不思議そうに聞いてきた。振り返れば、まっちーも少し心配そうにこっちをうかがってる。  心配してもらうのはありがたいけど、症状出てないなら理由はなんでもいい。鼻も目も辛くないって最高。地元大好きだけど、花粉量の地域差ならこの時期だけは帰りたくない。 「普段なら、こんなに外出歩いたら鼻も目もグズグズになるのにな。そういえば、環はどうなん?今年」 「どうもこうも……急に泣き出す」 「前触れなく泣かれるとビビるよな。泣く方も自分でビックリするけど」 「いつものことなはずなのにな」  二人して遠い目になってしまった。オレ的には泣く方も泣かれる方も身に覚えがあるけど、マジで泣いても泣かれてもビビる。  環が泣いた末の末路を思い出し、他人事とはいえちょっと笑った。 「今年は何回おばさんにまた簀巻きにされんのかね、環は」 「簀巻き……?」 「今年三十路になるってのに、自分で目薬させねーんだよ、環。布団でぐるぐる巻きにされるレベルで暴れるんだと」 「大変、ですね……?」  話の流れがつかめなかったのだろうまっちーに補足をしてみるけど、余計に理解不能、みたいな顔をされた。言いたいことは分かる。  部屋の暖房を入れてくれてるまっちーに感謝しながら、本日三度目のコタツにインだ。お腹空いてきた。 「理の膝枕なら比較的大人しいんだろ?」 「……簀巻きはしねーけど」  同じくコタツに収まった理に話を振ると、照れ隠しが若干失敗したような顔で小さな応えが返ってきた。外ならもっとちゃんと隠したろうけど、まっちーの家の中はもう警戒とか要らない領域なんだろう。  お湯を沸かしてお茶の準備をしてくれているまっちーも、理の様子に少し雰囲気が柔らかくなった。理たちの仲が良いことを多少なりとも嬉しいことだと思ってくれているみたいで、こっちの顔がニヤける。  気を許した相手に警戒心なく素の顔を見せられること。大事に思う友人の幸せを嬉しく思うこと。  そんな幸福を実感して、オレってば恵まれてるなー、なんてしみじみ思った。 「何か、鳴ってませんか?」 「ん?あ、ほんとだ」  尻ポケットに入れていたスマホが震えている。そういえばマナーモードにしていた。誰かといると楽しくなっちゃって多少のバイブじゃわかんないもんだ。  若干人肌にあたたまってるスマホを見れば、昼間連絡を入れておいた幼なじみからの着信だった。付き合いの長さはほぼ人生分の大親友だ。高校進学で県外に出てからは滅多に会えなくなってしまったけど。  去年、縁あっておめでたいことになったらしいこいつが、オレの相談相手のツテである。 「ほれ理。相談、乗ってくれるって」 「は?」  自慢の幼なじみを親友にちゃんと紹介するのは、実は初めてだ。こういうやつがいてさって話はしても、住んでるところが遠すぎて会わせたことはない。  なんだかソワソワしている自覚があった。もしかしたら、ずっと理たちとこいつを引き合わせるキッカケがずっと欲しかったのかな、なんて思ったらちょっと照れる。  理は本気で悩んでいるんだろうし、幼なじみだって真面目に聞いてくれようとして連絡を返してくれたのだから、オレも本気で聞かなきゃとは思っているのにどうしても顔が緩んだ。そのままいつものようにテレビ通話を始める。大丈夫、ネット機器持ってきたから。 「ヤッホー!かいせー、元気?飯食ってる?遅くにわりーな」 『話す度に開口一番それ聞くの、いい加減止めろって。元気だし食ってるよ。つか、いつにも増してテンション高え』  でへへ、とか言ったら理が引いた顔した。ごめんて。ちょっと嬉しくなっちゃっただけだから見逃して。  通話相手の顔がお互いに見える位置にスマホを調整して、コホン、と居住まいを正す。 「改めまして。本日の特別講師、オレの幼なじみのかいせ―こと天海青でーす」 『話聞いてやってくれって言われただけだけど』 「んで、こちら。お悩み相談したい高校の同級生の神納理と、友達のまっちーこと草町真クン」 「はじめまして」  素直に挨拶をしてくれるまっちーに対し、理は少し話しにくそうに間を置いた。どしたん?なんて視線を向ければ、項をさすりながら漸う口を開く。 「あー……お噂はかねがね」 『……こちらこそ。いつもウチのアホが世話になってるそうで』  緊張かどうかは知らないけど、理のぎこちない感じが伝染ったっぽいかいせーも居心地悪そうに軽く頭を下げた。  なんとなく言葉選びが親戚のにーちゃんみたいだ。なんて思ってたら、二人の目が若干据わってるのに気づく。え、何、どうした。 「うるしーはみんなのアイドルだから取り合っちゃやーよ?」 『ウゼえ』 「うるせえ」 「辛辣ぅ」  ちょっと和ませようと思っただけなのに、間髪入れずに冷たいツッコミが重なった。あんまりいじめると拗ねるからなチクショウ。今のやりとりでちょっと打ち解けた空気になりやがって、まっちーみたいに素直に仲良くできんのか。  ちょっと複雑な思いもあるにはあるけど、挨拶が済んだらいよいよ本題だ。 「んじゃ、スムーズに話を進めるためにサクッとカミングアウトしちゃうけど、訂正あったら言ってな」 「は?」 「かいせーは去年ニュージーランドで八歳年下の彼氏できて同棲中です。理は生まれた時から一緒の幼なじみとながーい片思いの末に三年くらい前から付き合ってます。