赤い糸

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太さも、丈夫さが増してる。 これは何かの意図があるのだろうか。 (糸だけに、) 薄ら寒い事を思いながら乾いた笑いを浮かべる俺に、木崎からの不審そうな視線が突き刺さる。 「…たまに見てるよな、小指。何かあんの?」 そんな露骨に見ている時間が多いのか、確かに傍から見たら挙動不審な動きに見えるのかも。 「い、や、癖、みたいなもんって言うか、」 誤魔化してみるも、ふぅんっとあまり納得していない風に首を傾げて見せる木崎にあまり小指は見ない事にしようと思った。 * 一年生の頃は、入学時に友人が出来るだろうかと不安しかなかった。 地味で自分からぐいぐい行くタイプではないし、話しかけられても初対面では上手く返す事も出来ない。 あまりにお友達作りが上手く行かず、勝手に一日一善するなんて現実逃避にも似た自己満足な日々を過ごした事もあった。 電車の中で席を譲ったり、拾った定期を駅員に預けたり、校内でも枯れそうな花壇の花に水をやったり、たまたま入った保健室で明らかに熱で唸っているベッドの生徒に冷えピタを投げたりと。 悲しいかな、ぼっちも二年目に入ると慣れたモノで修学旅行となるものにも過度な期待は持てない。 面倒見の良い学級委員長がグループに入れてくれた事に有難みを感じつつも、俺は未だに見える小指の赤い糸に溜め息を吐いた。 濃く、しっかりとした太い糸。 (や…糸、っつーか…) 少しずつ変わってきている。 材質と言うとおかしな話ではあるが、 (釣り糸、みてーな…) ナイロン製の様なその質感。 相変わらず痛くも違和感も無いけれど、奇妙さは日に日に増えるのは当たり前の事。 「また小指見てる」 「あ…」 今日は図書館での作業は無い。 けれど、帰る途中靴箱近くでバッタリ会った木崎がひらりと手を振る。周りに居た彼の友人であろう男女が俺の顔を見るなり少し驚いたような表情をするが木崎には関係無いらしく、何の迷いも見せずに此方へと近づいて来た。 「そのうち足元見てなくてコケるよ」 「はは…まさか、そんなドジっ子属性持ち合わせてないって」 木崎の背後からの誰だお前的な視線に耐えつつ、当たり障りのない答えを返せばふふとまた笑う顔に自然と俺の口角も上がる。 段々とだが彼の人となりが分かって来たようだ。 悪い男じゃない。むしろ人好きする良い男だと思う。委員会の仕事も意外にサボらずにやって来る。 暇な日はスナック菓子持参し、コーヒーまでセットで俺にも渡してくれる。 陽キャ、一軍男子、俺には無関係、なんて思っていたのが今となっては恥ずかしい。 誰にでも分け隔てなく接してくれる人間だ。 「帰んの?」 「部活もしてないしな」 「そっか。なぁ、修学旅行の話ってあった?」 「あぁ、今日グループ決めとかしたわ」 「いいなぁ」 「何が?」 生徒達が行き交う靴箱近くでこんな雑談をする俺なんて邪魔でしかないだろうが不思議な事に木崎と居れば周りがきちんと避けてくれている。この男から放たれる圧と言うかイケメンオーラと言うか、それに当てられているようだ。 顔が良くてスタイルが良いなんて本当にいい事ばかりだ。 「鹿野と同じクラスだったら、同じグループになれたかもじゃん。俺もっと鹿野と話してみたいんだよな」 「お、ぉぉ…」 俺の喉から絞り出されたような感嘆の声が漏れだす。 こう言う所。 こう言う所が人懐っこさで人当たりの良さが露見するんだ。恥ずかし気も無くケロッとした顔で言える、流石過ぎるだろ。 こんな生き方も正反対な俺に向かってそんな優しい事を言ってくれるなんて、社交辞令だったとしても感謝すら感じる。 「そだ、鹿野って今日暇?」 「へ、あー…家に帰るだけだけど、」 「じゃあさ、俺と一緒に帰らない?」 え、っと眼を見開くと同時に木崎の後ろから声が飛ぶ。 「ちょ、今日はカラオケ行こうって言ったじゃんっ!」 一軍女子の非難じみたそれは視線を伴って俺の元へも。 面倒臭い、と反射的に洩れた溜め息は木崎にも聞こえたのか、少しだけ振り向くと、 「悪い。今日はパス」 軽いそんな声は謝罪の意なんて無いように聞こえるも、一瞬にして黙った木崎の友人達に俺はまた息を呑んだ。 「じゃ、行こ」 「―――…おー…」 まず俺は一言も承諾なんてしていないのだけれど、身体は木崎の背中を追いかける。 断ると言う言葉が出てこなかったのもあるが、それ以上に『行こう』が『付いて来い』に聞こえたからかもしれない。 ごくっと喉を上下させ、ぎこちない動きで木崎と共に学校を後にしたのだが、これがまた悪く無いものだった。 「鹿野って電車通学だったんだ」 どうも木崎も電車通学らしく、近くのファーストフード店でそんな話を皮切りに、実は本が好きだとか、心理学だとかの勉強をしているだとか、本当は和食が好きだとか、木崎好きにしたらレアな話までする事が出来た。 目の前で長い脚を絡ませる事無く組む男の顔面の圧に負けそうになりながら、俯く俺へと話を振ってくれる木崎の声は何処までも優しい。 「鹿野は甘いの好き?俺頼み過ぎたかも」 「嫌いじゃない、」 「じゃ、お裾分け」 綺麗な右手からパイとドーナツが俺の皿へと乗せられる。 そこで、俺は気付く。 (…木崎の、糸、) めっちゃ赤い。 そして俺のみたいに糸と言うよりはナイロン質のようだ。 そうして、今度は木崎の声が聞こえるのに、まるで耳に膜が張られたようにくぐもって聞こえる。 何か答えなきゃいけないのだろうかと思うのに、その声が心地が良くてうっとりと眼を閉じてしまいそうになる。 でも、何だ?耳鳴り? ノイズが走る、煩い、でも、 あぁ、まただ。 (―――――また?) 「鹿野?鹿野、大丈夫?」 「へ、あ、え?」 パチっと瞬きひとつ。 ぐりっと眼を動かせば、訝し気に俺を見詰める木崎が首を傾げた。 「ぼーっとしてたけど…悪い、体調悪かった?」 心配そうな眼と声にふるふると首を振る。 「俺…ぼーっとしてた?」 「してた。ドーナツ握りっぱなしでぼんやりしてたから何か具合悪いのかって思って」 「ごめん、違う、ちょっとマジで最近俺ぼーっとする事が増えてて…」 「何それ。気を付けなよ」 本当に心配してくれているのだろう。 眉間に皺が寄ったとしてもイケメンはイケメン。ふっと苦笑いする俺に、木崎からまた可愛らしいブーイングが飛んだけれど、俺は小指を見詰めた。 赤い血みたい、だ。
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