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そう考えたらゾッとして、益々冷静になる。
「何でも言うことを聞くわけではありませんよ。理不尽な要求には、もちろん毅然とした態度で臨ませていただきます」
キッパリ言い切った玲旺の隣で、巻き込まれた形になった先ほどの女性客は、肩を揺らして笑いだした。
「実績もなさそうな『こんな客』かぁ」
参ったね、と言いながら少しも参ってなさそうに笑い、名刺入れをカバンから取り出した。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったわね。私、東京服飾桜華大学の学長を務めます、緑川と申します。再来年度から付属の高等部に芸能コースを創設する事になってね。折角だから制服もリニューアルしたいと思って、素敵なデザインのものを探していたの」
桜華大学の学長だと告げた瞬間、成り行きを見守っていた野次馬達がどよめいた。どうやら学長の顔までは業界人でも把握していなかったようだ。再び吉田が玲旺の耳元に顔を寄せる。
「日本で最高峰の服飾専門大学ですよ。学問で言ったら東大。美術や音楽だったら藝大。服飾なら桜華大。そんな一流校です。学長のお顔までは存じ上げておりませんでしたが」
海外生活が長かった玲旺は大学の名前を聞いてもピンとこなかったが、どうやら現在世界で活躍する日本人デザイナーの七割は、桜華大の卒業生らしい。そんな事を耳打ちされながら、玲旺は緑川から差し出された名刺に視線を落とした。
「フォーチュンには我が校の卒業生が何人もお世話になっているの。それにね、こんなドラマチックな出会いは大切にしたいわ」
クスッと緑川が笑う。「ドラマチックか。確かに」と思いながら、玲旺も名刺入れを取り出そうと懐に手を入れる。ジャケットの内ポケットを探ってから、スーツを着ていなかったことを思い出した。
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