まっちーは大学の同期とお付き合いアーンド同棲中で……何年になるんだっけ?」 「えっと……付き合い始めて六年、ですかね」 「だそうです!一番若いまっちーが一番経験豊富だねキャー!」 「で、人のプライベート勝手に暴露してなんなわけ?」  むっすーって顔で理が言った。怒ったかな。  両頬に手を添えてかわいいポーズしてたのをそのまま頬杖にしてちょっと首をかしげてみる。あ、眉間の皺ひどくなった。 「かいせーには先に確認取ったよ?まっちーは隠してないって聞いてたし。理の相談ごとだから、理の話はしとかないとだし」 「だから。何」  自分のための行動のはずなのに意図が見えないって、確かに不安かもな。デリケートな話なんだろうし。  でもだからこそ、深刻な空気じゃない方がいいかなっていう気遣いだ。オレ的には、そのつもりだ。  不安にさせてごめんなっていうのと、オレは理を傷つけないっていう信頼に対する嬉しさで顔が緩む。今日だけでどんだけ緩んでるんだって?仕方ないさ、大好きな友達といるんだから。  理よりまっちーの方が泰然としてるのにも、ちょっと笑いそうになる。多少口論っぽくなったところで、言葉選びが雑なだけで、オレたちがガチのケンカするわけじゃないっていうのを学習したんだろう。  のんびりお茶飲みながらアラサーのじゃれあいを眺めてくれているまっちーが入れてくれたお茶で喉を潤し、オレは再び咳払いして背筋を伸ばした。 「それでは!第一回、男だらけの夜の相談ぶっちゃけ猥談パーティー、ネコの主張、ウィズうるしー。はっじまっるよー!」  あ、ネコの主張、は副題ね。 「なあ、時々だけど、友達辞めたくならねえ?」 『否定はしない』 「ねえ!悲しいところで意気投合しないで!」  一気に距離縮まったな、君たち。おうコラ、さくっと下の名前で呼び合うことにしてんじゃねえよ、オレともキャッキャウフフして。オレだけ蚊帳の外反対。 『なあ。酒取ってきていいか?その頭痛くなる名前の会合、シラフでできる気がしねえんだけど。つか、そんなベテラン?いるなら俺いらなくね?』 「年下にサシで聞くのは恥ずかしいんだってさ!」 「言いにくいだけって言わなかったか!?恥ずかしいとは言ってねえ!」 「どっちでも大して変わらんし、参考人は多い方がいいじゃん。ちなみにかいせー何飲むん?オレも飲みたくなっちゃうから程々にしてほしいんだけど。夜運転すんだよ」 『たしかさっき開けた赤が少し残ってたはず……』 「ほんとに行っちゃったし。聞いてねえな、ちくしょう」  画面の向こうにガン飛ばしてみるけど、キッチンの方に行ったっぽいかいせーにはなんの効果もない。戻って来るよな。彼氏に呼び止められて戻って来ないとかないよな。  眉間に入れてた力を抜いたら、うっかり眉尻まで下がった。そぉっと振り返ってみるけど、正面から理の顔を見るのにだいぶ勇気を振り絞る。 「……迷惑だった?止めるか?」  叱られるのを待つ子どもみたいな気分は久々だ。こんな顔してたら理が気を遣っちゃうかもしれない。  事前にちゃんと説明しようかとも思ったんだ。でも、こうでもしないと理にかいせーを会わせられないような気がしてた。  理もかいせーも、元々人見知りで、直接顔合わせないで誰かと友達になれるタイプじゃない。だからこそ、まっさきに紹介して一緒に遊びたいヤツらを今の今まで引き合わせられなかった。その点に関しては忙しすぎた末に国外行っちゃったかいせーにも責を問いたいけど。  なんだかチャンスのような気がしてた。言い訳を見つけた気がしたんだ。地元飛び出して見つけた親友と、地元で一緒に育った大親友と一緒に笑ってみたかった。  さっきだって、こんなに早く名前で呼び合おうなんて流れになるとは思ってなくて嬉しかったんだ。もっと早く無理やり会せればよかったとすら思った。 「あでっ?……、いたい、いたいって。無言で、チョップ、しないで。なんか言って!」 「相談できる相手、ほとんどいないのは本当だし」  気を遣った結果手が出たらしい理の攻撃は、たぶん姪っ子を窘める時と同じかちょっとだけ強いくらいだった。回数が比じゃないけど。甘噛みみたいなもんだ。  避けも手で止めもしなかったけど、無言でがすがす叩かれるのは精神的にだいぶ不安になる。気遣いでもいいから口で伝えてほしくて主張したら、今度は頬をつねって伸ばされた。 「ふげ」 「おまえの幼なじみなら悪いやつじゃないんだろ。軽いノリで紹介してもらえたのは助かったと思ってるよ、一応」 「僕でお役に立てるかはわかりませんが、ご友人を紹介していただけたのは嬉しいです」  ツンデレの言葉は、怒ってはなさそうだ。巻き込み事故みたいになったまっちーに視線を移したけど、素直なこの子はうっすらと微笑んでくれた。  照れ隠しかお茶を飲み始める理はかわいいヤツだ。困ってるなら助けたい。不器用なこいつが、手を伸ばせるひとの選択肢を増やしてやりたい。 「ん。ありがと」  結局はオレの独りよがりな願いだけれど、理はオレの意図を汲んで受け入れてくれた。だからオレは、全力で信頼に応えるのだ。 『待たせた』 「あっ!なんか美味そうなもん持ってる!」 『酒だけ飲むなってチーズとチョコ持たされた』 「いいなー!美味いんだろーなー!」  スマホの画面の向こうに戻ってきたかいせ―の手には、ワインボトル、グラス、つまみらしき何かが乗った皿があった。