1.俺様王子の敵はクラス替え

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 昼休みになるとささっと教室を抜け出す。購買でやきそばパンと紙パックのいちごミルクを買い、靴を履き替えて裏庭へ。  昼食はお弁当なのでみんな思い思いの場所で食べている。でも裏庭は人気がなく、特に裏庭の古い倉庫なんて存在さえ知らない生徒がほとんど。鍵がかかっているけれど古い鍵だからヘアピンを使えば開けられるのだと一ノ瀬くんが言っていた。そういう事情で先生たちのチェックも甘い。生徒たちがこの鍵を簡単に外しているなんて想像もしていないようだ。  わたしが着く頃には鍵が外れていた。ということは中で待っているのだろう。  はっきり言って嫌だ。教室に帰りたい。  しかしできずに来てしまったのは、中でお待ちの王子様が不機嫌になるからである。不機嫌の矛先がわたしに向くならばいいけれど、それが篠宮くんにも飛び火するから申し訳ない。手紙を運んでくれる篠宮くんのためにも呼び出しを無視するわけにはいかなかった。 「……おまたせしました」  扉を開けると埃と土の混ざった匂いが鼻につく。どう考えても居心地悪いだろう汚い倉庫で、穴が開いた跳び箱の上に座っているのは一ノ瀬くんだった。 「遅い」 「これでも購買から走ってきたんだよ」 「購買から、ってことはもちろん買ってきたんだろ?」  早くブツを出せ、と急かすように空いた手が向けられる。購買で買ってきたものを渡せば、あらかじめ用意していたのだろうやきそばパンといちごミルクの代金が返ってきた。  目鼻立ちがくっきりとしていて、目じりは少し垂れ気味。くっきりと浮かんだ涙袋とそのたれ目がよく合っていて、甘め王子様だと女子たちが褒めていた顔つきは、いちごミルクにデレデレとしている。 「美味しいんだよなこれ。助かる」 「自分で買いにいけばいいのに」 「やだよ。買ってるところを他のやつに見られてみろ、翌日からやきそばパンのプレゼント攻撃だ。飯ぐらいのんびりさせてくれって」  空気が悪いどころか長時間いれば具合が悪くなってしまいそうな倉庫で、一ノ瀬くんは楽しそうにやきそばパンを食べている。王子様だと崇めていた女子たちが見れば失神してしまいそうな環境の食事だ。  わたしの視線に気づいたらしい一ノ瀬くんが訝しげに言う。 「なんだよ」 「相変わらず、すごい場所で食べてるなって……」 「それ毎回言うな。早く慣れろよ」 「無理だよ。どうして教室で食べないの?」  そう聞くと、一ノ瀬くんは唇を尖らせてしまった。そういえば初めて呼び出された時もこの会話をしていた気がする。その内容を思い出すと同時に、その時と同じことを一ノ瀬くんが答えた。 「教室だと人が多いから疲れるんだよ」 「一ノ瀬くん人気だもんね」 「バスケ部だからだろ、たぶん」 「わたしのクラスのバスケ部はそんなに人気ないと思うけど」 「篠宮は別枠。あいつはあれで、色々と厄介なことに巻き込まれてんの」  一ノ瀬くん曰く、この場所は篠宮くんから教えてもらったらしい。教室にいると周りが騒がしくて休めず、一人になれる場所を探していたそうだ。きっと篠宮くんも、三年生にいるお兄ちゃんから教えてもらったんだろう。いわゆる、一部生徒に語り継がれる穴場だった。 「篠宮くんが、ここを使えばいいのに」 「あいつは昼休み、他のやつと飯食ってるから」 「そうなんだ? 知らなかった。いつも教室にいないから、誰と食べてるんだろうって気になってたけど」 「……たぶん、上級生のとこだろ」  会話を重ねれば重ねるほど、一ノ瀬くんの機嫌が悪くなっていく。そのうちにむすっとしてそっぽを向いてしまった。  こうなると話しかけても面倒なので、不機嫌を無視してわたしもお弁当を開く。淀んだ倉庫の空気は、室内いるうちに気にならなくなってきた。空気が清浄になったというより、慣れてきただけかもしれない。  穴の開いた跳び箱に一ノ瀬くんが座っていて、わたしは畳んだぼろのマットにもたれかかって座る。同じ中学という共通点だけ。いつも他のクラスで、中学時代に言葉を交わしたのはたった一度だけ。そんなわたしたちが、この狭い倉庫に二人でいることはなんとも奇妙なものだった。  中学時代だって、会話とカウントしていいのか迷うぐらいにあっさりしたやりとりだった。  あれは中学二年生だったか、放課後残って日直仕事であるクラス日誌を書いていた時、教室には誰もいなくてぽつんと一人。そこで開きっぱなしの教室の扉から覗きこんでいたのが一ノ瀬くんだった。もう一人の日直がバスケ部の男子だったから、友達を探してわたしのクラスに来ていたのかもしれない。でもその男子は体調不良で帰っていた。  黒板を見た後、一ノ瀬くんはわたしに訊いた。 『なあ。このクラスの日直って一人?』  それが、わたしと一ノ瀬くんの唯一の会話だった。  しかも至近距離で話したわけじゃない。一ノ瀬くんとわたしはクラスが違うから、彼の上履きは扉のレール境界線を越えられず、わたしたちの間には見えない壁があった。入り込めない他クラスの壁があった。  まともな会話などそれしかなかったのに。そんなわたしがここにいていいのだろうか。人が多いからここに逃げてきているはずなのに、わたしがいたら気は休まらないと思うけれど。 ***
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