1章-6 新しい生活

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 放課後は玄関で迎えを待つ。  外をウロウロしながら迎えを待っていて、万が一誘拐でもされたら大変、と言う…過保護と言えば過保護のような、でも、そこまでせざるを得ないからそうしているという決まりがあった。  蒼も、そこは無駄に逆らってもしょうがないと、玄関前の葉が生い茂る桜の木の影が差す場所で待つ。  スマホの位置情報を見ると、一馬の位置が徐々に学校へ近づいてくるのは気のせいだろうか…? 「ア~オ兄っ!」  そこへ、白いセーラー服姿が眩しい雅が現れた。  長い黒髪をきっちりひっつめてポニーテールにしているから、はっきりとした目鼻立ちがより強調される。    兄の成長を阻害するほどの強いα。  相変わらず元気な姿にホッとする。 「久しぶりに学校、どうだった?疲れた?」  変わりなく話しかけてくれることが、嬉しい。 「ああ、うん、大丈夫。ちょっと…いろいろあったけど」  みんなに驚かれたり、αにモテまくったり…正直、授業よりそっちの方が疲れた。 「母さんたちは…どうしてる?」  蒼は気にかけていた家の事を雅に聞く。 「うん、お母さんは寝込んで、サト兄は引き籠りしてる」  シレっとした顔で雅が言うが、蒼は驚いて固まる。 「大丈夫よ、そろそろ私が引っ張り出すから」  雅はいつも頼もしい…。そう言われると、母と兄のことは雅に任せておけば大丈夫な気がしてくる。  だが雅の方は、首輪をしてΩであることを受け入れて生きていこうとする兄の姿に、家の中がメチャクチャだなんて言って心配をかけるわけにはいかないと思っていた。 「雅が居てくれると、安心だな」  一馬も一目置く女子高校生の雅。男子からも女子からも人気があり、モテる。  自分のモテ期は一過性のものだろうけれど、雅のモテ期はずーっと続きそうだ。 「うちのことより、一馬さんは大丈夫なの?」 「…?」  雅の心配の理由が、蒼にはわからない。 「ほら、緑川グループへの融資の話。結局それだけじゃ済まない状態だったみたいで。一馬さんが利益の上がらない赤字続きの会社を整理したことで、グループとしての規模は小さくなったし、もう財閥って感じでもなくなったけど、お父さんの仕事が順調に進むようになったのよ」  テレビ見てないの?と雅は言いながら話を続ける。 「お父さんが切り捨てられずにいたお祖父ちゃんの代からの使えないα役員を、一馬さんがバッサリ切ってくれたのよ。整理しちゃった会社の社員たちは、地方へ行くことを選んだ人もいるけれども、ほぼほぼ納得する再就職先に行けたし」  あれ?なんか、そんなような話を昨日今日、耳にしたような…? 「強引すぎるリストラだの、緑川を乗っ取る気だのって叩かれているけれども、こっちはありがたいと感謝しているのよ。リストラされたジジイαにしてみれば、面白くないだろうけれど、同族でαってだけで、自分の地位にいつまでもしがみついてロクな仕事していない穀潰しだったから、お父さんは内心助かったと思っているのよ~。あのままだと、本当に潰れて自分たちだけじゃなく社員も路頭に迷わせるところだったわけだし」  祖父母の兄弟姉妹だというα至上主義に凝り固まった親戚たちの顔が目に浮かぶ。あの中にいたら、Ωの僕はなんて言われたんだろう…と考えると、背筋がゾワッとした。 「かなり急で強引だったから、テレビやニュースでさんざん一馬さんが叩かれることになっちゃったけれども、お父さんも私も、会社の人たちも感謝しているのよ。一馬さんが非難されていることに対して、私たちが反論しようとしたんだけれども、マスコミにあれこれ詮索されて、アオ兄のことを嗅ぎつけられるのは避けたかったみたい。このまま余計なことは言わずに収まるのを待ちましょうって。それよりも、会社を立て直す事に専念してくださいって言われちゃった」  蒼は自分がテレビもネットニュースも見ないでいた間にそんなことになっていたのかと驚く。 ――仕事が忙しいって…それだったのか?! 「下手なフォローなんかいらない人なのかもね~」  雅は憧れの人を見るような目線を桜の枝ぶりに送った。  夏の蒸し暑さをかき混ぜるように吹く風に、葉が揺れる。  木陰はいくらか楽だが、日向を歩いたら焦げそうだ。  桜の葉を揺らす風に、ふんわりと微かにベルガモットの香りを感じて蒼は西門の方を見た。  そこに居たのは、雅と話題にしていた東郷一馬の姿だった。  うだるような暑さの中でも三つ揃いのスーツを着こなし、ネクタイをキッチリと結んでいる。  夕方になっても乱れないオールバックの髪は何でセットしているのだろうか?洗面所にはそれらしき整髪料を見かけなかった。 