可愛い人✦side蓮✦

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可愛い人✦side蓮✦

「秋さん……やっぱり何か怒ってるよね?」 「なんも怒ってねぇって」 「じゃあ、仕事で何かあった?」 「……なんもねぇよ」  久しぶりに見た、秋さんの仮面のような表情。  夕飯を食べながら、付き合う前のすれ違いを思い出して、不安で胸がざわざわする。 「秋さん。ちゃんと話してくれないと、俺何も分かんなくて不安になる……」 「だから、なんもねぇって。冷めるから早く食うぞ」  絶対に何かあった。なんで何も話してくれないの……?    俺が帰ってきたとき、秋さんはソファでクッションを抱えて座りテレビをボーっと眺めていた。  ただいまを言っても反応がなく、肩にふれるとビクッと身体を震わせ俺の手を払いのけた。 「あ……おかえり、蓮」 「秋さん……どうしたの? 何かあった?」 「……別に」  顔をゆがめて視線を下げる秋さんは、俺には怒ってるように見えた。  間違いなく機嫌が悪いと思った。  いつもならおかえりのキスをするのに、秋さんはそれを避けるようにキッチンに行く。 「……ごめん蓮、夕飯まだ作ってねぇんだ。先にシャワー浴びてきて」    いつもなら一緒に入って一緒にご飯を作るのに、それすらも避ける。 「秋さん、どうしたの? ……俺、何かしちゃった……?」 「……なんで。なんもしてねぇよ」 「でも……」 「…………」    機嫌の悪い秋さんを見るのは初めてだった。  俺……何かしちゃったのかな……。  思い返しても何も思いつかない。  今朝、行ってきますのキスが長くて怒らせたから?  でもあのときはただ照れて怒っているだけだったはず。ごめんと謝ったら頭をワシャワシャと撫でられた。本気で怒ってはいなかった。  じゃあ仕事で何かあったんだろうか。  いつも穏やかな秋さんがこんなに機嫌が悪いなんて……理由も分からない俺は、どうしたらいいんだろう。  不安で胸が締め付けられる。  シャワーから戻ると、もう夕飯がテーブルに並べられていた。 「ごめん。肉焼いただけなんだ。簡単で悪いけど」 「生姜焼きだ。すごい好き。作ってくれてありがとう」 「ん。食べようぜ」  そう言って俺を振り返ったときにはもう、仮面を貼り付けたような秋さんになっていた。  何度も何度も理由を聞いたけど何もないの一点張りで、「しつこいぞ」と言われたらもう何も聞けなくなった。  せめて俺が怒らせてるのか、仕事で何かあったのかだけでも知りたいのに……。    秋さんがシャワーに入っている間に、キッチンの洗い物を終わらせた。  トイレに行こうと手前の洗面所のドアを開けようとしたとき、中から秋さんの声が漏れ聞こえた。   「あー……マジうぜぇ……」  その秋さんのつぶやきに愕然となった。  やっぱり俺が何かやっちゃったんだ……。  俺が、秋さんを怒らせてるんだ……。  それなのに俺は何も気づかずに、しつこく秋さんを問い詰めた。そんなのうざいに決まってる。  ごめん、秋さん……。理由が何も思い当たらない。自分が何をやってしまったのか全然分からない。  理由も分からないのに、謝っても許してもらえるわけがない。どうしたらいいんだろう。本当に分からなくて途方に暮れた。  ドアの前から動けずにいると引き戸が開いた。  秋さんが俺を見て目を見開き、顔を歪ませた。 「もしかして、聞いてた……?」 「……き、聞こえた……」 「…………悪い。今日は俺……自分の家帰るわ……」  言われた意味が一瞬分からなかった。  俺は秋さんと一緒に住んでいるつもりだったから。たまに秋さんの家にも移るけど、それはいつも二人一緒だったから。  俺の家、秋さんの家じゃなくて、どっちも二人の家だと思っていたから……。   「……い、いやだ」  涙がにじんで視界がぼやける。 「ちゃんと話したい……」 「俺はなんも話したくねぇ……」 「いやだ……お願いだから……っ」 「今日はお前と一緒にいたくねぇんだよっ」 「…………っ」  俺、秋さんに何をしちゃった?  なんで怒らせちゃった?  ちゃんと話をしたいのに、それすらも拒否された。  一緒にいたくないと思わせるほど……何をしちゃった……?  パジャマから服に着替えた秋さんが玄関に向かうのを、ただ茫然と見ていることしかできなかった。  今起こっていることが現実だと思いたくなかった。  このまま行かせたら、もう戻ってこないかもしれない……。  そう思うと怖くて引き止めたいのに、さっきの秋さんの言葉を思い出すと動けなくなる。  俺と一緒にいたくない……そんなんことを言わせてしまった。本当に俺はいったい何をやってしまったんだろう。  思い返しても何も思いつかない。毎日ずっと仲良くやってると思っていたのに……。  玄関で靴を履く秋さんを見て、やっと俺の足が動いた。 「秋さん待って……っ」  手を伸ばせば届くところまで追いかけた。でも怖くてふれることができない。  また払いのけられたら……。これ以上秋さんにきらわれたくない。そう思うと手をふれることもできない自分が、本当に情けなくていやになった。
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