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1.月に叢雲、花に風
月に叢雲、花に風。
よいことには、とかく邪魔が入りやすいもの。
姉の美月が事故を起こしてあっけなく他界した。
三歳のちいさな息子と夫を残して。
その時、花南はまだ学生。親の脛を大いに囓って、芸大生を謳歌していた最中のことだった。
七つ歳が離れた大人の姉は、カナの憧れであって、最大の味方でもあった。
いまカナが恵まれた環境で、『ガラス職人』でいられるのは、姉のおかげでもあったから、突然の死が受けいれられず何日号泣したかわからない。
姉は妹のカナを本気で『工芸作家』にしようとしてくれていた。
カナの仲間の作品にも目を配ってくれ、カナの工芸グループの『パトロネス』になるつもりでいたらしく、学生グループのうちからバックアップをしてくれた。
そのバックアップがなくなり、学生グループは後ろ盾をなくし解散。
カナはここから、しばし真っ当な職人としての苦労を味わう。遠い北国にある、小樽のガラス工房で修行を積んだ。
その数年後。この地方で廃れた『ガラス』を復活させようという動きが見えた頃。その波に乗って今度、カナを助けてくれたのは、姉の夫『義兄』――。
姉が逝って十年が過ぎた。
今年もカナの庭に、ささやかながらシャクヤクが咲き始めた。
切り花にして、生けよう。花鋏を片手に庭に出ていた。
今日は、黒いスーツ姿の彼が来ている。
「おまえの切子グラス、やはり評判がいいらしい。もう少し造ってくれないかと工房に頼まれた」
シャクヤクを生けたダイニングテーブルに、骨張った大きな手が、群青色のグラスをことりと置いた。
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