one And Only

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 ショウに初めて会ったテカポで夕食を摂って少し星を見てから帰ったので、家に着いたのは夜も更けた頃だった。  テカポというのは、夜が横たわる場所、という意味らしい。この国に来て初めて見た夜空と変わらず、そこは星々が喧しくおしゃべりしているようだ。  星座はまるでわからないと言ったら、ショウはいくつか星の話をしてくれた。たぶんアレだろう、と目星がついたのは南十字星くらいで、他はショウがどれを指差して話しているのかイマイチわからないままだった。  帰宅して風呂に入り、寝る前に庭先に出てみた。山に囲まれてはいるが、ここでも充分に星は見える。テカポは観光客がたくさんいる分、ここの方がゆっくり見られるかもしれない。 「風邪ひいちゃうよ」  声と一緒に、肩にブランケットがかけられた。振り向くとカーディガンを羽織ったショウが微笑んでいる。  ハチミツ入りのホットミルクを入れたから、と手を引かれて部屋へ戻るよう促される。歩き出しても放されないショウの手は暖かかった。 「……手」 「あー……昼間、シャーリーが羨ましくて。ちょっとだけ、だめ?」  子ども相手にいっぱいいっぱいだった俺を見て、そんなことを思っていたのか。もう来年は三十路だってのに、高校生みたいなやりとりに巻き込まれるなんて一ヶ月前の俺は想像もしてなかった。  手を引かれたままリビングのソファーまでエスコートされる。所作は自然で、他人に触れることに慣れているのがわかった。  寂しいと言って俺を招いたこの男はずっと、もっとこうして関わりたかったんだろうか。誰にも近づきたくなかった最初の頃も、多少慣れてからも、俺がスキンシップを苦手に思っているのを察して、我慢していたのだろうか。 「髪乾かしてないの?……ドライヤー、やってもいい?」  ショウは探り探り、俺の許容範囲を見極めている。この献身に、どれだけ胡座をかいてきたのかと今更反省した。  譲れないパーソナルスペースがあっても、もう少し協力的な態度はとれただろうに。大人気ない、と他人を気遣う余裕なんて皆無だった数週間前の俺に呆れる。  贖罪になるのかは知らないが、その夜はドライヤーもブラッシングも好きにさせた。ホットミルクを飲み終わってもしばらく続いたそれに半分寝ていたが、ショウはとびきり楽しそうに笑い、満足げだ。  俺の髪ってこんなに指通り良くなれたのかと衝撃を受けているうちに、ショウは道具を片付けて隣に座りなおした。仕上がりを確かめるように再び髪を撫でられてくすぐったい。 「……アオ。ぼくは、きみにとって必要な存在になれるかな」  左肩に温もりが触れる。肩に手が置かれ、その上にショウが額をつけた。俺がすぐに逃げられるくらいに体重を預けられる。  まだ迷っているような少しの間を空けて、ショウが一生懸命伝えようと口を開いた。 「ハジメが言ってくれただろう?アオに出会ってくれてありがとうって。ぼくがしたこと、アオには必要だったって」  わっしーと話してから少し押しが強くなった気がしたのは、それを、信じたかったからだろうか。必要ならもっと、それでも俺が嫌だと思わないことをと、ショウは心を砕いていてくれた。 「ただ、ぼくが独りでいたくなかっただけなのに。ただ、ぼくがアオとご飯食べたり、話したり、隣にいたかっただけなのに」  肩を掴む手に少し力がこもる。声が震えそうになるのを耐えているのが伝わってきた。 「迷惑なんじゃないかって。寂しがりのぼくのために、嫌々付き合ってくれてるんじゃないかって」  なんて優しい懺悔だろう。そんな風に悩みながら、あんなに人に優しくできるのか。  がんばってくれていたんだと実感する。俺は、ショウに何を返してやれるだろう。 「……ハジメが言ったこと、俺はなるほどと思った」  ここが居心地がいいのは、ショウがくれるいろんなものが俺に必要だったからだ。  美味い飯も、誰かと話す時間も、外に出て景色を見ることも。要らないと思ってたもの、全部必要だった。ショウに会わなかったら、気づかなかった。  感謝の伝え方も、よくわからないけど。左手でショウの頭を撫でてやった。風呂上がりの、ふわふわの髪が気持ちいい。  