向こうのワインもチーズもチョコも、人気で美味いと評判だ。うーん、よだれ出そう。  平然とした顔をしてるのは、こういうことがいつものことだからだろう。体調を気遣われたり、世話を焼かれたり、上京後のかいせ―の十年を思い出せば真逆の生活だ。  それに加えて、かいせーが愛されなれた顔をしている。それが嬉しくて、早く理もこのくらい開き直れればいいのにと思った。  それを言うと理が意地を張ってしまうのが目に見えていたから、口に出すのは別のことだ。 「つーか彼氏マジで世話焼きだな。ほっといて拗ねない?」 『通訳が面倒だし、なんだっけ……ネコの主張?なんだろ?』 「それもそっか」  拗ねないとは言わねーのな。いいけど。  カミングアウトしてから照れがなさすぎてつまらん、なんて思うけど、今それを言い出すと理の話が聞けないから後日にしよう。 「んじゃぼちぼち始めよーぜ。あ、みかんもらっていい?」 「乾燥芋食いたい」 「はい、持ってきますね」  こう、招いた側は甲斐甲斐しく世話焼くけど、世話焼かれることに関して遠慮がない感じ、好きだなーなんてしみじみする。理んちに行けばまっちーは何もさせてもらえないし、うちに来れば全力でもてなすし、お互いさまなのがとてもいい。  まあ、今日はまっちー誕生日だから夕飯はオレが作るけど。簡単楽しいお好み焼きなんだからあんま芋で腹ふくらますなよ、理。 『そっちだって美味そうなもんあんじゃん。乾燥芋とか久しく食ってねえ。つーかそっちまだ冬か』 「そろそろ春だけどな。コタツしまうにはまだ早いわー」  南半球は季節が逆だ。今は晩夏、初秋ってとこだろう。まあ、一日に四季がある、なんて言われてる所だから、朝晩はそれなりに冷えるみたいだけど。かいせーカーディガン着てるし。  ワインを注いだグラスを遠い目で見ているのか見ていないのかよくわからんかいせーが、ぼそぼそとしゃべりだす。 『俺、こっち来てからそろそろ十キロ近く増えたんだけど……体重い……なんか、アレ……健康診断で二十歳の頃から十キロ増減したらヤバいとかなかったけ。なあ』 「おまえのソレは幸せ太りだから惚気以外の何物でもないし、そもそもおまえ就職してから体重落ちたろうが。十キロ増えたところで何の問題もねえよ。むしろ健康になっとるわ。彼氏サマサマ」  女子にその話題振ってねえだろうな、とかいせーに再確認してると、なんで体重把握してんだよってオレに対して引いてんのと、そのだるだるの服の下ガリガリかよってかいせーに対して呆れてるのが混ざったような顔された。もちろん理に。  追加のみかんと乾燥芋を持ってきてくれたまっちーはおでかけから帰宅した時に着替えて 再びもこもこになっている。一度着物を着付けた時にひんむいたけど、この子ももやしっこだったなそういえば。今度常陸牛送ろう。 「お待たせしました。……始めますか?」 「ありがとー!始めましょう、始めましょう。というわけで、お悩みどうぞ?」 「えっ」 「えって言われても。相談内容聞かなきゃ始まんないじゃん」  なに当たり前のこと言ってんの。これ、理のための会合よ?理のためのチャット通話よ?  口に出さずともオレの顔は雄弁だったみたいだ。理は趣旨を思い出し、オレが飲み込んだ言葉を察したらしい。  待ちの態勢に入ったオレたちに、ようやく覚悟を決めた理が口を開く。 「あ、の……将宗って、夜、どう?普通?」  想定外に回りくどい話の運びにオレとかいせーはジト目で理を見た。恥ずかしそうに縮こまってる場合じゃねえだろ。カミングアウト済みの男だけのこの場でぶっちゃけなくていつぶっちゃけんだよ。オレら中学卒業して十五年になるんだぞ。  対して、まっちーはまず自分に質問が来たことに驚いたようで、パチクリと瞬きした。 「将宗以外とシたことがないので、一般的に普通かどうかは」  すげえド直球に真面目な答え返ってきて思わずオレが真顔になった。この子はそうそう照れない子だった。たじろぐな理。がんばれ理。 「そ、そうか……ハルは……?」  しれっと答えが返ってきちゃって、それにすぐ反応できなかった理は矛先をかいせーに向けた。  聞かれたかいせーは、グラスの中でワインを回している。興味なさげなその態度をオレが超訳すると、大変そーだな、知らんけど、だ。  ワインを一口飲んで唇を湿らせたかいせーは、頬杖をついて口を開いた。 『キーウィが参考になるかは知らんが、とりあえず若者の体力についていけない』 「わーい、生々しくなってきた!」 「茶化すな」  いや、茶化させてくれよ。クソ真面目に猥談する方がよっぽど恥ずかしいわ。  もっとワイワイ楽しく話そうぜ、と思うけど、理の問題は思ったより深刻なようで、やっぱり真面目にそうか……とか呟いている。  不意に、理がオレに視線を寄越した。さっきのまっちーよろしくパチクリしちゃう。 「ん?」 「基は……普通そうだけど」 「え、オレ男の経験はないよ?」 「挿れる側としての話」 「ああ、そっちか。まあ、変なプレイはしないけど。つーか、普通って何?だよな。AVは?」 「あれはそういう風に撮ってんだから参考にならねーだろ」 『発想が童貞』 「すみません、あまり見たことがなくて」 「えっ、なんかゴメンナサイ」  呆れ顔には反発心も湧くけど、まっちーに申し訳なさそうにされると悪いことした気分になってくる。