15. 公園

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15. 公園

数日後、今日も規則正しいアラーム音が、退屈な平日の始まりを告げ、僕は当たり前のように目を覚ます。 隣の布団で眠る菅原さんは相当寝相が悪いのか、毎朝身体が布団からはみ出ている。しかし、器用な事に何故だかいつもカワウソのぬいぐるみは絶対に離さず、抱きしめたまま朝まで眠っている。彼に強く抱きしめられ、苦しそうにしているカワウソと目が合う。 「んー………眠い…………」 また彼はこの前と同じ寝言を零した。寝ているのに眠いとは、一体どんな状況なのだろうか。 今日も出かける準備をし、会社へ向かう。引っ越したとはいえ、最寄駅は変わらない。会社で住所変更の申請をした時も、住所が数字の部分くらいしか変わらなくて、総務の人は少し不思議そうにしていた。 お盆期間という事もあり、相変わらずオフィス内は静かだった。割と落ち着いていて、来週の仕事を片付け、18時過ぎ頃にオフィスを出た。 電車に乗り、スマホの画面を開くと、菅原さんからメッセージが来ていた。 『今日も遅くなりそう』 語尾には猫が眠そうにしている絵文字がつけられていた。僕は「了解。気をつけてね」と返信した。 彼は最近忙しいようで、ほぼ毎日帰りが遅い。一緒に住んではいるが、ここ数日彼の寝顔しか見ていない。バンドが活動休止になった理由を話してくれた時の事を思い出してしまい、また少し胸が痛む。 金曜日の仕事の疲れもあり、僕はいつもより早く床についた。電気を消す瞬間、菅原さんの布団の上にいるカワウソと目が合った。まるで飼い主の帰りを待つ忠犬のように見えた。 ベッドに横になると、疲れが一気に来て、僕はすぐに眠りについた。 「…っせぇんだよ!!!」 その暴言を吐く力強い声で僕は目を覚ます。…寝ぼけていた僕は、誰の声なのだろうかと一瞬疑問に思ったが、この部屋には僕と菅原さんしかいない事に気づき、すぐに状況を把握した。 隣の布団で眠っていた菅原さんは、自分で発した寝言に驚いたのか、素早く起き上がる。 「……大丈夫?」 部屋が真っ暗で表情は見えないが、荒々しく呼吸をする音だけが聞こえた。僕は心配になり、声をかける。 「……あ、夢か………」 彼は聞き覚えのある弱々しい声で呟く。まるで先程の叫び声は嘘のようだった。 「…え?」 「ごめん、起こしちゃって…おやすみ……」 菅原さんは何も無かったかのように再び布団に横になり、背中を向けて眠る姿勢になる。そんな彼の様子を見届けてから、僕も再びベッドに横になる。 しばらく経っても眠れず、僕はカーテンの隙間から見える街灯の白い光をただぼーっと眺めていた。 「……木下さん、起きてる?」 「うん、起きてるよ」 「そっか………俺も眠れないや……さっきは起こしちゃってほんとごめん」 菅原さんは身体を僕の方に反転させる。すっかり目が慣れてしまったようで、暗い部屋でも彼の虚ろな表情がはっきりと分かる。 「いや、気にしなくていいよ」 僕はまたいつものように無難な返事しかできず、そんな自分自身にそろそろ嫌気がさしていた。少し前なら「元々他人に興味がないからどうでもいい」で開き直れた筈なのに。 菅原さんの今の様子からして、明らかに何かを抱えている。適当な事は言えないし、あまり踏み込んだ事を聞くわけにもいかない。こういう時、僕はどうしたらいいのだろうか。義務や善意ではなく、何故だか彼の陰鬱な表情は見逃せない。僕はいつの間か心配性になっていたようだ。 再び僕は何を考えるわけでもなく、カーテンの隙間から窓の外を眺めていた。夜空にかかる雲のゆっくりとした動きを目で追う。夜が明けるまでまだ時間がかかりそうだ。 「………ちょっと散歩する?」 何を思ったのか、僕は無意識にそんな事を口にしていた。 「…え?何?急に…」 菅原さんは当然僕の発言に驚いたようで、少し困惑しながらも笑っていた。 午前3時頃、僕と菅原さんは初めて出会ったあの公園まで来ていた。 「ごめん、さっきは急に変な事言って…何か急にここに来たくなっちゃって」 「いやいや、俺もあのまま家にいても塞ぎこみそうだったから…助かったよ」 こんな時間に大人の男2人が、部屋着のままブランコに座って話している光景はどう考えても不審だろうが、幸い人通りは皆無で公園は静寂な空気に包まれていた。 「さっき、親父と喧嘩する夢見ちゃってさ……ほんと散々だったよ……」 菅原さんは俯きながら先ほど見た夢について話す。あの暴言は彼の父親に向けたものだったようだ。 「…お父さんと仲悪いんだね」 「うん…高校の頃に親父と進路の事でかなり揉めたよ。まぁ、クラスメイト全員が国立大目指すような進学校だったから大学に行って欲しかったのは分かるんだけど…でもミュージシャンを目指したいっていう夢は誰にも邪魔されたくなかったし、ひたすら反発したよ…で、やっと夢が叶ったと思ったら結局身体壊して実家に戻って…親父には何も言われなかったけど正直合わせる顔なかったよ…たまにふと思うんだけどさ、俺はあの時夢を諦めて国立大出てそれなりの企業に就職した方が良かったのかなって…それが"普通"の人が望む"幸せ"なんだろうからさ」 彼はブランコを前後にゆっくりと揺らしながら、言葉を選ぶように話し続けた。 「…でも、菅原さんが夢を諦めてたら、今のバンドメンバーとは出会ってなかったし、今まで作ってきた曲もこの世に存在しなかったんじゃない?そもそも、僕らも今頃ここにいないだろうし、僕自身シューゲイザーとか知らないままだったな…少なからず菅原さんから受けた影響は大きかった気がする…」 菅原さんが音楽をやっていなかったら、僕らは出会っていなかっただろう。僕は彼に色んな影響を与えられてきていた事に気づき始める。 「確かに音楽やってなかったら木下さんに出会ってなかったね……それはなんか嫌かも」 菅原さんは少し表情を緩め、柔らかな笑顔で僕を見つめる。何だか久々に彼と顔を合わせたような気がした。 ゆっくりと前後に揺らしていたブランコはだんだん動きが早まる。僕は無意識に菅原さんの動きに合わせてブランコを漕ぎ出す。気づけばお互いかなり高いところまで来ていた。曇りがかった夜空が妙に近くて、宙に浮いて時間が止まっているような感覚だ。 何となく、このまま時間が止まってもいいような気がした。 その後、僕らは家に戻り再び寝る体勢になる。 「じゃ、おやすみ…」 「おやすみ」 菅原さんはテーブルランプを消し、背を向けて眠る体勢に入る。部屋は暗くなったが、夜が更けてきたせいかカーテンの隙間から見える空は先程よりも少し青みかがっている。部屋の中は真っ暗というよりかは薄暗い状態だ。 「ねぇ、(はじめ)、起きてる…?」 しばらくして、菅原さんは背を向けたまま僕の事を下の名前で呼んだ。 「起きてるけど…何だよ急に」 あまりにも急すぎて、僕は笑いながら答える。 「いや、ただ呼んでみただけ。…明日は晴れるかな……」 彼は声のトーンを少し下げてそっと呟いた。どんな表情をしているのだろうか。 「…明日じゃなくて、もう今日だよ」 それから、彼は黙ったままだった。…と思ったら規則正しい寝息が聞こえた。その寝息につられて僕もいつの間にか眠りについていた。
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