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「黎が死んだってそこまで悲しまない」
「へ?」
わたしを悲しませたくないと言いながら、それはそれで「なんで?」みたいな顔になった。
「あのときの先輩の奥さんみたいに泣かない。だてに今まで『ただの』幼馴染をやってきてないよ! 依存しないように気をつけながら生きてきた。わたしを幸せにしてやるだなんてただの黎のおごりだよ。黎が死んだ後のわたしの人生にまで勝手に責任持とうとしないでよ。勝手に諦めないでよ」
わたしはわたしの幸せの責任くらいは持つ。
起こらないかもしれない心配事で不安になるなんて馬鹿げてる。人生、損してる。
黎はあっけにとられていたが、やがて、ふっと肩の力が抜けたのと同時に笑って、
「やばい」
そう言って、すぐ隣にいる私を抱きしめた。
「惚れるわ、マジで」
黎の匂いが近くて、涙がまたこみ上げる。でもこれは、きっともう我慢しなくていい涙だ。
私も黎の背中に手を回す。
「その分、今、愛してよ。愛せる時にめいっぱい愛してよ。黎がいつか死ぬ日までに一生分幸せにしておいてよ」
ゆっくり腕をゆるめた黎から解き放たれ、お互いの顔が見えるとわたしの頬に伝う涙を指でぬぐわれる。
「死なない。……死ねないよ。こんな、俺に愛されたがってる円残して、死ねないよな」
「すごい時間を無駄にしてるんだから、わたし達」
「うん」そう言ってまた抱き寄せられる。
「まだ、二回しか抱いてない。こんなに、こんなに長く、近くにいたのに」
そのまま古い畳に押し倒されてキスを受けた。
キスさえ何年ぶりかの何回か目。
人生の何千日を不器用で心配性な男のせいで棒に振ったのだろう。
もう諦めていた。
諦めの中だから完全なる絶望もなくて、完全でない絶望のなかにはまだ希望もある。
わたしがずっといたのは、たとえば海水と淡水が交じる汽水域のような、かぎりなく濃度の薄い絶望と希望の境目だったのかもしれない。
「でもやっぱり」
「……なに?」
長い長いキスで応えた声はとろけている。
そんなわたしを愛しげに見下ろして、
「俺にお前を幸せにさせてくれよ、円」
黎が笑った。
終
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