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 僕のクラスメイトの彼女を仮にMとしよう。  他意はない。  彼女の人権を守る為に、敢えて匿名にしている訳でもないし  個人情報云々を気遣っているつもりもない。  だけど、M なのだ。  そう―――仮にだ。  イニシャルで呼ぶのが不便ならば  美佳(仮名)でも良い。  その方がキャラクターとして人格を感じ取れるなら、そうしようか。  彼女――美佳が学校を休んだのは春から夏に掛けての  季節の節目で、制服の衣替えを強要された時期だ。  長引くと噂される夏風邪でもない。  インフルエンザが流行っていた訳でもない。  ただ、ちょっと熱を出してしまった。  朝のホームルームで担任がそう・・・当たり前だけど  他人事のように報告したのを僕は覚えている。    クラスメイトがひとりいない、と云うだけで別段変わった報告じゃない。  だから、僕達は無責任だった。  別に責任を問われるような事ではないけれど  勿論、義務や義理を立てる必要もなかったけれど  言葉と云う無責任なモノを垂れ流していたのは、  事実だと思う―――  彼女が休んでから3日目。  誰からともなく「明日、明後日には来るんじゃない?」と云う憶測が飛び交うようになった。  だけど、8日目。  憶測は「大きな病気にも罹ったのかな?」と云う同情に変化した。  それから更に7日後。  美佳が休んでから15日後。  その同情は「どうしたんだろ?怪我?風邪じゃないの?」と云う曖昧な不安に包まれた。  月を跨った18から19日目。  6月から7月へと捲られたカレンダーの所為か  美佳が随分長い事休学しているのを実感した時期。  曖昧な不安は「夜逃げとか?犯罪に巻き込まれたとか?」と云う醜聞交じりの冗談へと代わった。  そして迎えた28日目。  僕達は無責任に「死んだんじゃねぇ~の?」と失笑交じりに囁きあった。  僕も笑った。  冗談半分。  心配2割。  同情1割。  無関心2割。  そんな感じだった。  だけど、その翌日。  美佳が休んでから29日目。  4月だったら日捲りカレンダーの全てを消化していただろう――その時期に  僕は何の前触れもなく、何の予感もなく、何の根拠もなく  突然学年主任に呼び出された。  主任は「美佳くんを無視していたらしいな?虐めか?」と開口一番に問うてきた。  身に覚えがない。  知らない。  そう口走りそうになった。  だけど―――  身に覚えがないと云うだけかもしれない。  そう云うシミュレーションくらい出来る。  こんな僕の頭でも、だ。  自覚がない、と僕が思っているだけで  美佳は痛いくらいにそれを感じ取っていたのかもしれない。  だけど、それほどの仲でもない筈だ。  誰かとの会話に夢中になっていて、美佳を無視した事は間々あるかもしれない。  でも、挨拶をされれば頭ぐらい下げていたし  何か質問でもされれば、無下にせず、適当な相槌くらい返していた筈だ。  つまり―――  逆を言えば  さっきも言ったように、その程度の関係なのだ。  単なるクラスメイト。  友達じゃない。  顔見知り。  その程度。  だけど、無自覚ってのがいけないのだろう。  自分ではわからない分、始末に負えない。  主任もそう思っていたのか  いや、美佳の母親から言伝らしいが―――  謝罪を求めているようだ。  求められている、と言い換えた方が適当かな。  半ば強制的なものだから。  そして30日目。  僕は、何故か菓子折りを手土産にした母と共に美佳の自宅へと向かった。    相変わらず嫌疑については無自覚だったけど  こんな軽い頭を下げる事で多少の効果が在るのなら  恥を甘んじて受ける覚悟はある―――と云うか  ちょっとした労力を割いても何ら問題はない。  それが付き合いってモノだと  社交辞令と呼ばれる儀礼だと  僕は馬鹿なりに理解していたからだ。    美佳の自宅に到着するや否や  僕は深々と  一回だけ  頭を下げた。  だけど、一方で母は壊れた玩具のように  平謝りを  繰り返した。  勿論、それに僕も、無理矢理、付き合わされた。  強引に頭を押えつけられ、何度も頭を下げた。  それじゃぁ―――軽薄だよ、母さん。  などと思いつつも、謝罪する言葉を見つけられない僕は  やっぱり平謝りを繰り返すほかはなかった。  だけど、美佳の母は面を喰らっていた。  いや、謙遜していた。  と云う方が適当だろうか。  