ゆっくりとショウが驚いたような顔を上げる。 「必要だったよ。ショウと出会ったこと。迷惑でも、嫌々でもない」  息がかかりそうな距離でそんなことを言うのは気恥ずかしかったけれど、ちゃんと伝わるように、と目を見て言った。ショウの優しさはちゃんと届いているから、もうそんなに苦しそうな顔をしなくていい。  ブルーグレーの瞳が揺れたのを綺麗だと思った時、ぐらりと視界が回る。気づいた時には、ソファに押し倒されていた。  見上げたショウの目はやっぱり揺れていて、目元が少し赤い。逆光で見にくくても、こんなに近くで見ても、変わらずきれいな顔をしているなと感心した。 「キーウィみたいにぼんやりしてると、簡単に捕まっちゃうよ」  抵抗もせず、逃げもせず、退けと罵ることもしない俺をどう思ったのか。ショウはもっと苦しそうな顔で笑った。  一週間前、わっしーに言われて服を剥かれそうになった時はあんなにビビったのに、今は不思議と落ち着いていた。本気で押さえつけられたら勝ち目はないだろうに、怖いとは思わない。  怖がっているのはきっと、ショウの方だ。俺のことを雲みたいだ、と言ったショウを思い出す。  昼間、あんなに騒がしいところにいたのは夢だったかと錯覚しそうなほど、この家は静かだった。昔は賑やかだったんだよと話してくれたのはいつだったか。  家族が遺してくれたものだからと、家も土地も捨てられずこんな山の中に独りきり。この家で俺と過ごしてしまったから、俺が帰る時、ショウはまた置いていかれる絶望を味わうのだろうか。  一人は寂しい、とショウは言った。けれど、優しいこいつはここに誰かを縛りつけたいわけでもない。 「ここにいるのは、俺の意思だ」  同情じゃない。最初こそ流されるように来てしまったけれど、こんなに長くここにいたのは、俺がここにいたいと思ったからだ。  ショウの目が揺れて、泣かれたら俺が動けなくなりそうだと予感めいたものが思考を染める。焦燥をごまかすように手を伸ばしてショウの顔を引き寄せ、溢れそうになる涙を押しとどめるように口付けた。  涙の引っ込んだ目が瞬きして、驚かれているのがわかる。俺も自分の行動に大いに驚いていた。けれど、後悔はない。  数秒の沈黙の後、ショウの目から驚きが消えて、あ、と思った時には唇が塞がれていた。  さっき手を引いてくれた指先が俺の首裏を支えて固定する。右手は頬を撫でて、髪を払い、ピアスを数えるみたいに耳に触れた。  ゾクゾクと背中を這う感覚から逃げたくて体を捩ろうとするけれど、全身に体重をかけられていて動けない。 「んっ、……んぅ」  体も頭も熱に浮かされていくのがわかる。漏れた声をどう思ったのか、ショウは口の端を舐め、下唇をちゅっと吸った。  明らかなお誘いに動揺する。こいつ八つ下だったよな。 明らかに俺より慣れている。学生時代に多少、程度の経験しかない俺が言うのもなんだが、二十歳そこらのガキに主導権持って行かれるとは思わなかった。  キスは止めないくせに、ショウは無理に暴かず俺の了承を待っている。いじらしいとも思うが、吐息が熱くて、あまりお預けするのも後が怖そうだ。  また軽くリップ音を立てられて、目が合った。射抜かれるような、チリチリした感覚が一瞬でつま先まで走る。羊の皮を被った、狼の目だ。  なんだ、そういう目もするのか。俺なんか相手に。必死に求められているのがわかったら、年上の意地みたいなものはすんなり解けた。  目を閉じて、ショウの舌を迎え入れる。少しだけ、さっき飲んだハチミツミルクの香りがした。  ピアスを弄っていた手が耳を覆う。頭の中で水音が響いて、飲みきれなかった唾液が口の端から溢れた。キスって、こんなに気持ちよかったっけ。 「ん、ぁ……ん?」  深く口の中を撫でていた舌が出て行く。指先がまた頬をかすめて、追いかけるようにすり寄ってしまう。 「さわっても、いい?」  ほとんど唇が触れている距離でショウが聞いてきた。お互い男だし、体重はあまりかからないようにしてくれているがショウの体はほとんど俺の上だし、腰のあたりで主張しているものには気づいている。  俺の上の狼くんは苦しそうだ。どこまでスルのか、無理だと思った時に止まれるのかもわからないのに、触るだけだぞ、なんて言葉は無意味な気がした。  