一限目

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一限目

 もうすぐ昼食だ。  教室。午前中の最後の授業。教壇の上では古典担当の井上さつき先生がいつものように熱弁を奮っていた。 「このように吉田松陰が後の世に及ぼした影響は非常に大きい。彼はその過激な発言により危険視され警戒されたが、彼から教えを受けたものたちの後々の活躍を思えば、幕末という動乱の時代におけるその教えの正しさや先見性を知ることができる」  生徒からの評価として見た場合、井上先生はとても厳しい先生の部類に入る。だけどそれは単に生徒たちから嫌われているという意味ではなく、師としての立場を理解した上での畏怖としての評価である。  科目は古典を担当し、クラブ活動では弓道部の顧問を勤め、いつもキリッとした態度でまっすぐに背筋を伸ばしている井上先生は、女でありながらもとても男前で、まるで宝塚の男役のような貫禄というか品がある。  ちなみにそんな井上先生に対して生徒たちが付けたあだ名が『サムライ』。これはとてもピッタリなネーミングだと私も思っている。  ふと右隣の席の南原和博を見ると、彼は教科書を広げながらうとうとと船を漕いでいた。  昨日は遅かったのかな。勉強していて寝るのが遅くなってしまったのではないことくらいは、私でも安易に想像できる。けれど、それにしても井上先生の授業で居眠りとは度胸がある。 「彼がよく用いた言葉に『狂』や『大和魂』などがある。  『狂』とは文字通り狂うこと。または狂った人のことを指しているわけだが、なぜ『狂』なのか。それは幕末という時代における吉田松陰の危機管理意識から生じた言葉であるように思われる。  つまり、激動する時代に対応し未来を切り開くためには他人から見て『狂』と思われるくらいの気概を持つ必要があるという考えである。  『大和魂』は今でこそ愛国心の延長線上にある言葉だが、言葉としては以前からあっても愛国心を意味するような使われ方はしなかった。では吉田松陰が『大和魂』に込めた想いとは何であったのかというと、それは日本人としての誇りであるように私は思う。  つまり、教育者であった吉田松陰は大和魂を用いることによって愛弟子たちに日本人としての誇りを持つことを推奨したわけである。  それはなぜか。答えは簡単だ。開国を迫る米国の存在と、弱腰外交を続ける幕府の姿がそこにあったからである」  黒板にチョークで文字を書く音が静かな教室に響く。  ちらちらと隣の様子をうかがい、見かねた住倉沙織は人差し指で南原の体をつついた。  ツンツン(起きなさい)。  スヤスヤ。  ツンツン(見つかったら大変だよ)。  スヤスヤ。  ツンツン(起きなさいってば)。  スヤスヤ。 「では南原。この問題を答えてみろ」  沙織は自分が指されたわけでもないのにビクッと体を振るわせた。  一瞬にして眠りの世界から戻ってきた南原は、見つかってしまった動揺を隠すこともできずに勢いよく立ち上がった。 「気持ちよく眠っていたように見えたが、この問題が解けたら許してやる」  井上先生の言葉にはどこか今の状況を楽しんでいるような節がある。  そんな井上先生と南原の様子を見守る生徒たちからはかみ殺したような笑いが洩れていた。 「えっと」 「なんだ、問題が聞こえなかったのか。ではもう一度だけ言うぞ。  『身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂。この有名な句で始まる吉田松陰の著書を述べよ』」  問題を復唱してくれたのは井上先生なりの情けだったのだろうが、残念なことに、それでも南原は答えを出すことができなかった。  沙織は仕方なく自分のノートの片隅に質問の答えを書き、それを机の端の、南原の目の付きやすい位置にさりげなく移動させた。  多分それを見たらしい南原は急に自信を持って答えた。 「『留魂録』です」 「うん、正解だ。よく勉強しているな。住倉」  バレバレだった。  一気に室内の空気が和む。  沙織と南原は少し居たたまれない気持ちになってしまった。  薄笑いを浮かべたまま井上先生は講義を再開した。 「留魂録は吉田松陰が刑に処せられる前日に書き上げたもの。つまり愛弟子たちに向けた遺書だ。これが書籍化され君たちが安易に入手できるようになるまでには胸が熱くなるような経緯を辿るわけだが、ここでは割愛する。興味があったら調べてみるといい」  終了のチャイムが鳴った。 「では、ここまで」  井上先生が講義の終了を告げ、日直が号令をかけた。
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