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 私がスタンリーの元へ来てから、四年が過ぎた。  製造から十二年経った。ソフトウェアは彼もよく見てくれて、適切にアップデートされていたが、それでも処理速度としては最新型には到底及ばない。ハードウェアも劣化の兆しが見られてきた。先日メンテナンスに出かけた際、エスペランス社の営業担当が別のバイオロイドを売り込んできたそうだ。 『こちらは不具合も起きている機種ですし、そろそろ人工筋肉や皮膚を全面的に取り換えなければならないでしょうね。生産中止モデルですから特注になりますし、長い目で見れば新しくご購入いただいた方が金額的にもお安くできると思いますよ』  スタンリーは言い返した。 『不具合ではなく仕様の問題ですよね。それに人工筋肉や皮膚は後継モデルとの互換性があるはずですよ。きちんと仕様書にもそう書かれていますが、どちらが間違っているんですか? 僕はこれが気に入っているので、たとえコアチップを取り換えることになったとしてもクラウドのデータが生きている限り使います』  メンテナンス中の私は電源を落とされており、後になって彼からこの話を聞いた時は笑ってしまった。エスペランス社の男は彼をだませると思ったのだろうか? 鮮やかに論破されて、真っ赤になっていたのではないだろうか。  笑いが去ると、私は彼に尋ねた。 「本当に私を気に入ってくださったんですか?」  彼はこともなげに肯定した。 「気に入ってるよ。快適」 「ありがとうございます」  帰り道、彼はスーパーマーケットに寄った。彼の好きな卵とハム、フランスパンを買い、荷物を持って、外に出たところで突然声をかけられた。 「ゼラ!」  スタンリーの声ではなかった。  私は立ち止まり、周囲を見回した。隣の彼が同じく立ち止まって、こちらに向かってくる人影を見ていた。  彼と同じくらいの年頃の男だった。男は私に駆け寄ってきた。 「うわあ、懐かしいなあ。ゼラ、僕のことを覚えてるかい?」  クラウドサーバに接続して探してみたが、この男に関する記憶はなかった。にもかかわらず胸が苦しくなり、あの不安が蛆虫(うじむし)のように湧いて出た。私は寒気を覚え、震えながら、それでもスタンリーの好物を落とすわけにはいかず買い物袋をしっかり抱えていた。 「ゼラ。帰るよ」  スタンリーが私に命じた。彼の命令はほかの何よりも優先される。私は向きを変え、彼の後ろについて歩いた。  男はついてはこなかった。しばらく歩くと、スタンリーが呟いた。 「自分が捨てたバイオロイドに、平気で声をかけられるもんなんだな。それとも捨てたって認識はないのか。返品しただけだもんな。再利用されてるし」  彼は振り返った。 「あの男の記憶はいますぐ消去すること」 「はい。消去します」  私は再度クラウドサーバに接続して、先程の出会いの記憶を消した。スーパーマーケットを出てからここまで、誰とも出会っていない。私はスタンリーとふたりきりでずっと歩いていた。  私は平穏を取り戻した。  その夜、彼は私を抱いた。メンテナンス後は調子がいい。彼の方にもいいようだ。  彼はゆるやかに私を揺らしていたが、ふと動きを止めた。 「ゼラ」  行為の最中に名前を呼ばれたのは初めてだった。だが、彼は楽しそうではない。顔をしかめていた。 「やっぱり名前は変えるべきだったか。なんか気分悪いよな」  私は首を傾げた。 「あなたが呼んでくださる名前なら、私はどんなものでも構いません」  彼は考えていた。 「ゼラって確か、種子――とかいう意味だったと思ったけど。あの男じゃあ、芽が出なかったってところかな」  あの男と彼が言うのが誰なのか、私にはわからなかった。さらに首を傾げていると、彼は小さく息をついた。 「まあ、いいや。名前もそれで定着しちゃったし、いまさら違うのを考えるっていうのもな。もう俺のものだから、あんなの関係ないし」  もう俺のもの。その言葉が私には嬉しかった。彼の首に腕を巻きつけると、彼は私を抱きしめてくれた。  彼が律動を再開して、私は高められる。人間のそれを模したオーガズムが近づいてくる。人間とは違って疑似的なものだから、我を失うことはない。それでもこの時の恍惚(こうこつ)は心地よくて、私は存分に快楽を味わった。バイオロイドに許された限り。彼が私の中に達するのを感じながら。 「幸せ……」  私はずっと彼にとっての快適な存在でありたい。バイオロイドとして必要とされていたい。彼を愛し続けたい。  彼が私に口づけをした。唇があたたかくて、嬉しかったから、私はもう一度を求めた。もう一度。何度でも。彼が応えてくれるなら。 「欲張り」  彼の指が、私の額を突いた。 終わり
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