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第1話
「幸希さん……本当に今日会うつもりですか?」
「花菜実のご両親にご挨拶しないことには、これからの結婚の準備も進められないだろう?」
(何かもう、昨日から怒涛の展開で……私、目が回りそう)
昨日の土曜日、オルジュでの事件解決から始まり、幸希の家族との初対面、そして初めて結ばれ、プロポーズをされて――花菜実にとっては、何年分ものハプニングやイベントが一日に凝縮された気分だった。
そして今日――今度は幸希が花菜実の両親と初対面をすることになった。
二人はすでに織田家の前に到着している。幸希の車を家の前に停めた後、花菜実は彼に、本気で彼女の両親に会うつもりがあるのかを確認していた。
「そうですけど……」
「――それとも、会わせたくない理由でもある?」
「そうじゃないです! ……ただ、ひとつだけ」
花菜実は言いづらそうに口籠もらせる。
「何?」
「昨日、ご実家に伺う時、幸希さんは咲ちゃんのことを注意してくれたじゃないですか、ブラコンだ、って。うちは……父がちょっと……」
「お父さん?」
「父が、私に関してはちょっと……ううん、かなり過保護で……もしかしたら、幸希さんに失礼なことを言うかもしれないです。今から謝っておきますね、ごめんなさい」
就職のために家を出ようとした時でさえ、散々反対されごねられた。それが結婚なんてことになれば、父が幸希にどんなことを言うのか、今から頭が痛くなってしまう花菜実だ。
何だそんなことか――そう言いたげに、幸希が笑う。
「大丈夫。何を言われても、僕が花菜実を好きなのは変わらない。それだけ君のことを大切に思っているということなんだし、いいお父さんだと思うよ」
その言葉を聞き、花菜実はふと幸希の生い立ちを思い出した。実の母親からの愛情を得られなかった彼の発言は、どこか重みを感じさせる。
「幸希さん……」
「……行こうか」
幸希は優しい笑みで花菜実の頭をそっと撫でると、運転席から降りてきて、助手席のドアを開けてくれた。
「ただいまぁ。お母さぁん、帰ったよ~」
花菜実が玄関を開けて声をかけると、しばらくして奥から尚弥が出て来た。
「おかえり、かな。……水科もようこそ」
「あれ、尚ちゃん……どうしているの?」
尚弥は花菜実のように桜浜市内で一人暮らしをしている。まさか今日、実家で遭遇するだなんて思っていなかったのだが。
「え? 今日辺り水科が挨拶に来るだろうなーって思ってたから、同席してやろうかと思って」
尚弥がニッコリと笑った。花菜実は目を丸くする。
「え、どうして分かったの?」
「まぁ……俺のカン? 昨日辺り諸々の決着はつくと思ってたし、そうなると水科だってかなとの仲を一気に進めたがるだろうし。……あぁほら、またこんなとこにキスマークつけやがって。『花菜実は俺のものだー』っていう意思表示か? ……水科」
「っ!!」
花菜実の耳の後ろを指差し、尚弥が苦笑う。彼女は顔を真っ赤に染めてバッとそこを隠し、そして振り返って幸希を睨めつけた。
(またそういうことするんだから……!)
