欲望バンク

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欲すること、それ自体を欲することは出来ない。かの哲学者ショーペンハウアーは言った。 皮肉屋の彼らしい言葉だと、曽根崎は思う。 人が何かを欲するということは頻繁に観察される事象である。 金が欲しい。 愛が欲しい。 名声が欲しい。 欲望は多かれ少なかれ制約を受けるものの、人はその範囲で欲望に向かって行動することが出来る。(ある場合には、制約の範囲を無理やり超えてでも、欲望に猛突進することさえあるのはご承知の通り) その意味では、人は自由だと言えるだろう。 しかし、現実は、そう単純ではないのだ。 人は何かを欲することは出来るが、何を欲するかを選ぶことは出来ない。 身体の内から湧いてくる欲望に、従うのみ。 欲望が金を求めれば、金を稼ぎ。 欲望が愛を求めれば、愛を語り。 欲望が名声を求めれば、善を積む。 (たとえ偽善だとしても) それをショーペンハウアーはたっぷりと彼特有の皮肉を込めて、欲することそれ自体を欲する出来ないと言った。 人は全く不自由な存在なのだと。 「それは、彼の時代、真実でありました。人間は全く自由ではなかった。」 曽根崎はスクリーンの画面をちらっと見る仕草をして、再び観客に向かう。観客の顔は暗く、その表情を伺い知ることは出来ない。代わりに、無数のカメラが光を反射している。 それはまるで宇宙のようだった。 曽根崎は宇宙に向かってプレゼンをしている。 宇宙は彼の一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らしている。 曽根崎は神になった心地がする。そしてそれは、あながち大袈裟でもないのだ。もし欲望を自由にコントロールすることができる者がいるとすれば、それは神に近い存在だろう。 「このたび私たちは、人類を真に自由にするサービスの提供を開始します。」 曽根崎の宣言に合わせて、一斉に光が輝きを増した。 これで世界は変わる。曽根崎は確信していた。
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