Side「B」 CASEその1 ~最後に母親がしたかったこと~

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「――ダメよ。凛子。お箸を拾いなさい。ねぇ、いつも言っているでしょ。食事の時にはふざけないの。バチが当たるわよ」  そう言いながらも掌が凛子の頭を撫でていた。  ギュと抱きしめると、凛子の小さな耳に唇が触れる。  私はそのまま顔を彼女の後頭部へと動かして、サラサラの髪の毛を鼻先で擦ってから大きく息を吸った。  ああ、凛子の匂いだ。 「ハハハ……ママ、ママ、くすぐったい」  凛子は足をバタつかせて、さらに強く引っ付いてくる。そうやって私は凛子をいつも抱きしめてしまうのだ。  ――昨日の夜だってそうだ。同じ布団で寝息を立てる凛子にそっと身体を寄せてみると、彼女はモゾモゾしながら両腕両足を巻き付けてくる。  そう、その姿はまるで樹木にピタッと吸い付くカブトムシ……。フカフカの小さな身体を殊更強く抱きしめていた。  私は凛子が八歳の頃に離婚した。  地元の建設業で働く彼とは高校の同級生で、いわゆる出来ちゃった婚であった。  ただ、当時を振り返ると怖いものなど無かったように思う。  互いの親の了解も得ずに、一緒になった私たちは、まるで大海を知らない蛙たち――すぐ先のことには思いは足りも、もっと先の未来には想像が届かない。  いや、それは敢えて考えないようにしたのかもしれない。  それでも見上げた空が青いように、私たち家族3人は確かに幸せだった。
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