波間に消える

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忘れられない思い出がある。 小学生だったある年の夏。俺、檞日向(かしわひなた)は祖父の家に預けられた。 今年の始め、父さんが倒れた。 職場で急に倒れたという。救急車で病院に搬送されたという父さんの元に、母さんと共に向かった。 医師からは父さんは癌に侵されている事を言われた。 まだ手術をすれば助かると言われた父さんだったが、頑として手術を拒否した。 「まだやり残した仕事がある」や「手術をすれば日向の学校行事に行けない」と。 一人息子だった日向は、事更に父さんから可愛がられていた。母親が呆れる程に。 父さんの気持ちもわかる。けれども、父さんの身体も大切であった。 俺も母さんと一緒に父さんを説得した。時には、父さんの同僚も一緒に説得してくれたのだった。 ようやく、父さんが手術を受ける気になったのは、夏休みも間近に迫った七月だった。 手術の手続きや用意で忙しくなる母さんから、今年の夏休みは母さんの祖父の家で過ごしてほしいと言われた。 祖父の家には何度か遊びに行った事があった。けれども、一人で行くのは始めてだった。 俺はワクワクしつつも、内心では不安を抱えたまま、船に乗った。 八月の始めの頃だった。 船で一泊したのちに目的の港に停泊した。船から降りると、すぐに迎えに来てくれた祖父を見つけた。 船から降りると、そのまま片手を振って出迎えてくれた祖父の元に走ったのだった。 「よぉ。遅かったな!」 半年ぶりに会った祖父は何も変わっていなかった。二年前、祖母が亡くなってすぐの頃は、ひどく落ち込んでいたが。 「おじいちゃん、久しぶり〜!」 母さんから預かったお土産ーー中身は地元の銘菓だった。を渡すと、祖父は上機嫌になった。 「いや〜。嬉しいね。コレは亡くなったばあさんが好きだった菓子だ」 お土産を大切そうに抱えた祖父に連れられて、俺達は港から少し離れた駐車場にやって来た。 祖父が運転する白い軽トラックに揺られて、俺は祖父の自宅に向かった。 「お父さんの具合はどうだ?」 「薬を飲んでいるからなんとか……。でも、やっぱり具合が悪そう」 「そうかそうか」と運転しながらも、祖父は何度も頷く。 助手席からその横顔を眺めながら、海と自然しかない道を行ったのだった。
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