人間落第

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人間落第

 恥の多い生涯を送ってきたと言った文豪はどれほど恵まれていたのだろう。 太宰治の人間失格を読みながら物思いにふけっている。  静まり返った図書館の一室。 事故の後遺症により、動かし辛くなった右手を見る。 外の雨音に耳を傾けながら、六年前の事故を思い出す。  あれは俺が十五歳の時、祖父母の実家で夏祭りを楽しんだ帰りだった。 もう家族で夏祭りだなんて恥ずかしいという年頃だったが祖父が電話越しに寂しがったので渋々いく羽目に。 「楽しかったね慎司。」 「…別に。」  母が助手席に座って俺に呼びかける。 だが十五歳という思春期真っ盛りな俺は気恥ずかしくて素っ気なく返す。 外は暗く、祭りの帰りの車で渋滞気味だ。 「母さんにそんな態度はダメだぞ。 お前もなんだかんだ楽しんでただろ。 父さんと射的やってたじゃないか。」 「アレは…父さんが…。 俺はそんなことで喜ぶほど子供じゃないって言ったろ!」 顔を真っ赤にして否定すれば笑い声が返ってくる。    このまま穏やかな談笑を続けて家に帰って眠りにつく。 そう信じて疑わなかった。 高速道路を出て、分離帯に差し掛かった時だ。  一瞬にして吹っ飛ぶ体。 脳と胃が強めに揺さぶられる。 「とおさん…かあさん…。」 朦朧とする意識の中、状況を確認する。 後部座席でシートベルトをしっかりしていた俺は辛うじて助かった。 だが、窓ガラスが右手に深く刺さり、感覚がない。 母さんの甲高い悲鳴と車が潰される鈍い音。 運転席に座っていた父さんは悲鳴を上げる前に車の部品が頭に刺さり、大量の血を流している。 そのショッキングな光景が俺が観た最後の光景だった。    次に目を覚ましたのは病院のベッドの上。 背中の痛みと消毒液のツンとした匂い。 頭の中がフラッシュバックし、悲惨な光景を思い出す。 そうだ、帰りの車で事故にあったのだ。 父さんと母さんの安否を気にして起き上がろうとするが手に力が入らない。 (動け!この!) ギプスで固定された右腕を動かそうと必死になるがピクリとも動かない。  冷や汗を垂らしながらもがいていると白衣を着た男性が入ってくる。 「気分はどうかね?」 「父さんと母さんは無事なのですか?! 起き上がろうにも右手に力が入らないのです!」 男性に詰め寄ると彼は一瞬、悲しそうな顔をし、目を伏せる。 「残念だが君のご両親はもう…。」 その言い淀む態度で察した。 父さんと母さんは助からなかったのだ。 そう自覚すると急に金槌で殴られた衝撃が走る。 「じゃあ、なんで俺だけを生かしたんですか…。」 俺だけ生き残っても意味はない。 邪険にはしていたが居なくなって欲しくはなかった。 もし、事故が起こる前に二人に対して素直になっていたら失わずに済んだ? それとも朦朧とする意識の中で二人の名を必死に呼びかけていれば或いは…。 後悔と自責の念に駆られる。 「ちくしょう!」 憤りをベッドシーツにぶつけても父さんと母さんは生き返らない。 付き添いの若い看護師達もすすり泣いている。 同情して欲しいわけではない。 そういうムカムカした感情が湧き上がり、医師を睨みつけ喉奥から怒鳴った。 「…出ていってください。 まだ気持ちの整理がつかないので。」 医者達は少し考えた後、不調を感じたらコールする様にとナースコールの説明をして出て行く。 本来なら検診の予定だったのだろう。 だが、俺にとっては受け入れがたい事実だった。 病室に俺の咽び泣く声が響く。 誰を責めればいい? 加害者がいるはずだ。 そいつが死ぬまで追い詰めれば気が済むのか? いや、復讐など意味がない。 自問自答の葛藤が胃にたまる。 悲しみから怒りへと羽化を始める。 泣き声から怒りの叫びへ変えていく。  そして、空が白んで来る頃。 自分が変わっていく様に笑みをこぼしてた。 夏の終わり、両親を亡くした俺が復讐の鬼へと変貌する瞬間であった。    *    翌日の明け方、外の騒がしさに目を覚ます。 『田中慎司くん! 今の気持ちを一言お願いします!』 『慎司君、今は辛いかもしれないけど一目、顔を見せてくれないかな?』 『君の訴えで世論は決まるんだ!是非、遺族として意見を!』 カーテンを開けて見なくてもわかる。 外の玄関口に記者が虫のように群がっているのだ。 反吐が出る。 世のため、遺族のために無念を報道するのが仕事だと大義名分を振りかざす。 そんな建前は本当は奴らはどうでもいい。 あることないこと脚色し、遺族の言葉という餌が欲しいハイエナだ。 それで視聴率を稼ぎ、遺族のプライバシーを土足で踏み荒らす。 同情を装う声を聞きたくなくて布団をかぶる。 病室内はクーラーがよく効いてて丁度いいくらいだ。    コツコツと誰か近づいてくる足音が廊下から響いてくる。 誰が来ようとも俺は喋るつもりはない。 頑なにシーツを被り、目をギュッとつぶっていると…。 「検温ですよ慎司君。」 医師の声に恐る恐る、シーツを上げる。 「大丈夫、記者の皆さんにはお帰り頂くから。 安心していいよ。」 低く落ち着いた声が鼓膜を揺らす。 その声に俺は冷静さを取り戻した。 「すみません、先生。」 「こちらこそ、外が騒がしくてすまんね。 さ、これを傍に挟んでくれるかい?」 素直に従い、体温を測る。 「大丈夫、私達は患者の心を第一に考えているから易々とメディアに君を晒すということはしないよ。 それよりこれからのことを話話そうか。」 にこりと笑って医師はベットサイドの椅子に座る。 熊のような体躯を少々寄せて座るもので窮屈そうにも見える。 その様子がおかしくて警戒心を少しだけ解く。 「これからのこととは何ですか?」 俺が聞き返すと医師は渋い顔をして口を開いた。 「君の身の回りの世話をしてくれるという親戚が名乗り出てね。 勿論、選択権は君にあるから強要はしないよ。 一度会ってみないかね?」 親戚というと父方の方は交流があったが皆、高齢でとてもじゃないが子供の面倒を見られる親戚はいない。 父方の祖父母も年金暮らしでとてもじゃないが孫を養える環境ではないだろう。 消去法で母方の親戚ということとなる。 母の実家は他県にあり、交流も少ない。 行くには新幹線を経由しなければならないほど遠いのだ。 年に数回、母方の実家に行ければ良い方だ。 そんな顔も朧げな俺を受け入れてくれるのだろうか? もの思いに耽っているとピピっという体温計の音に引き戻される。 体温計を見ると六度4分、平熱であった。 「うん、平熱で結構。 それじゃあご飯食べてから右半身のリハビリだからそれまで安静にしておくように。」 事故の影響で動かしにくくなった右腕を見る。 ギプスで固定されているが右腕自体も動かないのだ。 そのリハビリを少しずつする事を目覚めたその日に説明され、今に至る。 正直、両親の死で頭がいっぱいだ。 俺はうるさい声にため息をついて朝食を待つことにした。 【続く】
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