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どうもいけない。
ちゃんと素直になろうと思っているのに、この男がふてぶてしいせいでつい文句を付けてしまう。ふてくされた態度をとってしまう。
それでも近づいてみる。奥村の手に握られたバナナ・オレを目指しながら。
ごつごつした手の中で、黄色の紙パックが妙に小さい。指先が、はっきりと見えてきた。切ったばかりで短い爪も。ひときわ大きな親指の爪も。
怪我した左足を地面につけぬよう、松葉杖を脇に挟んで立っている――その男の、まん前まで近づいた。
「来た。バナナ牛乳、ちょうだい」
顔だけは、どうも間近で直視できない。向こうの胸元に視線をずらして催促していた。襟元が半被のようになっているブルーの病衣をとらえながら。浅黒い肌とくっきり浮かびあがった鎖骨も。
「ほら」
目前に、さっとバナナ・オレが差し出された。
「……貰います」
と手を出したところで突然、目の前からバナナ・オレが消えてしまう。のばした手がお預けをくらってしまう。
黄色い紙パックはなぜか、頭上にあげられていた。
あ。と間抜け声をあげてから、向かいを睨みつけた。
「なに、すんの」
奥村は歯を見せてクッと笑っていた。してやったりという顔。バナナ・オレを、頭の上でひらひらと動かしている。
「ちょっとぉ」
負けじと奪おうとしてみる。
けど奪えない。
取ってやろう取ってやろうとするのに、つかまえる直前で奥村がどこかにやってしまう。手をあちこちに移動する合間合間に、奴の笑顔が見えていた。こ憎たらしい笑顔が。
完全に、からかわれている。
「……ちょっと!」
そう来るなら、もういい。バナナ・オレなんてもういい。
そっぽを向いて「もういらない!」と放とうとした時だった。
こめかみに突然、やわらかな感触がぶつかってくる。横の髪に、あたたかな息が吹きかかってくる。
びっくりした。
こめかみにあるのは、誰かの唇だった。
ロッカーになった小さな冷蔵庫が、奥村の肩の向こうに見えている。ぼんやり、ぼんやりと緑色。
「ちょっかいをさ。かけたくなっちゃうんだよなあ」
唇を離してから奥村が言う。
そっと手首を掴んできて、手の平につめたいものを置いていく。
バナナ・オレだった。
顔が熱い。手の中の紙パックを頬にくっつけて、冷やしてやりたいくらいだった。
「それは」
――それは。
ここでまごついていても仕方がない。
顔が赤いと分かっていても、奴を見なければいけなかった。言わなければいけなかった。
「それは、あたしを、好きってこと?」
奥村の顔が目の前にある。唇からこぼれる息がふわり、こちらの額にぶつかる位置に。
けれど勇気を振り絞ったのに、その表情に変化はない。
そのうえ、しれっと指図されてしまう。
「もうちょっと離れて。小笠原」
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