確かに参考にしちゃいけないヤツが大多数かもしれないけど、シチュが特殊なだけでヤッてることは普通のだって……ある、よな?  学生時代に付き合いで見た様々なジャンルのあれこれを思い出すけど、若干記憶があいまいなのも手伝って全否定するほどじゃねえだろ、という持論に自信がなくなってきた。  ガチで脳内AVアリナシ議論が始まってしまったオレを放置して、かいせーが話を進める。いや、置いてかんでくれ。 『で?何が不満なんだ?』 「不満っていうか」 「ねちっこいとか?」 「ねちっ…………いや、まあ、否定できない、かもだけど」  環の理溺愛っぷりを思い出して、連想されるえっちについての不満を想像して最初に出てくるのがねちっこい、ていうオレの判断もどうよ。と思うけど、理の脳内で環との夜を思い返した上で当たらずも遠からずな返事されると、もう何も言えない。あえて言うなら、マジかー。  まっちーの、へー、みたいな顔もだいぶ堪えるだろうに、環を知らないかいせーにあーそう、みたいな同情が透けた顔をされた理が不憫でならない。かいせー、普段ひとを憐れんだりしないのに。体の負担、知ってるからかな。  轟沈は踏みとどまった理が、深呼吸して今一度気合を入れた。よし、その意気だ、がんばれ。 「あー、聞き方を変える。その……最後まで意識あるか?」 『意識飛ぶまでヤってんのか?』 「そうじゃなくて!あ、いや、そう……じゃなくも、ないんだけど」 「顔真っ赤じゃん。茹蛸じゃん」 「水持ってきますね」  完全に墓穴掘った理が今度こそコタツに沈んだ。あちゃあ、こりゃキツイ。ツンデレのくせにウソ吐けないからなあ。  まっちーが持ってきてくれた水もしばらく受け取れなかった理だが、まっちーの心配そうな気配に腹をくくって、もとい、開き直ってコップを仰いだ。一気に飲んで、若干据わった目で話し始める。 「意識飛ぶことも、なくはないけど……そんなしょっちゅうじゃねえし。なんというか、わけわかんなくなるんだよ」 「変になっちゃう~的な?」 「悪意はないだろうが揶揄ってるのが分かってムカつくからやめろ」 「ごめんなさい」  わかりやすく変換してるだけのつもりなんだけど、めっちゃ睨まれた。経験のないもんは知ってる単語に変換しないと想像しにくいじゃんよ。  顎に手を添えて考えていたまっちーが、オレとは別方向に言葉を選んで認識のすり合わせを試みる。 「自制心が利かなくなる、ような感じでしょうか」 「うーん……説明が難しい」  外れてはいなさそうな顔だけど、ドンピシャでもないようだ。ここまでくると、抱かれたことのないオレが変に口出しすると逆に混乱させそうだった。  うーん、とそれぞれに長考に入ってしまって、どうしたもんかと乾燥芋を口に放り込む。チーズをもぐもぐしていたかいせーが、あー、と何かに思い当たったような声を出した。嚥下してから改めて口を開く。 『手加減してほしいのか』 「っそれだ!そんな感じ!」  理のここまで我が意を得たり、な顔はなかなか見られないからちょっとビックリした。いや、普段ふざけて呆れられることが多すぎるだけなんだけども。  上手いこと言語化できてスッキリした顔の理に対して、オレはちょっと不満だ。そんな、二人で話し合えば解決しそうなネタなんて。  そんな風に思っていた時期が、オレにもありました。正味三秒。 「言って聞くヤツじゃないかあ」  ものすごくしみじみとした声が出た。視線が遠く行ったわ。理が、だろ!?って顔すんのわかるぅ。  環は理が大好きだ。世界と理が許すなら四六時中くっついてると思う。  来るもの拒まず去る者追わずだった男は、恋を知ったことで、追いかけ回して逃がさない男になった。言語化したら超絶メンドクセエな、環。  先入観と偏見込み込みだけど、サクッと気持ちいいセックスより、どろどろに溶かされるみたいなセックスしそうだ。受け入れる側はしんどそうという感想しか出てこない。妄想の話だけど。 「それも、そうだし……」 「言いにくい、ですか?」  理は、まっちーの確認にコクンと頷いた。恥ずかしい以外の感情で、少し表情が曇って見える。寂しいとも違う、これはなんだろう。怖がってる、のだろうか。  確かに、環の歴代彼女がシてる最中にそんなこと言ったら、じゃあいいや、とか言って破局になりそうだけども。そもそも行為の質が違う気がするから比べられないし、相手が理ならそういう心配はないだろうに。 「そういうもん?」 「なんとなく、わかるような気もします。体が辛くても、相手の好意からくる行動だとわかっていると咎めにくいと言いますか」 『でも、言わないとしんどいままだぞ』 「かいせー、しんどいって言えるようになったの?」 『俺の話はいいんだよ』  ごめん、つい。  黙ったままの理を、かいせーがワイングラス片手に観察する。なんだか新鮮だ。あんまり他人に興味示すヤツじゃなかったのに。  居心地悪そうに顔を伏せる理と、無遠慮に観察を続けるかいせーを見てると、あんまいじめてやんなよ、と思ってしまう。かいせーに愛想がないだけで、心配なり思いやりなりがあるはずだ。全く伝わってこないけど。 『言って萎えられたら立ち直れないってか』 「っ、……そん、なんじゃ」 『一年前ならまだしも、今なら分からんでもない。