一方の彼は意にも介さない涼しい表情だ。
「僕が今日こちらに伺うことは、織田なら予想しているだろうと分かっていたから。……まぁ、挨拶代わりだ」
「と、ところで尚ちゃん、お母さんは?」
「あぁ……母さんは“子守り”中」
花菜実が慌てて話を逸らすと、尚弥が家の奥に目配せをしながら言った。
「子守り?」
「駄々っ子をなだめすかしている最中なんだ。悪いな水科、親が出迎え出来なくて。リビングでしばらく待っててやって」
「何だか大変そうな時にお邪魔したみたいだな」
幸希は尚弥に手土産を渡しつつ、若干申し訳なさげに告げた。
「いやぁ……大変そうになったのはおまえのせいだから、いつ来ても一緒だわ。……ま、立ち話もなんだからあがれよ。水科家に比べたらウサギ小屋みたいな小ささなんだろうけど、ここがかなが育った家だ」
尚弥がクスクスと笑いながら、客用のスリッパを幸希の前に置いた。
「ちゃんと出迎え出来なくてごめんなさいね」
二人がLDKに入り、リビングのソファに座ってから少しして、母の敦子が決まりが悪そうに入って来た。
「どうしたの? お母さん。尚ちゃんが子守りって言ってたけど……どこかの子を預かってるの? 私が見ようか?」
子供のことなら任せてとばかりに、花菜実がソファから立ち上がろうとする。
「違うのよ。……お父さんなのよ」
敦子がうんざりしたように言う。
「お父さん?」
「かなが『おつきあいしている人を紹介したいから家に来る』って電話をくれたでしょ? それからお父さんが駄々を捏ねちゃって。寝室に籠もって出て来なくなっちゃったの」
「えー……」
花菜実は口元を引きつらせた。
実家に赴くにあたり、彼女は桜浜の幸希のマンションから予め母に連絡を入れておいた。敦子がそれを父の健一に伝えたところ、彼は花菜実たちの訪問の理由にピンと来たのか、
『ぜぇったい会わない! どうせアレだろ? 「娘さんを僕にください」とか言ってくるやつだろ? 嫌だ! 俺は会わないからな! ただでさえ千里がアメリカで結婚するかもとか言い出してショックだったのに、これでかなまで結婚するなんて言ったら、俺はこの先、何を楽しみに生きていけば……!』
と、完全に機嫌を損ねて布団に潜り込んでしまったらしい。
しばらく敦子がなだめ続け、ようやく復活すると、
『――そっか、「俺よりいい男じゃないと認めない」って言ってやればいいんだな。それなら完全勝利出来る!』
カナダ人とのハーフである己の美貌を自覚している健一は、自信たっぷりにそう発言した。
しかし尚弥から大学の卒業アルバムを見せられた上に、幸希の類まれなスペックを聞かされた彼はあっさりと完全敗北を悟り、布団へと逆戻りしてしまったらしい。
『尚弥! どうしてお父さんの出鼻をくじくようなことをするの!』
『本人に会ってショック受けるより、前もって知っておいた方がいいと思って』
母にたしなめられた尚弥は、平然と言い放ったらしい。
「尚弥が俺に任せろって言ってくれたから、あの子に任せてきちゃったけど……本当にごめんなさいね。えっと……水科さん、だったわよね。尚弥の同級生なんですって?」
「突然お邪魔して申し訳ありませんでした。水科幸希と申します」
「花菜実の母の敦子です」
幸希と敦子が挨拶をし合っていたその時、PCを小脇に抱えた尚弥がリビングに入って来た。
「父さん、顔洗ったら来るってさ」
「尚ちゃん……どうやってお父さんを説得したの?」
花菜実が尋ねると、尚弥は彼女に近づき、耳元で、
「ナイショ」
と囁き、笑った。
後に母が教えてくれたのだが、尚弥はふてくされる父に淡々と言い聞かせたそうだ。
『かなの彼氏に一度も顔を合わせないなんて、それってもう不戦敗だな、不戦敗。カッコ悪ぃ~』
『このままじゃ父さんのせいで愛娘が赤っ恥かくことになるけど、それって父親としてどうなの?』
『挨拶も出来ないような親が育てた娘なんて推して知るべし、ってあちらのご両親に言われちゃうかもしれないかなが可哀想だなぁ……』
そして最後には脅迫めいた言葉を、低い低い声で吹き込んだらしい。
『……この先、かなが泣き暮らすことになったら、俺も千里も黙ってないよ? 父さん』
(尚ちゃん……きつい……)
それを聞いた花菜実は、自分はもう少し父に優しくしてあげようと心に決めた。
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