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(しん)が店の前でぼこぼこにされていた日から一週間後。 店を開けようと、弘海(ひろみ)がネオンサインを点灯したときだった。 「おい、兄ちゃん」 ふたりの「いかにも」な服装をしたいわゆるチンピラがにやにやしながら店の前に立っていた。がに股で姿勢が悪く、趣味の悪い柄シャツ。絶滅危惧種と言ってもいいほどの、昔ながらの下っ端ヤクザ。 弘海は驚きもせず、無言でふたりの顔を交互に見た。 「あんた、ここのオーナーか?」 「…そうだけど」 「ちょっと中を見せてもらうぜ」 チンピラふたり組は弘海を押しのけ、どかどかとわざと足音を立てて店に踏み込んだ。 こういう輩は止めても無駄なことを弘海は知っていた。 ドアに寄りかかり、チンピラが店の中を物色するのを静かに見ていた。 「古い店だなぁ…外から見るよりボロいじゃねえか」 「…余計なお世話よ。なんなのあんたたち」 「兄ちゃん、一人で切り盛りしてんのか?大変だねえ」 「用件はなに」 「あ~、そうだねえ、要するに…ここ、売るつもりない?」 「は?」 「っていうか、出て行って欲しいわけ、早い話が」 「…どういうことよ」 チンピラたちは、にやにやしながら顔を見合わせたが何も言わない。 いわゆる新宿2丁目を牛耳るどこかの組の者だろう。これ以上居座られると客に迷惑がかかる。 「いきなりそんなこと言われて、はいそうですか、って言うわけないでしょ。借金もないし、出て行かなきゃいけない理由はないはずよ」 「それがあるんだよねえ」 チンピラの一人が三つ折りの紙を一枚取り出した。それを開いて弘海の顔の前に広げる。 「この土地の権利を持ってるのはウチなんだよね~、申し訳ないけど」 「…え…」 前のオーナーから譲り受けた店。土地もそのオーナーが所有していたはずだ。それも込みで受け継いだはずなのに。 紙に書かれていたのは、確かにこの店の住所と、どういう経緯で土地ごと奪い取ったのかも知らない持ち主の名前。 「ほらこれ、わかる?ここさ、キャバクラにしたいんだよね」 チンピラの言葉など弘海の耳には入って来なかった。 持ち主の名前に、見覚えがあった。 「いらっしゃーい」 ボーイが楽しそうに客を迎える。ドアに付いたベルがカランと音を立てた。ボーイとにぎやかに喋りながら、その客はカウンターにまっすぐ歩いていった。 その手に今日は青と白の薔薇の小さなブーケを持っている。 「弘海ちゃん」 新はいつものようににっこり笑って、手にしていたブーケを差し出した。 顔にはまだ、ふたつ絆創膏がついている。 「この間、ありがとうな」 弘海は煙草を咥えたまま、新を凝視していた。 差し出された花束に目もくれず、弘海はおもむろに煙草の火を消した。 そして新の手から薔薇のブーケを無下に払い落とした。 「……えっ」 目を見開いて、新は固まった。いつものやかましいやり取りではなかった。新は明らかに怒っている弘海の顔色を伺うように見つめた。 「弘海ちゃん?」 「…出て行けよ」 「な…どうしたん?」 「思い当たることあんだろ」 弘海は男の声で新を恫喝した。新はうろたえるだけで何も言えない。 カウンターを出て、弘海は新の胸を押した。 「ふざけやがって……何が「好き」だよ…最初から陥れようとして近づいたんじゃねえか…っ」 「ひ…ろみちゃん、何、何の話?!」 「しらばっくれんじゃねえっ!」 弘海はチンピラが置いていった紙を新の顔に向かって投げつけた。 ボーイと常連客たちは遠巻きに、ひそひそ話をしながら見守っている。 「ここをキャバクラにしたいんだってなあ?それで俺を懐柔しようと近づいたってわけだ…」 新は紙を見つめ、どうして、なんで、と独り言を呟いていた。弘海の言葉は聞こえていないように、ぶつぶつ言っている。 弘海は新の襟首を掴まえて締め上げた。 「ぶつぶつうるせえよ!悪いがここは誰にも潰させねえ…どうしても潰すっていうなら、出るとこ出てやろうじゃねえか!」 「ま、待って、待ってや、これ誤解やって!違うんやって!」 「てめえの名前書いてあんだろうが!今更誤解もクソもあるか!」 「だからそれが誤解っ……ぐっ…」 弘海の手が新の口を押さえた。 この上なく冷たい視線を浴びせながら、弘海は言い放った。 「これ以上は他のお客様のご迷惑になりますんで……どうぞお帰りください、青戸様」 弘海の手に吹っ飛ばされて、新は店の床に仰向けに転がった。身体のあちこちを椅子やテーブルの足にぶつけて、鈍い音がした。 新はもう一度起きあがって弁解しようとしたが、弘海の冷たい視線に口をつぐんだ。治りかけた頬の傷のすぐ近くに、赤い打ち身の傷が新しく出来ていた。新は、足下に落ちた紙を拾い上げた。 それからほどなくして、新がぶつけた腕をさすりながらとぼとぼと店を出ていくと、弘海は無言でバックヤードへ消えた。 弘海は閉店まで接客に出てくることはなかった。
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