第四章(その四)拡散・展開・平行

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第四章(その四)拡散・展開・平行

 一ノ関駅前にあるホテルのラウンジ。  高槻はそわそわしながらコーヒーを飲んでいた。 「久常君は別の用事を頼んだから、今日の観光コーディネーターは高槻くん頼むよ。桜庭君を相手してあげて。」  休み明けの事務所のソファーでだらしなくぐったりしていた。  休みぼけである。  怠惰の代償。  そんなときに蘭圭堂にお願いをされた。  正直億劫である。 「観光ですか? だってもうだいぶ回ったでしょう?」  久常さんが中尊寺や毛越寺、厳美渓、猊鼻渓を案内していたのを聞いていたからだ。 「観光という言い方は語弊があるな。なに地元の喫茶店やそば屋でも案内して、雑談してくればいいよ。君も歳が近いしね。若者を退屈させるのは忍びない。」  なんとなく言いたいことがわかった。 「そんで情報を探ってこいと?」 「そこまで期待しちゃいないよ。強いて言えば時間稼ぎかな。あと会話の内容は録音しろとまでは言わないから正確に覚えてきてくれ。」  急にそんなこと言われてもなぁ。 「それじゃジャズを聴きにべーシーに行こうかな」 「あ、昨日の夜に行ったみたいよ。えらく興奮して絶賛していたよ。」  切り札のべーシーが攻略済みとなるとますます行くところが思いつかない。普段使っている喫茶店を頭に浮かべながら、とりあえず桜庭氏がいるホテルまで来た。  急にふと思い至る。  自分は桜庭氏とは初対面なのだった。  いつも話題にしているから勘違いしそうになった。  挨拶一つで仕掛が台無しになる。  たった今、フロントに鍵を預けた青年が桜庭氏だ。  カットソーが涼しげで、清潔感がある青年だ。  あらためて自分をみる。よれよれのTシャツにディッキーズのワークパンツ。ヒゲも少し伸びていた。こんなことならもっとキチンとした格好しとくんだった。  油断である。 「桜庭さんでいらっしゃいますか?」 言葉を選んで慎重に声をかける。 「そうですが。蘭圭堂さんの知り合いですか?」 「初めまして。高槻といいます。今日はよろしくお願いします。」 「こちらこそ。なんだか申し訳ありません。蘭圭堂さんにお願いしておきながら私は連日遊びほうけている。」  学生という身分ながら細やかな気遣いもある。 「いやぁ。そんなことないですよ。せっかく来たんですから。この街を好きになってほしいですね。とにかくコーヒーでも飲みながら今日の相談をしましょう。」 「はい。」  離れて立ってオーダーを待っているウェイターにコーヒーを頼んだ。 「いろいろ市内を回ってみてどうでしたか?」  死にゆく街という言葉を思い出しながら尋ねる。 「まず東北が初めてだったので良い刺激になりました。ここは私が暮らしてきた土地とは異なる思想に立脚している。それに食べ物もおいしい。」  洞察力が高い。  ここにある史跡は、全てではないが時の中央政権に逆らったものばかりだ。 「ちなみにどちらのご出身で?」  あえて解っていることでも質問を挟む。  これは経験則だが無駄な会話がないと話が進まないものなのだ。  会話の引き出しの多さとは好奇心の多さでもある。  相手の話に興味があるかどうかはすぐわかるしだいぶ心証に差が出る。  コミュニケーションに合理性を求めてはいけない。  それが宮仕えでみにつけたスキルだ。 「神奈川の横浜です。ただ神奈川と行っても皆さん『横浜の?』と必ず聞かれますからね。」 そう言って自嘲する。 「ああ、それは定番ですね。私も今うっかり口にしそうになりましたよ」 と高槻は笑った。話をつなげる。 「神奈川には友人が小学校教諭として赴任しているのですが、不思議な県だと言ってましたよ」  青年は目を見開いて驚いた表情をする。 「初めて言われました。どんなところが変わってますか?」 「気を悪くしたらごめんなさい。悪い意味ではないです。地域によって景色や住民の気質が全く違うと。狭い県なのに……これも良い言い方ではないですが……。すいません。どうしても地元の岩手と比べてしまうので。」  桜庭はなるほどと首肯する。 「岩手県は北海道を除けば一番大きな自治体でしたものね。」 「岩手県でも、市町村ごとの特色や気質の違いはありますよ。でもこのとうりだだっ広いですからね。混じり合う交差地点というのがあるもんです。」 「ちなみにこの一関市の気質とはなんです?」 「うーん。正直に言っちゃうと市の観光課長に怒られそうだなぁ」  苦笑いをしつつも真面目に答えた。 「まぁフレンドリーですよ。外面は。でも少しだけ排他的でもあるかな。なんせですから。」 「ですか」 桜庭は身を乗り出す。 「別に外から来た者を追い返したりしません。ステレオタイプの村八分なんて存在しませんよ。ただ刹那的ともいうのか、人に執着しないんです。」  