「ごきげんよう、一馬様」  雅がにこやかに挨拶をする。  とても、父の会社をリストラさせ、お金を借りた相手に見せる顔とは思えない…。 「ごきげんよう、雅さん。お兄さんと何のお話かな?」 「帰ろうと思ったら見掛けたので。貴良さんを待っているのかと思ったら、今日のお迎えは一馬様だったのですね」  一馬の首から下げた入校許可証を見て、雅が言う。 「普通、一馬さんくらいの人なら、使用人とかが迎えに来るんじゃないの?」  雅が蒼に耳打ちする。 「よくわかんない。お弁当も一馬さんが作ってくれたし…」  それに、蒼がコソコソと返すと、 「えっ?!お弁当?!」  と、驚き過ぎて大きな声になる。 「…?足りなくなかったか?」  一馬は驚く雅に首を傾げたが、蒼に聞く。  蒼は頷くだけだった。  自分の知らない間に家が大変なことになっていて、それを一切知らずにいた。その張本人を目の前にして、どんな顔をしていいのかわからない。  しかも、貴良が迎えに来ると思ったら、まさかの一馬。  不意打ちを食らったようで、居心地が悪い。 「アオ兄、少食でしょ?」  雅がクスクスと笑いながら一馬に話しかける。 「好き嫌いもけっこう多いから、よろしくお願いします!」  お前は母親か?!と、蒼は突っ込みたかったが止めた。そんな気分ではない。  「それでは、ごきげんよう。お兄、またね!」と、雅はグレーのプリーツスカートを翻して、帰って行った。  雅の去った後には、カモミールローマンとローズを混ぜたような、蒼に似ているようで、全く違う華やかな香りが残った。 「今回は予定よりも早めに発情期に入ってしまって」  雅を見送る蒼の頭上から、静かに低い声が響く。  発情期中のΩの側に居ると、他のΩの発情を誘引することがある。貴良の休暇が早まったのは発情期中の蒼の世話をしていたせいかもしれない。  早まったからと言ってさほど影響は無いのだが。  ただ、貴良が蒼を心配して迎えに来たがっていたと一馬が伝えると、蒼は寂しそうに俯いた。  一馬が迎えに来るのに乗ってきた車は、2シーターのスポーツカー。まさか自分で運転してくるとは思ってもいなかった蒼は、驚いて乗るのをためらった。  いやいや、東郷一馬が自分で運転?!そこは運転手付きの黒塗りのデカい車じゃないの?!と、思ったのだが、目立つのを嫌がった蒼への気遣い…なのかもしれない。 「どうぞ」  と、言って助手席のドアを開けてくれる。そうやって女性とデートをしたこともあるのだろうか…?と、ついつい心の中で詮索してしまう。  教科書の入った重いリュックを背中から降ろし、前に抱えると、おずおずと助手席のシートに身を納める。  運転席に座った一馬の視線が、蒼の耳の辺りで止まる。そして、そっと首筋に触れた。 「…これは?」  蒼はハッ!として、首を抑え、一馬を見る。 「ノッ…ノアが…、マーキングしてもらって来いって…。僕があんまりにもαに声を掛けられるから…」  目線を反らして、耳まで真っ赤にしながら蒼は、首筋に付けられたキスマークの痣の説明をした。  一馬が「フッ!」と、吹き出し、お腹を抱えて笑う。 「いや、笑い事じゃなくて~。休み時間の度にA組の女子に呼び出されて、大変だったんですから!…ああ、呼び出されても人気のないところへ連れて行かれないようにはしましたよ!もぉ…何なんですかね、僕がΩになった途端に…」  蒼は口を尖らせて不貞腐れるが、一馬はそんな顔も可愛く見えることに、 「…やれやれ、自分の魅力に気が付いていない子は、世話が焼ける」  と、独り言を呟いた。  笑いが収まると、一馬はゆっくりと車を自宅に向けて走らせる。  交差点の信号待ちで、ネクタイを緩め、シャツのボタンを1つ開けた。  助手席から見た運転中の一馬はドキドキする。 ――何だろう…この女子目線なドキドキ。   と、蒼は自分の感情に呆れつつ、一馬を盗み見る。  もし、自分がαだったら…。  今日、告白してきた誰かと付き合うのだろうか?  車を運転することがあれば、好きな子を助手席に乗せて、こんなにもカッコよく車を運転するのだろうか?  何をしていてもカッコ良くて、どこにいても絵になり、仕事も何でもできる…。  蒼が憧れていた姿がそこにあって、もう、自分には届かない理想なんだと思うと少し悲しかった。 「寂しいか?」  一馬が、外を向いたまま黙り込んでしまった蒼に声を掛けた。 「平気です」  蒼はそれだけ答える。貴良が居ないことが寂しい?家族と暮らせないこと?送り迎えをされて自由が減ったこと?何に対しての寂しいなのだ?  一馬は蒼の気持ちに踏み込もうとすると、目の前でシャッターを下ろしたように感情を閉ざす事が歯痒かった。
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