第2章 たぬきのお宿へようこそ

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「お母さん……」  お湯の中で腕を動かし、母の下腹に手のひらを当てた。  ここに自分が入っていた。生まれて大切に育てられ、これからも生きていく。産んでくれた母は、もうこの世にいないけど…… 「いままで……ありがとう」  傷を癒すというお湯の中で、母が佳乃の体を抱きしめた。佳乃は目を閉じ、そのぬくもりを感じ取る。  忘れないように。これからもずっと、忘れないように。 「おおい、そろそろ出よう。お父さんのぼせちゃったよ」  竹垣の向こうで声がした。佳乃と母は顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。 「ご飯にしてもらおうよ。お腹すいた」 「そうね。お母さんもお腹すいちゃった」  母が佳乃の顔を見て、いたずらっぽく微笑む。佳乃も母の前で「私も」と笑った。  これが夢でもかまわない。  たぬきに化かされていてもいい。  いま与えられた、この穏やかな時間を、大切に過ごしたい。  そうしたら明日には、前を向いて歩いていけそうな気がするから。
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