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 秘書のデラが案内してきた依頼人は、四十前後の上品な婦人だった。 「ペリー・サトウです」私は握手して、椅子を勧めた。「お名前は、ミズ・クローリィー。依頼はご主人の素行調査ですね?」  デラから渡された顧客ファイルを見ながら確認すると、ミズ・クローリィは強張った表情で頷いた。探偵社を訪れる女性は大概こうだ。 「ご主人は……ジョン・クローリィー……」その名前に聞き覚えがあった。「ひょっとして、ジョン・クローリィー博士? 理論物理学者の」  再びミズ・クローリィーは頷いた。  私立探偵である私が物理学に詳しい訳ではない。つい最近ジョン・クローリィー博士は大発明をして話題になったのだ。もっともその中身は最先端すぎてチンプンカンプンだったが、ノーベル物理学賞級の業績だと言う。 「そうですか。あのクローリィー博士の素行調査……いわゆる浮気調査ですね?」 「ジョンは……あの人は、昔からもてました。浮気も一度や二度ではなく……」  ミズ・クローリィーはいつの間にかハンカチを握り締め、皺の目立ち始めた目尻を抑えている。女性たちがハンカチを魔法のように取り出す技術には毎回驚きを禁じ得ない。  私はデスクのPCで博士の写真を検索してみた。確かにハンサムだ。豊かな栗色の頭髪、柔らかそうな顎髭、きりっとした目元に高い鼻梁。これで頭が切れたらさぞモテるだろう。 「でも、今回は浮気ではなさそうなんですの」  ミズ・クローリィーの青灰色の目に、怒りが煌いた。
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