いざ、BL部へ!

1/5
47人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

いざ、BL部へ!

 人生の転機というのはいくつかある。進学、就職など、人それぞれだろう。  文夏社に勤める西井桃介(にしいももすけ)にとって、まさに今日この日こそがその分岐点だとは、当人もまだ分かりはしなかった。 「うわ……やっぱ、変な感じがする」  出版社に勤めて2年、普段は動きやすいようジーンズにTシャツやパーカー、よくてもスラックスにシャツくらいのもので、スーツなんて入社から新人研修までの数日間くらいしか着ていない。偉い人と会う機会のある人ならいざ知らず、桃のようにまだ2年目のアシスタント止まりには無縁状態だ。  鏡の中の自分は黒のスーツを着て、真っ白いシャツに青いネクタイを締めて立っているが、このネクタイがまた上手くいかない。ノットは歪だし、不格好だし、何より似合わない。吊しの安いスーツが更に安っぽく、リクルート丸わかりな感じが情けなかった。 「俺って、本当に似合わないよな。昔から思うけれど」  身長173cmはチビではないはずなのに、肉付きの薄い体が着られてる感を演出する。更には顔だ、もの凄く童顔。20歳を過ぎても丸みのある輪郭に色が白く、目は縦に大きなはっきりアーモンド型。童顔にも程がある。更には髪だ、ショートカットで顔が見えるようにと前髪は短めだが、毛先が癖で勝手に遊んでる。これは無造作ヘアーとかじゃなくて癖が直らないのだ。  だからってストレートパーマかけたらそれはそれで似合わなかったけれど。 「もぉ、どうして俺ってこんななんだろう」  社会人としても男としてもいまいち決まらない、そんな自分にやきもきしている。 「っと、そろそろ出ないと!」  時計を見ると予定時刻が迫っている。本来はスケジュールに合わせて自由出勤みたいな毎日だが、今日だけは違う。  今日から桃は新しい部署に配属される。その初日、顔合わせとミーティングが2時間後にあるのだ。  会社の寮に住んでいる桃の通勤時間はさほど長くない。最寄り駅までは10分程度だし、そこから電車で一駅だ。駅を降りてから会社までも徒歩圏内。  それでもこんなに早く出社するには訳がある。  桃は……極度のあがり症なのである!!  とにかく昔から自己紹介が憂鬱でたまらなかった。学校で毎年学年上がるとやらされる自己紹介の度に嫌な思いをしてきた。  それというのもこの名前だ! 桃介って…………もう少し何かなかったのか?  この名前は祖父がつけてくれた。我が家には最長老が子供の名前を付けるという、現代では多少時代遅れなルールがある。桃の名前をつけてくれた祖父は「我が家には立派な桃の木があるし、桃は昔から縁起物で、魔除けにもなる」という理由で桃の字を貰い、後は「男の子なら太郎か介か男だろう」という安易な付け方をした。  桃に太郎で桃太郎って、鬼退治になんて行かないし! 桃男も嫌だ。桃男だもん。  それを考えると確かに桃介一択だったのだろう。母が面白がって桃太郎にしなかっただけ感謝だ。  この名前はけっこうからかわれる。それで嫌な思いもした。男なのにあだ名は桃。確かにこれしかないのだが。  そんな事で顔合わせとか自己紹介が大の苦手になり、更には緊張しがちのあがり症まで併発し、初日はボロボロになる。  それを回避するためにも早めに出社して気持ちを落ち着けておこうと思ったのだ。  祖父が就職祝いにくれた時計を腕に、桃は家を出る。そうして人の多い電車に揺られ、お勤め先の文夏社へと向かったのだった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!