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第四章(その三)幻肢痛
「米軍?」
突然思いもよらぬ方向に話が飛び少なからず驚く。
『そうなんだよ。蘭ちゃん。いかな俺とて銃器もってる警備がいるゲートを突破はむりだよ。』
蘭圭堂は第一回の神原探偵からの報告を電話で受けていた。
「そこにいる軍医に話を聞ければいいんですか?」
『まぁベトナム戦争末期の時代の話だから、知ってる人はもういないと思うんだけど、伝聞でもいいから話は聞いておきたいね。』
「民間人相手に記録は無理だなぁ。そういうのはしっかりしてるから軍関係は。日本じゃなくてアメリカさんだしね。でも話を聞くだけなんとかなるかな。」
ぽりぽりと頭をかく。
「つてはないことはないよ。細くてものすごい遠回りなつてだけど、厚木にまで話は持ってけるかもしれない。」
『なんとか頼むよ。その間、桜庭君じゃなくてプロフェッサーがいた大学にあたってみるよ。ネットで検索しただけだけど院生時代に書いた論文が残ってるらしいし。家にいる母君は最後の最後だな。情報を整理していかないとはぐらかされる可能性があるから。』
ずっと考えたいたことを会話中に思い出し念をおす。
「そうそう神原さん。大事なこと忘れてました。プロフェッサーの写真をメールでおくりますから活用してください。いいですか。関係者には必ず写真を見せて確認してください。」
少しの沈黙のあと神原は確信を込める。
『なにか考えがあるんだね?』
「ええ、私達が認識しているプロフェッサーと桜庭誠一郎が認識している父親。果たしてイコールで結べるのだろか。それをずっと考えていました。別人だとか言う話ではないです。認識においてズレがあるのかもしれない。」
電話切ったあとはコーヒーを飲みながら思案する。自分でドリップしてみたが久常君のようにはうまくいれられない。あとでコツを教えてもらおう。
市営駐車場にとめてある車を使って出かけることにする。
サンデードライバーの会社役員とシェアしている車だ。
趣味人らしく高級外車だ。税金対策もあるのだろう。
平日は好きに使っていいことになっている。
「しっかし、このゴテゴテの内装はどうにかならんのか。」
苦笑しながらエンジンをスタートさせる。
外車に抵抗感はないが、車は安っぽいくらいがちょうどいいと思っているからだ。
手放してしまったロングノーズのシトロエンが恋しくなる。
駅前を通り過ぎて南下する。
桜の木が目印の願成寺前の交差点から屋外のスポーツイベントを一手に引き受ける運動公園の方へ右折する。
今日は何かのスポーツ大会が開催されているのか場外駐車場は県外の大型バスでいっぱいだった。
運動公園をすぎて下っていき、国道4号線のへ左折する。
地元の銘菓亀の子せんべい工場の隣が、自衛隊地方連絡部一関支所だ。
ちなみに亀の子せんべいは半円ドーム状の瓦せんべいに黒いペースト状のゴマを塗ったものだ。
南部鉄器の小皿のような形。
ゴマの部分は甘くて美味しい。
子供の頃から好きで蘭圭堂の茶菓子には必ず常備している。
客人をもてなすなら奮発して近くの松栄堂本店へ行くのだが。
深緑のいかにもな車両が止まっているのでわかりやすい。
車がすべて出払っていないから誰かがつめているようだ。
ちょうどいい。
駐車場のすこし離れた場所に車をとめる。
「おじゃましますよ」
目当ての人がまさにデスクワークをしていたので安心した。
「はい。何か御用……。お!笹川二曹。ご苦労さまであります。」
屋内用敬礼までされてしまった。
しまった。久しく顔を出していないから忘れていた。
これがあったんだった。
「もう除隊して何年になると思ってるんだよ。その呼び方は勘弁してくれ」
「鬼の笹川陸曹がまるくなっちゃってまぁ。寂しいなぁ。」
先程から茶化してくるのは入隊時からの腐れ縁の藤井一等陸尉。
ここの所長だ。
ノートパソコンをパタンと閉じると奥に消えていった。
「茶ならいいぞ。お構いなく。」
