一年半前

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一年半前

「失礼します。ラナンキュラス少将」 テント式の簡易執務室にいたオルキデア・アシャ・ラナンキュラスは、その声で書類から顔を上げる。 顔にかかるダークブラウンの長めの前髪と肩近くまで伸びた髪を鬱陶し気に払いながら、目の前で敬礼する部下に問い掛けたのだった。 「どうした?」 「はっ! 軍事施設側を捜索していた部隊から報告がきました。我が軍の捕虜は今のところ発見されておりません」 「やはり、こちらの襲撃を予測して移送されたか……」 ふつふつと内側から悔しさが込み上げてくる。歯を食いしばると、オルキデアの目鼻立ちが整った眉間に幾つもの皺が寄る。 自然と手元にも力を込めてしまったようで、書類が小さな音を立てたのだった。 「捜索部隊からの報告では、敵側の生存者も皆無とのことでした……。見つかるのは敵の兵士や関係者の死体ばかりだと」 「そうか……」 書類を置いたオルキデアは大きく息を吐く。やはり敵のシュタルクヘルト軍は一筋縄ではいかないらしい。 王政国家であるペルフェクト王国は長きにわたり、民主国家のシュタルクヘルト共和国と戦争を続けている。 勝率は五分五分。特にここ数年は一進一退の攻防が続いており、両国共に油断は出来ない状況であった。 「軍事施設側はわかった。軍事医療施設側はどうだ?」 「それが……まだ報告がきておりません」 オルキデアは傍らの時計を見る。捜索部隊を派遣してから、三時間は経過しようとしていた。 「何かあったのかもしれん。よし、俺も行こう」 「いけません! 少将の身に何かありましたら、私が困ります!」 「心配するな。自分の身くらい、自分で守れるさ」 オルキデアは立ち上がると、腰に下げた銃の残弾数を確認する。予備の弾を用意した方が良いかと考えて、執務机の引き出しを開けたものの、すぐに思い直したのだった。 (これだけあれば足りるか……) 先程部下から生存者はいないと聞いた。もし生存者が見つかったとしても、医者や研究員などの非戦闘員だろう。仮に彼らが襲い掛かってきたとしても、兵の多さや武器数からすぐに制圧できる。現地にいる兵たちで充分対応可能だろう。 引き出しを閉めると腰に銃を戻す。そして部下をその場に置いたまま、オルキデアは颯爽とテントの入り口に向かう。 テントの入り口を開けると、空がオレンジに染まりだしていた。 夕闇が近づいている中、軍事医療施設に向かって歩き出したオルキデアの背中を、テントから転ぶように出てきた部下が後を追いかけてきたのだった。 「お、お待ち下さい! ラナンキュラス少将!」 そんな部下に構うことなく、オルキデアは足を動かし続ける。 (臭うな) 風に乗って建物と人の焦げた臭いが、オルキデアの鼻をつく。 視線の先には、灰色の細い煙がいくつも立ち昇っている軍事施設と併設する軍事医療施設があった。 オルキデアは不快そうに顔を歪めると、歩調を速めたのだった。 二日前にペルフェクト軍はシュタルクヘルト軍の軍事施設を破壊した。 そこにはシュタルクヘルト軍に囚われた自軍の捕虜ーーペルフェクト軍の捕虜たちが収容されていると、シュタルクヘルト軍に侵入していた諜報部隊より報告が入ったからであった。 その中には、下士官や士官だけではなく尉官や高官もいるとも。 そこで軍はオルキデアを始めとする諸将に、軍事施設と併設する軍事医療施設を破壊して捕虜を解放するように命じた。 軍事施設に併設する軍事医療施設では、虜囚となった兵を利用した人体実験が行われているという噂があった。 一刻も早く、彼らを解放しなくてはならなかった。 そうして作戦決行の日、陽が沈むまで待機していたペルフェクト軍は夜陰に紛れるようにして行動を開始すると、二つの建物に向かって一斉攻撃を仕掛けたのだった。
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