なるようにしかならんだろと、ちゅ、と口づけだけで応えてやる。 「ありがとう」  礼を言われるようなことか、と考えているうちに抱きかかえられた。慌てて降ろせと背中やら頭やらをぱたぱた叩く。 「自分で歩ける」 「離れたくない」 「離れるとは言ってない……あー、わかった、ほれ」  抱き上げたまま器用に抱き寄せてくるから、必死に代替案を考えた。手を差し出すと、首を傾げられる。 「エスコート、してくれるんだろう?」  手を繋いでいれば、放した瞬間逃げるとかいう心配もなかろう。そんなことしねえけど。  ショウは数秒考える風だったが、ゆっくりと俺を降ろして手を繋いだ。リビングから出て、ショウの部屋へ向かう。最初に場所を教えてもらった時以来の訪問だ。  自分の足で、行くべきだと思った。俺のためにも、もしかしたら、ショウのためにも。  少しひんやりした室内で、ベッド脇のスタンドライトだけが点けられる。薄明かりの中で、ショウが一切のためらいも照れもなく服を脱ぎ始めた。  惜しげも無くさらされる体は若々しく、貧相な自分の体を見慣れすぎているせいでしばらく見入ってしまった。ショウがパンツにも手をかけようとした時、目に留まったそれに思わず声を上げる。 「なに、それ」 「ん?どれ?」 「あしの、それ」 「ああ、モコ?」 「もこ?」  パンツ一枚でスタンドライトの近くまで来てショウがベッドに腰掛けた。おいで、と手招きされて隣に座る。  ショウの内腿に、糸の束を捻ったような模様があった。暗くてよく見えないけれど、細かい装飾もされている。 「マオリのタトゥーだよ。本格的なものじゃないけど……通過儀礼的な感じでおばあちゃんの知り合いに入れてもらったんだ」 「いつ?」 「寄宿舎に入る前だから……十一歳くらいだったかな。気になる?」  タトゥーなんて、こんなに間近で見たのは初めてだ。触っていいよと言うから指先で撫でてみる。 「……ざらざらする」 「昔ながらのやり方だったから……すっごい痛かったなあ。だけど声出して痛いって言っちゃいけないんだ」  肌に傷をつけるのだから、そりゃあ痛いのだろう。ピアスみたいに一瞬でもない。 「人と人の絆とか、友情とか、愛とか。そういう意味を込めてデザインしてくれたんだって」 「ふうん」 「ふふ、くすぐったい」  今は、独りになってしまったけれど。家族に愛されていたのだと、思い出せるものだったりしたのだろうか。  俺は、ショウの一ヶ月しか知らない。その一ヶ月も、ずっと向き合ってきたわけじゃない。痛みも寂しさも、家族で生きた幸せも、想像することしかできない。  何か、のこしてやれるだろうか。このタトゥーみたいに、寂しくなるだけじゃない何かを。 「わ」 「脱がしていい?」 「あー……全部脱がなきゃだめか?」  無遠慮に内腿を撫で回していたら、落ち着いていた狼が起きたらしい。ベッドに押し倒されて、手のひらが服の下に入ってきた。  耳や頬、首筋にキスを落としながら、腹を撫でる手は止まらない。胸の飾りを何度か指先が掠めたけれど、ああ、なんか触ったな、くらいでショウが楽しめるような反応は返せなさそうだ。  キスは気持ちよかったが、触っても反応がない貧相な体なんて、見てもつまらないだろう。見られるのも触られるのも構わないが、萎えられるくらいなら局部だけ触れるようにすればいい。  もうほとんど着てないし、触ってショウが気持ちいいなら腹でも胸でも触ってやるが、極論、イチモツさえ刺激すれば男の体は快感を得られる場合がほとんどだ。 「その、寒いし」 「すぐにあったかくなるよ」  おっさんか。遠回しに言ってもダメらしい。 「……ショウみたいにいい体はしてない」 「そのままのアオが見たい。全部触りたい」  あ、今の顔はちょっと明るいところで見たかった。拗ねたような、わがままを聞いてほしい顔は俺の首筋に埋められて見えなくなる。  明るいところでナニするのは避けたいが、夜目がきかないから見えなさすぎて少しもったいない。こんな風に思うのは初めてだ。  見るなと言ってるわけじゃないんだってことをどうやって説明しよう。考えているうちに、俺を抱きしめてくるショウの腕に力が篭る。 「ずっと、乾いているみたいな、足りない感覚がなくならないんだ。