別に変なことでも、カッコわりーことでもねーだろ』 「かいせー、理と話すの初めてだよな?」  理、やっと顔上げたと思ったら、何その目から鱗みたいな顔。  口調と態度は相変わらず興味なさげなくせに、かいせーはビックリするくらいちゃんと見て、聞いて、考えてた。ここ数年、他人を気遣う余裕もない状態しか見てなかったから、根が良いヤツなの忘れてたわ。 『わっしー』 「ん?」 『その、相手の方。理にゾッコンなんだろ?』 「うん。言い方古いのはわかってるけど、ゾッコンが一番しっくりくる。めんどくさいレベル」 『だったら、ビビってないで言いたいこと言っておかないと、無駄に疲れると思うぞ』  それはその通りだけど、理はそれができなくて相談してるはずだ。もう一声欲しくて、普段から言葉が若干足りない節のあるかいせーをつつく。 「その心は?」 『手加減しろって言われたくらいで萎えるような軽いモンじゃねえから、理のそれは十中八九、杞憂』 「概ね、同意です。僕から見ても、環さんは理さん大好きですよ」 『むしろ言ったところで我慢がきかねえ、もしくは逆に盛るレベルの駄犬性を感じる』 「ごめん理。否定できない」  相談に乗ってくれるように頼む時に、ある程度こんなヤツら、てのは説明してある。マイペースと真面目なツンデレの幼なじみカップル的な話だ。  理がオレんちに来てから家出るまでに送ったメールと、この十年にたまに話してた面白ネタだけでだいぶ的確に理解してんじゃん。なんてオレが感心してる間に理は某有名アニメのグラサンおじさんのポーズをしている。 「大丈夫ですか?」 「知り合いに断言され、会ったこともないハルにまで言い当てられるアイツのアホさが……地味にダメージデカい」  まっちーに背をさすられてる理がすごく不憫に見えた。アホさじゃなくて、愛だぜ、たぶん。  チョコを口に放り込むかいせーを横目に理の肩をポンポン叩いていると、玄関の方で物音がした。 「ただいまー」 「帰ってきましたね」  まっちーがあやすように理の背をポンポンしてからコタツから出て、玄関に向かう。  毎日玄関まで迎えに行くのかなー、若干空気扱いされてるうちのオヤジとはえらい違いだー。まっちーの背を見送ったまま切なくなってると、グラスを空にしたかいせーがあくび混じりに聞いてきた。 『もういいか?』 「ちょい待ち。帰ってきたの、まっちーの彼氏だから」  ついでだし紹介だけしちゃおうと思って呼び止めておくけど、かいせーはだいぶ眠そうだ。まだそっち十一時前だろ、健全な生活してんな、いいことだけど。  いくらもしないうちに、久しぶりに見るクォーターの整った顔が玄関に続くドアから顔を出した。飼い主見つけた子犬っぽい笑顔だ。 「理さん、うるしーさん!お久しぶりです。いらっしゃい!」 「おじゃましてまーす」  うーん、元気。お兄さん和んで顔が緩んじゃう。 「おー……」  対する理はまだ立ち直っていなくて、力なく顔と手を上げるのが精一杯だった。ぽかん、としたのも瞬きの間、おのっちは心配そうに理の近くまで寄ってくる。 「あ、あれ……?元気ないですか?」 「あー、うん。気にしないでくれ」 「将宗。飯の支度するから、着替えてこい」 「う、うん、ありがと。あれ?えっと」  なんとか平気な顔を取り繕って受け答えするまで持ち直した理に、まだおのっちは心配そうだ。そんなおのっちの脱ぎかけのコートの端をつんつん引っぱって、まっちーが着替えを急かす。  仕事だと言ってたおのっちは、土曜だからか一応襟付き、くらいのラフな格好だった。途中になってたコートのボタン外しを再開しながらも、テレビ通話中のスマホを覗きこんでくる。再びの友達紹介の時間だ。 「こちらオレの幼なじみのかいせーこと天海青。キーウィの彼氏んち在住。んでかいせー、こちらまっちーの彼氏のおのっちこと、小野将宗クン」 『ドーモ』 「あっ、はい!初めまして……きーうぃ?」 「ニュージーランドの人の愛称だ」 「にゅーじーらんど」  パチパチ瞬きしながら聞いた単語を繰り返すおのっちの顔がどうも幼い。社会人何年目だっけ、大丈夫か。かわいいからいいけど。  まっちーの解説にどこのどんな国だっけ、って顔をしたおのっちに、スマホの向こうでかいせーがずんぐりむっくりな毛玉のポストカードを見せた。国を代表する鳥だけど、紹介としてそれでいいのかは知らない。 『えーと……コレ』 「ああ!見たことあります!」  南半球でとか時差がとか話始めてしまったおのっちから、まっちーがコートとカーディガンをはぎ取った。ひとりでやらせるのを諦めたのか、内側がもこもこの半纏も着せてやっている。おかんか。  おのっちはおのっちで、人前で世話を焼かれながらもニコニコとかいせーと話している。かと思えば、ちゃんと目を見てまっちーにお礼も言った。 「なんか、熟年夫婦見てるみたい」 「俺も思った」 『さすが年季入ってるっつーか、馴染んでる感あるな』  アラサーたちの感想に、若者たちは顔を見合わせて首を傾げる。おじいちゃんになっても変わらなさそうだな、この二人。  その後、本格的に眠気が来たらしいかいせーとの通話を切って予定通りお好み焼きパーティーをした。せっかく東京まで来たからともんじゃも作った。