「いえ、違うんですよ」  そう口火を切った美佳の母は、僕達の間で生じた齟齬について弁解した。  「要領を得ないんですけど、美佳(仮名)は  『創一(僕/仮名)君が、無視する理由が知りたい』  って言うんですよ。  別に、虐められてたとか――・・・そんなふうじゃないんですけど」  飄々と本人を目の前に語るのだから、美佳の母は事態をそう深刻に思っていないようだ。  一方で虐めの加害者だと云うのが誤解だと知った僕の母は急に態度を柔らかくし  世間話とも、井戸端会議とも、単なる社交辞令とも着かない口調で  「あ、そうなの?!良かった――」  と口にした。    流石の僕の母も  まさか、自分の子供が―――  と云った後ろめたさと疑念を持っていたようだ。  僕達は挨拶もそこそこに彼女の家に上がると  僕だけは、美佳の母に促されるまま、独りで美佳と会う事となってしまった。  虐めていた訳ではない。  自覚もない。  だけど、無視したのは事実らしい―――  無自覚なのが一番始末に終えない。  誤りを、謝るのは、当然・・・・なのかもしれない。  それにやぱっり当事者を前に一回くらい頭を下げないと申し訳ないだろう。  と、思った僕だったが、同級生の女の子の部屋に入るのには勇気が求められた。  軽い頭を下げ、矮小なプライドを上下させるよりも  ずっと、ずっと緊張した。  扉をノックした。  コン  コンコン  「―――どうぞ」  扉の奥から幽かに聞こえた声に促されるまま  僕は溜飲し、気持ちを落ち着かせながら、美佳の部屋へと入った。  ベッド。  本棚。  机。  ラック。  クッション。  ポスター。  人形。  テレビ。  テーブル。  本。  コップ。  花。  僕は思っていた以上に女の子らしくない  普通の部屋に、少しだけ驚いた。  いや、単純に女の子の部屋と云う響きに変な期待をしていただけだ。  そんな僕は、少し窶(やつ)れた表情を覗かせる美佳をベッドの上に見つけると  「ごめん」  と頭を下げながら、搾り出すようにそう呟いた。  無自覚だから、何を謝って良いのかわからなかった。  どんな言葉が、美佳の傷口に爪を立てる事になるのか  どんな態度が、美佳の気持ちを踏み躙るのか  わからなかった。  だから、言葉を選んだ。  結果、何も浮かばなかったんだけど―――  僕は  馬鹿なりに  無自覚ながらも  精一杯  真摯な態度でもって  謝ったんだ。  すると美佳は言った。  「どうして―――虐められている私を無視したの?」  と、今にも消え入りそうな声で  虐められていたと云う事実を告白した。  しれっと  唐突に  何の感慨もなく  すらっと  滑らかに  そう告白した。  正直、返答に困った。  知らなかった。  彼女が虐められていたなんて―――  じゃぁ―――無自覚だったってのは  ある意味、正しかったのかもしれない。  頭を下げなければならなかったのも  当然の事だったのかもしれない―――。  「ごめん  全然  知らなかった」  僕は改めて頭を下げた。  「見て」  そう言った美佳は左腕を隠す袖を捲った。  手首を水平に走る傷。  傷  傷の数々に―――僕は目を見張った。  次いで、脳裏に浮かんだのは  モザイクで人格を消されたリストカッターと云うキャラクター達。  口々に『死にたい』と零しながらも平然と生きている人々。  そんなフィクションと演出が  混沌と混ざり合ったキャラクターと云う記号が  頭の中に浮かんだ。  「―――」  言葉に詰まった。    「体中・・・・痣だらけ」  強い日差しでも射し込めば透けそうな  白いブラウスのボタンに手を掛けてた美佳が  鎖骨の辺りを  肩を  胸元を  僕に見せた。  蒼い  黒い  赤い  そんな斑点を美佳の体に見つけた僕は  やっぱり―――言葉に詰まってしまった。    「どうして、虐めなかったの?  好きだったのに―――」  美佳は崩れるようにしながら  僕の肩に手を宛がうと  何故か  耳元で繰り返した。  「好きだったのに  どうして?」  彼女は僕の耳朶を齧った。  僕はその意図不明の行動に小さな悲鳴を上げた。  腕を突っ張り  伸ばし  美佳をベッドの上へと押し倒すと  僕は数歩後退した。  「な、何をするんだよ!?」  困惑する僕。  笑っている美佳。  クスクス―――  クスクス―――  と、笑う美佳は  一粒の涙を搾り出すように零すと  「ごめんね」  と呟いた。  (完)
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