「客人に茶の一つでも出さないとな。今の俺は営業職だから」
叩き上げ幹部。
藤井一尉は将来を嘱望され幕僚本部にもいたが、郷里の親の介護のために異動届をだしこちらに戻ってきていた。階級も据え置かれた。
自衛隊地方連絡部は、ほぼ各自治体にあるから実家に帰りたいという一部の人間の人気の赴任先となっている。
もちろん少人数であるからなかなか空きがない。
「親父さんのこと。もう落ち着いたか?」
「お陰様で最後を看取ることができたよ。もう初盆もすませた。」
前にあったときよりずっと穏やかな顔をしている。
「どうするんだこれから。また市ヶ谷に戻るのか?」
「来年の春の辞令次第かな。あとは己の道を邁進するのみだ。」
話が一段落したところで要件を切り出す。
「所長でいる間に一つ頼み事をしたい。」
やっと話したかとニヤついている。
「だろうな。でなければここには来ない。もう制服だって見たくないだろう?」
若い自分を思い出して、チクリと胸がいたんだ。
しかし腐れ縁の利点は余計な説明がいらないことだ。
「実は厚木基地にいる米軍の軍医を紹介してもらいたい。なに防秘の話じゃない。ちょっとした人探しだ」
「いきなり突拍子もないな。しかし基地内は無理だぞ? ここらで交流のある三沢基地ですら無理なんだから」
「やっぱりか」
わかってはいたが、ここで引くわけにはいかない。
藤井という男は頼まれればなんとかしてしまう人間だと知っている。
だからこそ来た。
「公式に訪問という形を取ろうとすると時間がかかる一月じゃきかない。」
「それじゃ困るんだ」
もうひと押し。
詮索はしないがと前置きをした後
「厚木の米兵にプライベートな知り合いがいる。そこからは人類皆兄弟作戦だな。友人の友人の友人ぐらいで目標まで到達するだろう。紹介するまでいいとして本人が合うのを拒否したら無理強いはできない。そこまででいいか?」
充分すぎてお釣りが来る。
「最高だ。食いつかせる餌はもう考えてある。基地の外で会えるのならなんとでもなる。」
「軍医と漠然と言ったって普通の内科医か? 名前は?」
「いや名前まではわからない。精神科医、臨床心理士に従事するもの。米兵は戦場帰りのPTSDに関しての治療は世界最先端だろ?」
「まぁそうだろうなぁ。厚木にいるかはわからないけどな」
他の所員が帰ってくる前に暇をつげる。
「俺の電話番号は変わってない。早速頼むよ。今度酒でも飲もうや」
「もうすぐ新規入隊の試験が終わるから、その頃だな」
「やっぱり盛況か?」
自分たちの頃はなり手不足で半ば強引な勧誘を受けたものだったが。
公務員ということもあって志望者が増えていると聞いたからだ。
「盛況ではないよ。ここにいると少子化がよくわかる。ただ質は変わったかな。体力バカじゃなくて、本来なら大学にいくようなお利口さんが志願してくるんだ。」
「なら防衛大学校を受験させればいいだろう?」
「もちろんそうしてるけど、そっちもそっちで倍率が高くてね。結局は一般隊員でなんてザラにある。ま、水が合えばどんな形であれ出世するさ。」
お茶のお礼を一言つげて後にする。
せっかく車を出したのだから少し寄り道をする。
今度は運動公園へ入って適当な駐車場に車をとめた。
テニスコートと野球場の間をすぎると階段を上る。
アスレチックがテーマの子供の遊具場がある。
それすらも突き抜けて進むと高台に小さな給水塔が立っていた。
この給水塔の上が蘭圭のお気に入りだ。
夜間の入場禁止のロープをまたいでゆっくりと近づく。
この街の夜景が見られる数少ない場所だ。
高層建築やネオンなどないが、一般家庭が灯しだす柔らかな灯りに心を癒やされる。
この灯り一つ一つに無数の物語が存在している。
「桜庭君、君にもきちんと灯りを見つけてあげよう」
そのためにはまだまだやるべきことがある。
そろそろ県立病院の方も動きがあるはずだ。
桜庭誠一郎が来てから三日目の夜であった。
(つづく)
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