1.月に叢雲、花に風

1/8
6454人が本棚に入れています
本棚に追加
/394ページ

1.月に叢雲、花に風

 月に叢雲(むらくも)、花に風。  よいことには、とかく邪魔が入りやすいもの。  姉の美月が事故を起こしてあっけなく他界した。  三歳のちいさな息子と夫を残して。  その時、花南(カナ)はまだ学生。親の(すね)を大いに囓って、芸大生を謳歌していた最中のことだった。  七つ歳が離れた大人の姉は、カナの憧れであって、最大の味方でもあった。  いまカナが恵まれた環境で、『ガラス職人』でいられるのは、姉のおかげでもあったから、突然の死が受けいれられず何日号泣したかわからない。      姉は妹のカナを本気で『工芸作家』にしようとしてくれていた。  カナの仲間の作品にも目を配ってくれ、カナの工芸グループの『パトロネス』になるつもりでいたらしく、学生グループのうちからバックアップをしてくれた。    そのバックアップがなくなり、学生グループは後ろ盾をなくし解散。  カナはここから、しばし真っ当な職人としての苦労を味わう。遠い北国にある、小樽のガラス工房で修行を積んだ。  その数年後。この地方で廃れた『ガラス』を復活させようという動きが見えた頃。その波に乗って今度、カナを助けてくれたのは、姉の夫『義兄』――。  姉が逝って十年が過ぎた。      今年もカナの庭に、ささやかながらシャクヤクが咲き始めた。  切り花にして、生けよう。花鋏を片手に庭に出ていた。      今日は、黒いスーツ姿の彼が来ている。   「おまえの切子グラス、やはり評判がいいらしい。もう少し造ってくれないかと工房に頼まれた」  シャクヤクを生けたダイニングテーブルに、骨張った大きな手が、群青色のグラスをことりと置いた。
/394ページ

最初のコメントを投稿しよう!