ドアを叩く手

2/5
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 祖母の指揮のもと、私たちはそれぞれ雑巾をもって掃除にかかった。古い色あせた畳や、ベニヤ板のささくれがひどい押入れの中まで、丁寧にほこりを取り除かねばならないという。掃除機がないため、借りてきたほうきでまずはどの部屋も一通り掃いて、次に畳の目にそって固くしぼった雑巾で磨くのである。気が済むまで拭き掃除をすれば、部屋は次第に息を吹き返したように生き返っていった。  それから、力持ちの祖母が手押し車に乗せて運んで来た布団袋を室内に持ち込んだ。えんじ色の布団袋をしばる白い縄をほどくと、愛用布団が出てくる。ふたつある布団袋を荷解きし、新聞紙を敷き詰めた押し入れにそれらを仕舞う。次に祖母が持ち込んできた折り畳み式の小さなちゃぶ台を置けば、それなりに生活が出来る雰囲気に整ったようなった気がした。  すでに取り付けてある照明は問題なく点灯するし、水道もトイレも風呂場もわりと綺麗だ。ガスコンロだけは買って来なければいけない、と祖母は言って隣の大家さんの自宅まで湯を沸かすためにヤカンを持って行った。カップ麺で昼食を取り、差し入れの麦茶で喉を潤し、日が差し込む南向きの窓際で日向ぼっこをしながらうたた寝した。  こうして、私たちの質素な新生活は始まったのだった。  部屋は玄関を上がると十畳の細長いフローリング。手前に風呂場、台所があって、南側へ行くほど広い。右手に六畳の和室がふたつ並んでいる。それぞれに大きな押入れがある。床はどこもかしこも歩くとギシギシときしむので、おそらく土台の木が相当に傷んでいたように思う。畳はたいらではなくて、足の裏で感じる凹凸はやわらかく、踏むとゆっくり沈んだ。腐った匂いはしないので、畳とはそういうものなのだろうと勝手に納得したのを覚えている。  春休みの間に何度も往復をして、手押し車だけでの引っ越しを完了させたのが四月に入った頃だった。その間、ずっと気になっていたことがある。ここ数日、一度も母の姿を見ていないのである。  祖母は「入院しているよ」とだけ言っていた。詳細な説明などはなくて、あっけらかんとした口振りだ。以前、交通事故の時や心臓発作で緊急入院したときはちゃんと説明してくれたので、その差に猛烈な違和感しかなかった。実のところどうなっているのかとても気にはなったが、気難しい祖母の眉間の皺がずっと深く刻まれ続けていたので、私は空気を飲むことにした。  数日が経った、朝ご飯の時。唐突に「ふみちゃん、退院したんだわ。でも、岩見沢のおばちゃんの家で養生させて貰うことになったから」と、祖母が言った。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!