ホットプレートは万能だ。  まっちーの倍以上食べて腹もふくれ始めた頃、おのっちが冷蔵庫からケーキを持ってきてくれた。上品なチーズケーキだ。 「いやー、悪いね。オレらの分までケーキ買ってきてもらっちゃって」 「いえ、普段ホールケーキなんて買えないですから。ちょっとウキウキしちゃいました」  馴染みのカフェのいつものチーズケーキらしいけど、普段一切れずつしか食べないケーキがホールであることに、二人してちょっとテンション高めだった。普段はバースデーケーキなんて請け負ってないだろうに、クッキーでハッピーバースデーのプレートまで作ってある。  二十五歳だから大二本、中一本だというロウソクの準備をしながら、おのっちがまたオカンみたいなことを言い出した。 「それに、昼間は真といてもらってありがとうございます。誕生日くらい一人にさせたくなかったんですけど、一人なら実家帰らないとか言うから」 「一人で帰ると将宗は来ないのかってガッカリされるんだから仕方ないだろう」 「それオレのせい?来週……も厳しそうなんだよなあ」  あー、これ違うわ。ついオカンかってツッコんじゃうけど、ただの家族だわ。  ホールケーキテンションのままハッピーバースデーを歌い、まっちーがロウソクの火を吹き消す。カメラを持ってこなかったことを悔やんだけど、最近のスマホは優秀だからなんとかなるもんだ。あとでかいせーにも送ってやろう。  改めて、いただきますと手を合わせて食べ始めながら、男四人でケーキとかなかなかねーなってちょっと面白くなった。 「ちなみになんだけどさ、おのっち」 「はい?」 「まっちーにベッドでもっと手加減してって涙目で言われたらどうする?」 「ごふっ」  ちょっとぉ、汚いぞ理ぅ。まっちーを見習えー、と思ったけど、ケーキ口に入れ損ねてるわ。ビックリはしたのな。  聞かれたおのっちは、ぽぽぽんてハテナを頭の上に浮かべてるような顔で口の中のケーキを飲み込んだ。 「え?ベッド?手加減?」 「おっまえ、藪から棒に何言ってんだ!?」 「え?さっきまでそういう話してたじゃん」  いや、動揺しすぎだろ、理。まっちーはもう順応してるぞ。なんならおのっちがどう答えるのか興味ありそうな顔だぞ。  詳しいプレイだの感度だの、個人情報に引っかかりそうな話はしてないし、この程度の猥談でギャースカ騒がれても困る。理は高校時代も苦手で避けてた節はあった気もするけど、まあそれはそれだ。もうアラサーだし、メンツも気の置けない友達だし、環にオフレコなら問題ないだろ。 「え?え?……え?そういう話……て、ソウイウ話?え?……お、オレ乱暴?真?」 「落ち着け、将宗。僕の話じゃない」  パニック一歩手前くらいのおのっちの背をまっちーが撫でて宥める。ちょっと涙目なっちゃってんじゃん、かわいそうなことをした。  かわいそうだけど、参考意見が聞ければ理も少しは安心するかもしれない。またパニクったらまっちーに任せるつもりで、落ち着いてきたおのっちにもう一度聞いてみる。 「ね、参考までにさ。どう思う?萎える?」 「え?萎え?いえ、別に……てかげん……できるかな」  わあ、まさかの環予備軍か。  すん、て思わず真顔になったけど、真剣に考え始めてしまったおのっち見てたら笑えてきた。予想の範囲内だったのか、まっちーは残りのチーズケーキを頬張った。 「だってさ」 「将宗とあいつは違うだろ」 「そりゃそうだけど。環だって理が大事なんだから、おのっちみたいにちゃんと考えてくれるかもよ?」  理は口をへの字に曲げて、そうだけどそうじゃないかもしれない、みたいな顔をする。信用ねえなあ、環。自業自得だけど。  自分の気持ちにも、理の気持ちにも、環は気付くのが遅すぎた。隠し続けた理にも非はあるのかもしれないが。 「てかげん……?」 「おのっち。悩みすぎ、悩みすぎ」  顎に手を添えて眉間に皺を寄せた、こんな深刻そうなおのっちの顔をオレは見たことがなかった。普段はさわやか好青年だけど、フランス人のおじいちゃん譲りかもしれないハッキリした目鼻立ちのおかげで、だいぶ深刻そうに見える。悩みのタネはえっちについてだけど。  かえってこーいって目の前で手を振ってみるが、戻ってこない。呆れたように一つ息を吐いて、紅茶片手にまっちーがぼそりと爆弾を落とす。 「むしろ、将宗は普段から手加減しすぎだ」 「え?」 「えっ、ちょ、まっちーそこんとこ詳しく!」 「イヤ聞くなよ!」  後ろ頭から襲った理のツッコミは結構な威力で、食べかけのチーズケーキに鼻先が突っ込んだ。 「ん?お、置いてけぼり王子じゃん」  そろそろお暇しないとなーなんて思っていたら、机に出しっ放しにしていたスマホが震えた。電話に出て開口一番、こちらの応答も待たず不機嫌な声がする。 『ここどこ』 「なにその高圧的な迷子みたいな声とセリフ」  このカップル、オレに対して礼儀欠きすぎてないかな。いいけど。その気安さが好きだけど。  オレのツッコミには触れず、声のトーンもそのままに環が愚痴る。 『東京、家ありすぎ』 「ガチ迷子かよ」  なっちまえばなんてことないんだろうけど、ことあるごとに三十路を意識してしまう今日この頃だ。三十路の迷子、字面からしてキツイ。  不機嫌な環を宥めすかして事情を聞けば、一人で調べて電車を乗り継ぎ、最寄駅で降りたはずだが家にたどり着けないでいるらしい。