憑く

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 背中に氷を入れられたように寒気が襲った。背中だけだ。胸はカッと焼けるように熱く、息苦しくなるほどだった。  逃げるべきだということは心臓が叫んでいた。それでも彼女の常闇のような瞳から目が離せない。鼓動がドクドクと強さを増していく。 「……すみません」  声は後ろから聞こえた。 「すみません」  今度は両側から。  耳から両手を離したのに、謝罪の言葉は消えてくれない。それどころか違う声が積み重なり、合唱のように響き合っていく。 「すみません」 「すみません」 「すみません」 「すみません」  聞いたことがある。何度も、何度も、耳にこびりつくほど聞いた。犯した罪を謝る言葉だ。 「今日はとても気分がいいんです。なんでしょう。心が軽いというか、心が跳ねるというか」  目を大きく見開いて、Tさんは、首を傾げた。 「解放されたんだと思います。『すみません』から。知ってますか? 言葉って連鎖するんです。ほら、すみませんって言われたら、すみませんって返さなきゃいけないじゃないですか。すみませんって言ったら、すみませんが溜まるじゃないですか。重くなるんですよね身体が。謝るたびに、重力がのしかかるんです」  何を言っているのかわからなかった。だが、「すみません」の言葉に挟まれて少しずつ少しずつ身動きが取れなくなっていく。 「こういう話を聞いたことがあります。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。五感ですね。この五感のうち、得意な感覚で、人は、怪異を感じ取っていると言われることがあります」  瞬き一つせずに彼女は言った。 「でも、一番怖いのはなんなんでしょう。私はやっぱり、それ(・・)が視えたときが一番怖いと思いますけど、ね」  表情が歪んだ。怒りなのか笑顔なのか、憎しみなのか哀しみなのか、わからない形相で彼女は笑い声を上げた。 「すみません」  私は、そう言うことしかできなかった。 「すみません」「すみません」「すみません」「すみません」ーー
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