序幕

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序幕

「この逢魔時の、しかもこのようなところまでおいでになって何の用ですかな?魏冉殿」 「田文殿、貴方は命を狙われております。 今すぐ函谷関に向かうことをお勧めする」 魏冉は田文の顔を真っ直ぐ見て話した。 わざわざ本人が函谷関の手前の湖邑まで来て詐欺的な事を言うはずがない、と思いながらも田文はわざと半信半疑のような返答をした。 「おやおや、それはまた急な話ですな。 ではお茶などを飲みながらお話を聞きましょう」 「急だからこそ危ない。 いま貴方に死なれては困るし、我が野望の道筋が歪んでしまう」 魏冉の刺すような言葉遣いに田文は首を傾げた。 「自分の野望を優先するのならば、丞相の座を狙うあなたが私の命を奪おうとするのが普通では?少なくとも助けるのはおかしい」 「もちろん丞相の座は狙っておりますが、貴方のような偉人の命をたかだか一国の官位争いで失う事は損失でしかない。 この暗殺命令の向こう側には誰がおいでかおわかりか?」 魏冉は田文を試すように質問した。 「もちろん、あなた以外であるなら彼しかいないし、その向こうにはあの偉大な元王が居られるはずだ」 「なら大丈夫ですね。 函谷関を抜けるのは私がある程度責任をもって保証します。その後は貴方自身の力で斉にお帰り下さい」 「ではこのご恩返しは斉から趙を攻めればよろしいのかな?」 今度は田文が魏冉を試すように見返した。 「いえ、各国の大軍を引き連れて秦を攻めてもらいたい」 平然と答えた魏冉に田文は驚愕した。 「秦を滅ぼせと?」 「滅びはしません。ただ函谷関まで落としてもらえればよい。 その後はこちらでなんとかします」 この言葉に田文の眼差しは疑いに変わった。 恩を売っておいて自国の損を導こうとし、またその着地点がはっきりしない。 突飛であり秦にとって益のない魏冉の提案に大きな危険を感じた。 田文の不信感に気付いた魏冉は一息発し観念した表情をした。 「主父は恐ろしい方だ。 いくら派遣してきた要人を邪魔だてしても彼の思い通りに各国が絡めとられてしまう。 今はまだ実益は出てはないが、この下準備の向かうところはひとつしかない。 中山や燕は長くは保たないでしょう。このニ国が制圧されれば中華は詰む。 この盤面は一度思いっきり叩き潰さないと主父の野望が完遂してしまうと私は思います。 今すぐ主父に怪しまれず叩き壊すにはこれしか思いつきませんでした」 それを聞いて田文の脳裏に各国の情勢や人事が高速で走った。 「確かに…」 「しかも彼の構想の中で貴方は不要な存在であると判断されたようです。 彼を不愉快にさせる為にも貴重な貴方の存在を簡単に消したくはない。 少なくとも秦国の責任では行われてほしくない」
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