スピーカーモードにして、周りにあるものを片っ端から言わせる。おのっちが出してくれた地図アプリとにらめっこしながら、このあたりだろうと見当をつけたのは二本ほど先の通りだった。 「あー、いい。動くな。迎えに行く」 「オレ行きますよ」 「え、いいよ。理に行かすから」  理は、俺かよって口で言わずに目で訴えてくる。スピーカーモードにしたから話せば環にも聞こえるのを嫌がってだんまりモードだ。そんなことしなくたって、いくらもしないうちに本人とご対面なのに。  いきなり二人で会ったら、環はまっちーたちに挨拶もせずに理を連れて帰るかもしれない。まっちーたちには悪いけど、それでもいいからさっさと二人で話せとも思う。 「もう暗いですし、この辺りは詳しくないでしょう?将宗に任せて大丈夫ですよ」  まっちーの助け舟に、理はあからさまにホッとした顔をした。おのっちは一瞬きょとん顔をしたけど、すぐにニッコリ笑って見せた。  オレとの通話を切って、おのっちが環にかけ直す。半纏からコートに着替えたおのっちを、まっちーが玄関まで見送りに行った。 「いってきます」 「いってらっしゃい」  さすがにちゅーはしないよな。してても不思議じゃない二人だけど。  死角でのやりとりを、理が少し羨ましげに見ていた。もういっそおまえらも一緒に住んじゃえよ、と思わなくもない。  思っても口にしないのは、まだちょっと早いのかな、とも思うからだ。理が言いたいことを我慢しないでいられるくらい、気負わずワガママを言えるくらいになってからじゃないと、また家出騒動が起こる気がする。 「大丈夫そうですか?」  コタツに戻ってきたまっちーが、気遣わしげに声をかけた。理は小さく頷いてみせるけど、大丈夫だと口にはしない。  コタツの中で膝を抱えた理が、聞き取れるギリギリの音量でボソボソと不安要素をこぼす。 「……怒ってた」 「いや、拗ねてただけだろ。怒ってたのは家の多さにだろ」  オレのツッコミに、理は眉間に皺を寄せた。そのまま膝に顔を埋める。  旧家の次男坊の理は、比較的自由に育った。しかし、元々の真面目さのせいか、兄や親の手を煩わせまいとしてか、問題を起こさない優等生だった。派手な頭の色だって、妹の要望があったからだ。  怒られることを嫌う。嫌われることを恐れる。興味のない相手に対しては無関心なのに、大事に思っている相手に対してだと途端に臆病になった。  それでも家出なんてできたのは、心の底では多少なりと追いかけてほしいとか、許してくれるとか、そういう甘えたい気持ちみたいなものがあったからだろう。ちょっと離れないとヤバイ、ていう危機感もあったろうけど。 「んな不安そうな顔しなさんなや。理がぎゅーってしてちゅーってすれば機嫌なんてすぐとれるだろ」 「……それで、済めばいいけどな」 「あっ、襲われるヤツ?」  黙った一瞬、理の目が据わった。なにその顔こわっ。  覚悟するような、現実逃避するような顔は一瞬で、理はすぐにちょっと頬を赤らめた。表情の温度差に風邪引くわ。 「そもそも、そういうのはちょっと」 「いや、ハグとキスくらいはしてやれ?」  苦労しているのは圧倒的に理だろうけど、環の心情を考えるとなかなかに不憫で同情する。理が何もしないというより、何かする余裕がないくらい環がグイグイいってるんだろうなって想像が付くから、同情はしても手助けしてやろうとは思わないけど。  このままコタツムリ化した理を環に会わせても、何も変わらない気がした。なんとなくイチャイチャしたがる彼氏持ちなイメージがあるまっちーの意見も聞いてみる。 「まっちーは?おのっちが拗ねたらどうする?」 「僕ですか?そうですね……隣に座ってどうしたいか言ってくるのを待ったり、手を繋いでみたり、ですかね」 「おのっちはどういう反応する?」 「その時々ですけど、寄りかかってきたり、キスをねだったり……?」 「ほら、ハグとキスは有効っぽいじゃん!普段しないなら尚更効果覿面じゃね?」 「だからあいつと将宗一緒にすんなってば!」 「男なんて大体同じじゃーん。オレだって寂しい時はぎゅーってされてーよ?」 「う」  若干暴論も混ざったけれど、一人楽しいオレのハグされたい欲には思うところがあったらしい。まあ、されたい時はだいたい自分でしに行っちゃうけどね、オレ。 「理さん」  まっちーに呼ばれて、理が顔を上げる。その時、玄関でドアが開く音がした。  ビクリと体を揺らした理に微笑んで、まっちーは優しく声をかける。 「怒ってたり、嫌いになってしまっていたら、迎えには来ないと思いますよ」  家出した子どもを宥める常套句。しかしながら、万人の心を打つからこその王道である。 「心配で、大好きだから来てくれたんじゃないですか?」  気が済んだら帰るつもりの大人の家出だって、迎えに来てほしい、くらいの淡い期待はあるものだ。まっちーの言葉に、理は今更それを自覚したかのように見えた。  声と足音が近づいてくる。立ち上がりこそしなかったけれど、理は恋人を求める顔をしていた。 「おさむぅ……」 「……」  ドアを開けて理の顔を見た瞬間、環の顔が安堵に溶けた。ゆるい顔でふらふらと近寄ってぎゅう、と抱きしめる。  