いつも、満たされたかった……自分が満たされたくて、男の人とする時は抱いてもらうことが多かったんだ。でも…アオは、満たしてあげたい。ちょっと違うかな……ぼくで、いっぱいになってほしい」  太ももに硬いものが押し付けられて、ショウの右手が服の上からケツの間を探るように撫でた。抜き合いすれば落ち着くかと淡い期待もあったが、これは完全にヤる気だ。  掘られてたまるか、なんて強い拒絶がないのが不思議だけれど、無理してヤらんでも、とも思う。挿れるだけがセックスでもあるまいに。 「そういう、欲?気持ち?を、否定はしねーけど……満たす満たされるを物理的にする意味あんの?精神的なものじゃダメなのか?」 「抱いてくれるの?」 「……いや、俺おまえに勃つ自信ねーわ」 「そんな、ハッキリ……」 「あ。ごめん」  素で想像した上に馬鹿正直に答えてしまった。顔を上げて真面目に傷ついた顔をされて思わず謝る。  いくらショウの顔が綺麗でも、見惚れるほどの体をしてても、俺にとってそれは性の対象とは少し違う。かといって、女ならいいのかと言えば、そういう話でもない。 「ちげーよ。プラトニックじゃダメなのかよって話だよ」 「そうなってくれたら、ぼくはとても幸せだよ」 「ん?ならいーじゃん、今のままで」  正直に自分のことだけを言えば、抱きしめられて、キスされて、満足している。むしろ想定外にあれこれされすぎだ。  わっしーに心の内を見透かされて、ショウに対する感情を認めたとしても、ショウが笑ってて、時々話を聞かせてくれるならそれでよかった。こんな生活も悪くないなんて思えたのは十五年ぶりくらいかもしれない。 「今、アオは満たされてる?」  はっきりと聞かれて、言葉に詰まった。イエスと、答えられるはずの問いなのに。  どうして、と考えて、まさか、と思い直す。  今の幸福が思い出になるのが寂しい、なんて。そんなこと、あるはずない。  ずっと、ここにはいられない。俺はいつか日本に帰る。ショウとは、別れる時が必ずくる。最初からわかっていることだ。  だから、一緒に飯を食べて、いろんなものを見て、話を聞いて。思い出があれば大丈夫だろうと、思っていたのに。 「ぼくは精一杯アオを愛してるけど、穴が空いた鍋みたいに注いだ愛が流れてる気がするんだ。……穴は、塞がなくちゃ」 「だから、そこで物理……持ってくんなっつーの」  必死の訴えも、正面から聞いてやれない。発想がおっさんなんだよって、これから先、女を抱くんでも男に抱かれるんでも、引かれるからそういうこと言うなって、言ってやらなきゃいけないのに。  思い出が増えた分だけ、寂しさが募るなんて知らなかった。 「ぼくは、恋人がいる時は恋人としかシないよ。でも、恋人がいなくて、好きな人もいなくて、寂しくて仕方ない時は一晩の腕の中を名前も知らない人に貸してもらってた。体だけでも、抱きしめられる感覚は心の隙間を少し埋めてくれたから」  少しだけ、わかる気がした。抱きしめられるなんて久々すぎて忘れていたけど、確かに違いに特別な感情なんてなくても体は反応して、心は錯覚する。今だけは寂しくないって、ごまかされてくれる。 「おまえ、さ……遊び人歴普通に暴露してるけど、大丈夫?」  自分は落ち着いていると自己暗示するように、努めて揶揄っている風を装った。鼻先を指で弾いて、ショウの手に捕まえられるまでつんつんと突ついて遊ぶ。  少し、安心していた。遊び方を知ってるなら、忘れ方も、立ち直り方もわかっているだろう。 「嘘つくよりいいよ。ぼくはたくさんの人を知ってるけど、アオと出会ってからは、きみのことしか考えてない」 「熱烈だなあ」  ショウの腕の中は切ないほど暖かくて、離れがたい。俺はこれが欲しかったんだと、体が叫ぶのを理性で黙らせる。  大丈夫だ。寂しさが募ったって、思い出が消えるわけじゃない。だから、ちゃんと見ておこう。感じておこう。全部。 「なあ」 「なに?」 「優しくすんなよ」  ずるい大人らしく、笑えただろうか。 「無理な注文だ」  可愛げのないガキが、俺の唇を塞ぐ。  それでいい。なるべく塞いでおいてくれ。  みっともなく離れたくないと喚くより、バカみたいに喘いでいた方がまだマシだ。
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