被食 8日目

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降りしきる雨の中、葬儀はしめやかに行われた。 セレモニーホールが出した『一般のお客様に絶対にバレないように、堅気の格好で来てください』という絶対条件を守るため、紋付袴ではなく、全員漆黒の礼服に身を包んだ男たちは、そこら辺の中小企業の社長の葬儀に参加する社員たちと、同じように見えることだろう。 「桐岡さん」 新組長のくせに、右頬骨体部骨折、左方頬骨弓部骨折により、眼球が陥没しよく見えず、顔中に包帯を巻きながら、受付ホールのソファに座っているしかない桐岡に、椿が近づいてきた。 「生前は父が大変お世話になりました」 潮らしく頭を下げる。 ぼやける視界に長い髪の毛がフワッと流れる。 「お父様にお世話になったのはこちらの方ですよ」 言うと、椿は涙に濡れた顔を上げた。その顔は不思議とはっきり見えた。 ―――なんだ。こんな一丁前に娘の顔が出来るんだな。 包帯で隠れていてよかったと桐岡は思った。でなければ、十以上も離れたこの小娘に、涙を見られてしまうところだった。 「こんなところで言うのもどうかと思うんですけど、もう会うこともないでしょうから」 言うと、椿は後ろを振り返った。 立っていたのは、カフェAtelierのオーナーだった。 「私たち、結婚することにしたんです」 自分の歳の倍以上生きているだろうそのくたびれた男を、椿は嬉しそうに見つめる。男も照れ臭そうに、桐岡に頭を下げた。 「そうですか。おめでとうございます」 言うと、2人は恥ずかしそうに手を取り、 「それでは、またどこかで」 と言うと、ホールから出て行った。 椿の黒いローヒールが、コツ、コツと上品な音を立てる。 桐岡はソファに頭を凭れた。 そりゃあいい。 権利書を偽造する手間も、オーナーを殺す手間も省けた。 陥没し、鋭い痛みが走る目を閉じる。 あれから3日が経つ。 “あの部屋”には以来行っていない。 赤塚から聞いたあの男の名前は、兎本敬一といった。 マスコミによる公式発表はまだされていないが、彼は昨日、恋人である斎藤彩芽という女と、バイト先の先輩である大槻達也の、2名の殺害容疑で逮捕されたそうだ。 殺害現場となった大槻の自宅から、イーパートナーズの借用書が出てきたことで、鎌谷の事務所に捜査が入り、息のかかった警視に頼み込んで丸く収めてもらった。その際に彼から聞いたのだ。 大槻の殺され方は、あの部屋であの男が殺された状況と酷似していた。 つまり、あの男はおそらく、大槻だったのだろう。 ふうと息を吐く。 あの醜男に好き勝手されていたかと思うと、腸煮えくりかえらないわけでもないが、もうその男もこの世にはいない。死刑判決が出るだろう兎本に関しては、感謝こそすれ恨む理由がない。 終いだ。これで、何もかも。 「桐岡さん」 鎌谷が迎えに来た。 「火葬場に向かうバスが出ます」 その手を引かれ、立ち上がる。 目の焦点が合わないため、うまく平衡感覚の取れない桐岡を鎌谷が傘を差し、支えながら歩き出す。 親父は亡骸を見るなと自分に言ったが、これでは見たくても見れないな。 苦笑した口から息が漏れる。 今の桐岡の視力と、感覚が鈍ったその身体では、自分を支える男の欲望に気が付くことが出来なかった。
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