何を言われるのかと身構えていた理だが、環の腕の中で安心したのか、少しずつ体の強張りが解けていった。そろそろと環の背中に手を回して、理は小さく小さく名前を呼ぶ。環にはそれで充分だったのか、いっそう腕に力を込めただけだった。  手加減してほしいと思うほど愛されているのに不安になって、拗ねた恋人を宥めるのすら恥ずかしがって、オレの親友はなんて面倒くさいんだろう。報われなかった二十年を思えばそのくらい甘えたっていい気もするけれど。  名前を呼ぶだけで、抱きしめるだけで、キスをするだけで幸せになれるのは自分だけじゃないってことを、理はわかった方がいい。理だって環を幸せにできることを、ちゃんとわかった方がいい。 「さて、そろそろ帰るか」  ま、それはオレが教えることじゃないだろうから言わないけどね。  ぬくぬくのコタツから出て、ケーキやら紅茶が入っていたカップやらをまとめて流しへ運ぶ。後片づけはおのっちがやってくれるって言ってくれたから、運んで水に晒しただけでジャケットを取りに居間へ戻った。 「泊まっていかれないんですか?」 「んー、パジャマパーティーはしたいけど、誕生日だしね。おのっち、まっちー独り占めしたいでしょ?」 「え?はい……あ!?いえ、そんな!」 「素直か」  仏の顔でツッコんで、コートを着たままのたまきのケツを軽く蹴とばす。人んちでいつまでも離れねーから理ちょっと困り顔になってるじゃんか。 「ほれ、いい加減にしろ環。理で暖とるな。オレは理後ろに乗っけて、理んちで紅茶もらって一泊して帰る」 「えっおれは?」 「電車で帰んな?」 「やだ!今日ずっと一人だったんだぞ!?」 「子どもか」 「うるしーが一人で帰ればいいじゃん!ていうか、おれだって理独り占めしたい!」  呆れすぎてちょっと次のセリフまで間ができた。これ、同い年かぁ。 「普段もほとんど独り占め状態だろーが」 「やだ!」 「基のバイクで帰る」  環が、マンガみたいにガーン!て顔をした。うわー、わかりやすーい。  そんでな、理。環のコートの裾握ってんの見えてるから。オレを選んだように見せかけといて、離れたくなくなってんだろ。離れたくないけど二人きりはちょっとまだヤなんだろ、面倒くせえ。 「帰るって言ってんだからいいじゃねーか」  電車内でこの距離感は理が耐えられないだろうって助け舟を出すオレ、超優しい。  しかし、オレの気遣いなんて知ったこっちゃない環はまだ不満そうだ。そんな環に、善意からまっちーが話しかける。 「環さん」 「ん?あ、誕生日なんだって?おめでとう」 「ありがとうございます。理さんはちょっと心の準備をしているだけです。待ってあげてください」 「真っ、余計なこと」 「なんの準備?」  焦った理の声は、詮索されたくないという意思表示ともとれる。しかし、理のことで環が聞いちゃいけない話なんてないと素で思ってそうな環は首を傾げて詳細を求めた。  親友思いのオレは、後々理が甘えやすいよう伏線を張ってやる。いやーマジでオレ優しー、デキル親友ー。 「素直になりたいんだって」 「基!」 「素直じゃなくても可愛いのに」 「っ!?」  あー、こりゃ完敗だわ、理。心底不思議そうに理は理のままでいいとか言われたらね、真っ赤にもなるよね。  トドメとばかりに、環は上目遣いで理に強請った。 「ね、一緒に帰ろ?」  アホな言動のせいで忘れがちだが、環の顔はイケメンの部類だ。これで落ちない女子そうそういないぞって顔で迫られて、今頃理の心臓は大変なことになっているだろう。  それでも、そんな状態で二人っきりになんてなれないと判断したのか逃げたのか、理は必死に言葉を絞り出した。 「……こ、紅茶、入れてやるって約束したし」 「今飲んでたんじゃないの」 「いや、まあ……そう、だけど」  そこでオレに助け求めんな、理。諦めんの早えよ。意思をしっかり持て。  もうちょっと頑張ってほしかったんだけど、理からそれ以上環と帰らない理由は出てこないし、終いには環に不満げな顔で睨まれた。 「え?なに、家来んなってこと?」 「うん」 「おまえ親友の扱い雑だぞ!?」 「当たり前じゃん。うるしーより理のが好きだもん」 「もん言うな!」 「おまえが言うか」 「どっちの味方!?」  なんということだ。今日一日、振り回されて相談乗って応援して背中も押したのに、突然の裏切りである。  思わず口をついただけで失言だったとばかりに理は顔をしかめたけれど、意識しないで出た言葉なら尚のこと悪い。オレは傷ついた。 「いーよ、わかったよ!邪魔者は一人で帰るよ!おじゃましました!」  くっそ、理もまっちーも今夜は大変なんだろうな!せいぜい愛されて幸せになれ!まっちーは今日買った服着てデート行ったら写真送ってね!  ぷんすこしながら玄関で靴を履く。ガキのケンカ別れみたいな感じにオロオロしてるまっちーとおのっちが見送りに追いかけてきてくれた。  なんと声をかければ、みたいな空気の中、ふとまっちーが思い出したように口を開く。 「あ、そういえば将宗。うるしーさんに乾燥芋もらったぞ」 「マジで!?ありがとうございます!!」  くっそかわいい年下の友人たちを思わず抱きしめてから、オレは一人、バイクに跨るのだった。 了
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