1 宇宙の花びら

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1 宇宙の花びら

 見るたびに、真っ白のコックコートが鮮血に染まっていく。 「ゆき」  オーナーシェフの岩清水由春(いわしみずよしはる)に名を呼ばれて、血染めの包丁を持ったピンク髪のパティシエ、真田幸尚(さなだゆきなお)が顔を上げた。 「結構やるじゃん」  無骨な銀縁眼鏡の奥で目を光らせた由春に、幸尚もへっと薄く笑った。 「ハルさんも。さすがです」  向かい合った二人ともに血を浴びており、血塗れの包丁を手にしている。  見なかったことにしよう。  ホールの掃除に精を出し、とにかくキッチンの惨状には背を向けていたホール担当の蜷川伊久磨(にながわいくま)であったが、しばらく後、ついに耐え切れず額をおさえて呻いた。 「……ゾンビ映画みたいだ」  すかさず、振り返った由春が口角を釣り上げて言う。 「十五体」 「いいから。そういう成果報告いいから」  大げさに手を振り、首も振って拒否。  生きたすっぽんを仕入れた記憶はあるし、今朝出勤したら裏口にわらわらと亀がいたのは見ているのだ。  作業で出入りするたびに亀はどんどん減っていき、キッチンの二人は血に染まっていった。 「本当に、料理人って『そこ』から出来るもんなんだな……」  料理馬鹿の由春はともかく、幸尚はなんでだよ。パティシエだろ。いつもなんかふわふわきらきらした甘いものを作って「可愛いー♥」なんて言ってるだろうが。  という思いを込めて視線を流せば、にこにこと笑みを浮かべた幸尚が「オレは八匹です」と聞きたくもなかった報告をしてくる。 (仕入れが二十五匹だから……)  よせばいいのに頭の中で伝票をさらってしまって、 「これで終わりだな」  という由春の一言が、二人で各々一匹ずつ殺す算段だとわかってしまう。  普段、それほど派手にコックコートを汚すこともない二人があんな風になるということは、よほど勢いよく血が噴き出すのだろう。  耳の奥に、想像上の断末魔が響き渡る。  ――おぼえてろよぉぉ! (ごめん)  殺しといてごめんで済むとは思っていないけど、創作料理レストラン「海の星」のオーナーシェフである由春は、若いけど腕は確かだ。きっと美味しく仕立ててくれる。それこそ記憶に残るディナーだ。   全力で言い訳をしているのは、出勤時に「お、なんだこの亀。可愛いな」なんて思ってしまった記憶が真新しいせいであった。そのわずか数時間後に全滅。わかっていたけど、(むご)たらしい。 「伊久磨、今日はランチが休みだし、まかないにすっぽん鍋作るからな。よく味わっておけよ」  夜に、普段よりは価格帯高めのスペシャルメニュー・すっぽん鍋で忘年会貸し切りの予約をとっているので、仕込みの関係から昼の営業は休んだのだ。  伊久磨はやるせない気分になっているというのに、由春の声はいつも通り飄々としている。  何か一言いってやろうかと思って振り返った。ちょうど顔を向けてきていた由春と目が合った。  頬と眼鏡のフレームにまで、血が跳ねている。 「楽しみにしている……。顔洗えよ」  それだけ言って、ホールに逃げた。
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