編集長の身近な男ー社長、笠井

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編集長の身近な男ー社長、笠井

今日の仕事は予定通り終わった。逢坂は六人の部下全員を連れて編集部を出た。 廊下で笠井出版の社長、笠井誠次(せいじ)に会った。 整髪料で整えている髪は少しも崩れていなかった。 まじめそうな外見だが、よく笑う男だ。逢坂より七歳上で、数年前に父親からこの出版社を受け継いだ。 「よお、お疲れさま」 「お疲れさまです」 全員で頭を下げた。笠井は、コートから覗く逢坂の足を見つめている。 「逢坂。また地味な服を着ているのか」 「今日は会議がありましたから」 「おまえはいつでもそうだろ。黒とグレーしかないのか。ほら、今日のネクタイも青だ。せめて赤にしろ。きつい顔なんだから冷たい色はやめておけ」 笠井が逢坂のコートのボタンを外して前を広げた。部下たちが笑いを堪えている。 会う度に、服装について言われる。 会議などの重要な仕事がない日は、笠井はいつも明るい色の服を着る。海外で買ってくると言っていた。今はツイードのジャケットに、芥子色のシャツとネクタイを合わせていた。 「おまえは顔は悪くないんだから、にこやかにしていたらすぐに女が寄ってくるぞ」 「私は三十八歳です。恋愛は引退しました」 「いくつになっても恋愛は人生の華だよ。そうだろ、みんな?」 「ええ、そうですね」 「社長、いいこと言いますね」 即座に、皆川と中島が返事した。 二人は意味ありげに笑っている。笠井も同じ顔をしていた。 この三人は妙に意見が合う。まとまって、逢坂を笑顔で見つめることが多い。きっと考え方が似ているから話が合うのだろう。 逢坂はコートのボタンを留めた。 「今夜は飲みに行くんです。そろそろ行ってもいいでしょうか」 「お、すまなかった。楽しんでこいよ」 笠井が囁いてきた。 「ひと仕事終えたんだ。乱れるくらい飲め」 「できません」 「ははは。おまえはいつも裏切らない男だなあ」 笠井は笑って背中を叩いてきた。
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