新しい秩序の構築

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「ちょっと過激すぎるのではないですか」  通り過ぎていく街灯と対向車のヘッドライト。ステアリングを握る池上司郎はバックミラー越しに神代仁の様子を伺いながら、少々遠慮がちに問いかけた。 「そうかね」  神代はどこか面白そうに笑みを浮かべる。  国政選挙の対象年齢を18歳に引き下げたのが2016年。それから数年が過ぎて一般化したとはいえ、投票率は向上することなく、相変わらずの低迷が続いていた。  そんな中、代議士の神代が改革案として出したのが「国籍を持つ者に0歳から選挙権を」だった。  子どもが自立するまで選挙権は親権者の一人が代理人としてその権利を行使するというのは分かる。しかし、そこまでして極端に選挙年齢を下げる意図がよく分からない。 「この国を歪ませているものの原因の一つが少子高齢化だ。若者の政治への無関心は今に始まったことではないが、とりあえず選挙に行って一票を投じてくれる高齢者と得票数を伸ばしたい政治家の利害が一致した結果、この国は高齢者に有利な条件の法律ばかりを作り出すようになった」 「つまり、なるべく若い国民の意見を国政に反映させるための選挙改革だというのですか」 「そうだ。選挙権を18歳にまで引き下げた先輩方の政策を継承し、それを更に拡大しようというわけだ」 「子どもの意思が親の意思と必ずしも一致しているとは限らないじゃないですか」 「そうだろうな。そこは親権者の方々の賢明な判断を期待するしかない。子育ての負担を負って税を納めてくれているのだから。  それにこの法案が通れば、孤児たちへの視線が変わり、彼らの生活環境を改善していくきっかけが生まれていく」 「上手くいくと思いますか」 「無論それだけでは駄目だろう。だから、次の手が必要になる」  池上はちょっと考え「教育改革ですか」と問いかけた。  神代は頷いた。 「この国を覆う閉塞感の正体は、老後の生活ばかりに焦点の当たる政治や社会制度にある。  年金と医療の制度改革や介護福祉に関する政策は、多数を占める高齢者の注目を集めはするだろう。が、それらを優先させるために削られた予算の皺寄せは育児や教育に来ている。  皆が老後や死ばかりを見ていて、これから生まれてくる命や教育を見ていない。だから閉塞感が生まれる」 「都市部における保育施設の不足や保育士の賃金が低いことによる人手不足、大学授業料の高騰など問題は色々ありますね」 「そうだな。だがそれらは予算を付けて制度改革を進めていけば自然と解決していく問題なんだ。  だって不思議だと思わないか。保育園不足はよく耳にするが小学校不足というのは聞いたことがない。保育園と幼稚園、厚生労働省と文部科学省の利権争いが待機児童を生み出す一端になっているのは事実だ。  それに大学の授業料の高騰化や奨学金問題などは国の怠慢以外の何ものでもない。子どもの教育なんてものは一番投資効率の良い公共投資になるんだ。  だってそうだろう? 大学で学ぶ学生の絶対数が確保できれば、より高度な職に付くことのできる人材が増えて納税額が増えるんだから。  海外からの学生を優遇して税金でもてなし、大学を卒業したと思ったら母国に帰られてしまう。そんな効率の悪い投資ばかりしているから成果が出ないし国益が奪われる」 「英語教育の強化や理系教育の重視はよく耳にしたりはしますが」 「英語教育の強化は輸出で売上を上げている大企業のための人材育成という側面と、高齢化と人口減少で外資に期待する日本人の他力本願な部分が出ている。  どうして内部を変えずに外部に期待をするのか。それは人材教育をコストとして考えて投資をせず、手っ取り早く有能な能力をかき集められれば良いという、日本の経済団体の情けなさの現れだ。  理系教育の重視は技術者や研究者を増やし産業を発展させるという目論見もあるのだろうが、文系教育の低迷というデメリットも危惧される。  素晴らしい技術を持ちながら、インドネシアの高速鉄道の受注では中国に負け、オーストラリアの潜水艦の受注ではフランスに負けた事実を忘れてはならない」  神代の発言に迷いはないようだった。  池上は訊ねてみることにした。 「この国の教育に欠けているものは何でしょうか」 「まず思いつくのは現代史だな。日本は豊かで他の貧しい国と違って生活のために職を求めて海外へ出ていく必要がない。無いのは資源くらいで、それ以外のもの全てを国内で賄えるだけの国力がある。  だからだろうが、どうしても海外の情勢や動向に疎いところがある。  他国と付き合っていくのに必要なのはその国に対する事前知識であり、過去に日本とどのような結びつきがあったのかという事実だ。  それを知っておくために現代史の強化は絶対に必要だと私は考えている」 「それはもしかして反日政策を押し進める中国と韓国に対抗するためですか」 「もちろんそれもある。それと同時に国内で平然とデマをたれ流している知識人や大手メディアから国民を守るためでもある」  反原発、人権擁護、戦争反対。何が正しく何が間違っているのか。それらの正誤を判断するのは非常に難しい。  それら案件に対する十分な知識が必要になるからだ。  しかし、人は綺麗な思想に憧れる。  戦争に賛成か反対かと問われれば、すべての人々が戦争反対を支持するだろうが、集団的自衛権が必要かどうかを問われればその支持は割れる。  だから集団的自衛権の撤廃を望む勢力は、集団的自衛権に戦争法というレッテルを貼り、不安を煽って対立構造を作り出す。  こうして無知で善良な人々の支持は、偏った思想を持つ団体への支持にその支持内容を変えて利用されていく。 「現存する企業や団体にとって不都合な内容も現代史には含まれるだろう。  取り上げる事象の内容によっては、歴史修正主義者のレッテルを貼られるかもしれない。  反日勢力はその発言の舞台を国連にまで広げているから、実態をよく知りもしない海外団体が騒ぎ立てるかもしれない。だが、影響が大きいからこそ導入する価値がある。  日本は過去に愚かな戦争をした。  欧米列強からアジアを解放するという高い志を持ちながら、その戦略には無謀なものが多く、戦術においてはあと一押しが足りなかった。  そして敗色濃厚となると特攻だ玉砕だと人命軽視の作戦を続け、結果として230万もの兵と80万を超える民間人の死者を出した。  日本の奮闘によって帝国主義の時代は終わり、植民地として搾取され続けていたアジアの国々が解放されたという側面もあるにはあるのだろうが、私は代議士として、この国の方針を決める立場にある者として、人命軽視の作戦を採った大日本帝国の罪は重いと考えている。  過ちを知りその原因を多角的に考察する力を養うこと。  そして過去に起きた事象から他国との関係性を見出し、自らの立ち位置を理解すること。  国家統制のために日本を貶める国に常に毅然とした態度で立ち向かえるように、歴史の真実を追求し続けること。  現代史を学ぶことの意義はその三つではないだろうか。  もちろんこれには異論や他論があり、教育というものが私の思い通りになるようなものではないことも承知している。しかし、私が発案し推進する以上、この教育改革に私の理念を乗せることは重要なはずだ。  そうでなければ人々の賛同など得られないのだから」  思想は総じて偏っているもの。それが良い悪いに関わらず。しかし、想いには人の心を動かす力がある。その発言者の思想の基である信念に、人は惹かれてその支持を託す。 『池上くん。私は常日頃から政治家ではなく代議士でありたいと思っているのだよ』  出会って間もない頃に彼から聞いた、彼の信念の基礎とも思われる言葉が、池上の脳裏に蘇った。
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