青年はなんだそんなことかといったように笑う。 「それは私のいる横浜だって一緒ですよ。」 「ちょっと違うんです。大都市は人の出入りが激しいですし、経済的にも恵まれている。出て行った人だってまた戻ってくるでしょう。でもこういう田舎は違う。出て行った者は帰ってきません。」  例えばと続ける。 「ここは仕事ないんですよ。だから近郊なら仙台。まぁ足を伸ばして東京まで行きますよ。仕事がないから両親だって帰ってこいともいいません。ここまではどこの田舎もそうでしょう。でもそうだな。この街で不満なところを口にするとどうなると思いますか?」  数秒考えた後、降参したようだ。 「うーん。ちょっと想像できません。」 「多分こう言われます。『しょうが無いですね。それなら無理しないで他所に住まわれた方がいい』と」 「それは……また……なんというか。直球ですね」 「でしょう? 特に引き留めないのですよ。もちろんそれでも住んでくださる方には友好的ですけどね。これが奥州市や北上市、花巻市と北上していくと違います。『どうぞ是非いらして。大歓迎します。不満があるのでしたら善処します』となるんですがねぇ」 「それは長年住んできた経験則ですか?」 「それもありますが、ちょっと外にでましょう。思いつきですが、ドライブがてら須川高原温泉に行きましょう。レンタカーを用意してます。」  夏の間、奥羽山脈の中ほど霊峰須川岳の温泉が開業している。  それほど高い山ではないがトレッキングコースもあり名所である。  ちなみに『須川岳』とは岩手県一関市側から見た場合の呼称で、宮城県栗原市側からは『栗駒山』と呼ばれる。栗駒山の方がメジャーな名称だ。もう一つ名前があったが、現在人々が口にすることはない。  ちなみに富士山のように所有権争いとは無縁である。  平和な県境線があるだけだ。  少し長距離ではあるが、道すがら話もできる。  街を抜けるために西へ。  後部座席の桜庭氏へ話しかける。 「窓から両サイドをみてください。何か気づきませんか?」 「うーん。あ、どちらも山……ですね。」 「そうなんです。この街は平地が極端にすくない。山間の街なんです。」  大型商業施設は外に外に広がりドーナツ化はもはや問題と言うより常態化して当然のことのように受け入れられている。それでももう造成地はあといくつも無い。 「桜庭さんも見て回られた中尊寺がある平泉町と一関市の間に広大な敷地はあることはありますが、それは遊水地でして。」 「遊水地とはなんです?」 「川が氾濫しそうなときに水位を下げるため意図的に水を放流する土地のことです。」 「なるほど。治水ですね。」 「昔からこの街を流れる磐井川は暴れ川でしてね。堤防などの治水工事が完成するまで毎年水害にあっていたようです。遊水地は普段水田として使っていますが、まさかここに工場や商業施設を建てるわけにはいきません。水没するのが解っているのですから。」  二車線道路が終わる頃にはもう人家が少なくなる。  成人男性二人が車内で黙り込むの変であるのでラジオをつける。  うってつけのカントリーソングが流れる。  牧歌的である。 「さて、話は戻るわけですが、このように大規模な発展が望めない以上、この地に積極的に人を止めておけないと思ってしまう。ですから刹那的……というか執着しないのは優しさなんだと思ってますよ。」 「優しさですか……。」 「時に人は優しさ故に拒絶する。というのは……まぁ身びいきですかね。」  最後は戯けた口調でごまかした。  その言葉に桜庭誠一郎はぴくんと反応する。 「しかし、高槻さんはこの街にとどまっておられる。何故です。」  高槻はハンドルをきゅっと握りしめる。 「何故なんですかねぇ。色々理由はあったんですが、わからなくなってしまいました。」  同時刻。高槻、桜庭一行が須川岳に向かっている途中。  蘭圭堂に新たな事態を告げる知らせが届いた。 『こちら県立病院の斉藤看護師です。笹川さんの携帯電話でしょうか?』 「笹川です。なにかありましたか?」 『精神科病棟ですが、一時間前に桜庭さんが病院から抜け出してしまったようでして」 「はぁ。施錠してある病棟からですか?」 『運動療法で病棟から出ている間だったんです。笹川さんと親しかったようですので、なにか連絡か心当たりがないかと思いまして。』 「確かに、まともに会話したのは私ぐらいでしょうが、検討もつきませんし、彼から連絡もありませんでした。」 『ご協力ありがとうございます。なにかありましたら連絡ください。』  蘭圭堂は電話を切った後、プロフェッサーからアクションがあったことにほっとした。スピーカーモードで会話していたから久常も事情を把握した。 「」 「」 それぞれの場所でそれぞれの思惑が走る。 (つづく)
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