雨粒は密室に

1/5
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 まさか大学生になり通っている大学の先生と付き合うとは思ってもいなかった。  私、三波アサヒは大学の図書室にある個人学習室で一人もの思いにふけっていた。  この個人学習室は小学校の教室を四つに割った一つ分くらいのスペースの部屋で、机と椅子が2セットとエアコンがあるだけの簡素な部屋で個人の勉強目的または教師からの指導目的のために設けられている部屋だ。  図書室の中に10部屋あり試験期間前と期間中を除けばわりと高確率で即日借りることができる。入り口のドアは一部がガラス戸になっているから外から中が見えてしまうので、ここで何かいかがわしいことをしようなどという生徒はほとんどいないがたまに他の個室に入っているカップルがキスをしていることがある。何度か見たことがあった。  だからといってわざわざはしゃぐことはしない。いや、正確には新入生のころはそれなりに心臓が緊張し羨望のような感情を抱いた。入学したときはまだ十八歳。男性経験どころかキスも、さらにそれどころか異性と手もつないだことがなかった。本当にすべてにおいて処女だった。  あの頃が懐かしい。一緒に登下校すること、一緒に試験勉強をすること、一緒に携帯の待ち受けを設定すること、そして雨の日に一緒に傘に入ること。  すべてにおいて憧れを持っていたがそれらを嫌悪することもあった。あんなことにうつつを抜かして何をしているんだろうと思うことも多く、自分はあんな欲まみれにはなるまいと思ったものだ。  でも今はどうだろう。私は今にも雨が降りそうな外を部屋の中から見上げる。  私は今こんなにも、こんなにも先生が来ることを願い体の芯と欲を熱くさせている。  「雨が降りそうですね、三波さん」  すべてを見透かすような口調は透き通った針となって私の心臓に刺さる。痛いはずなのに苦痛ではない。むしろ快楽を与えてくれるものだ。  泣きそうになりながら待ち焦がれた人の方を向く。  部屋のドアのところにいたのはけだるく立っている痩身で不健康そうな、三十代半ばのスーツを着た男が私を見据えていた。生気がないくせにはっきりとした色合いの黒目の上で伸びた前髪がだらしなく目の上を揺れている。  その目が好きだと思わず口にしてしまいそうになるのは、いつまでたっても色あせることがない衝動の一つだ。私のこの男に対する好きの鮮度は落ちていない。それを確認する目安にもなる。  「そうですね、嵐先生」  なるべく穏やかな表情を浮かべて自分の欲を悟られないように答える。 本当は今すぐにでもスーツをはいで抱きしめたい。そして自分の欲をぶちまけてしまいたいと思っている。欲がぐるぐると回る。  そんな私の熱に反してまるでためすように、大学の講師である嵐マコトはゆっくりと部屋に入ってきて机を挟んで私の前に座った。  大きく椅子を引いて長い足を組んで座るその姿は校内でも「雰囲気がモデルみたいでかっこいい」と話題になっている。しかしそれに続く言葉があり「でも嵐先生は雰囲気だけでよく見るとそんなにかっこよくない」というものだった。  私はそれを聞いて腹をたてるというよりも、心底安心する。  ああ、彼の良さを理解しているのは私だけだ。それはもちろん外見だけではない。彼の内側にあるものすべてを私だけが理解できているのだ。  誰もかれも先生の良さはわからない。この世界で私だけだ先生の良さを理解できるのは。  私にはその自信があった。その自信が今の私を支えているすべてでもあった。    
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!