写真の中の君にもう一度会いたい

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 我が家は代々、この港街で写真館を営んでいる。  奇跡的に戦争や災害で倒れることなく、令和の時代まで生き残った我が写真館は、私で四代目だ。昨今はオシャレなSNS映えスポットとして、観光客が店頭で自撮りをする場所に成り果てて、最早店内セットで写真を撮影しようなどという客もいない。   「別に無理に継がなくてもいいんだぞ。少子化だしな。なんならカフェにでも改装したらどうだ?」  と、父は自分の代で店を畳む覚悟をしていた。  しかし、私は店を継いだ。  ――ある人を待っているから。  私は高校時代、父の手伝いで記念撮影に頻繁に立ち会っていた。  その人も、ハレのひとときを印画紙に焼き付けて、通り過ぎるだけの人、のはずだった。  三十年前のあの日――。  その人は、両親と共に運転手つきの外車で来店した。  そう広くもない道の路肩に止まった車から運転手が降り、後部座席のドアを開けて礼をした。まもなく、身なりのよい中年男性、和装の中年女性、そして矢絣の着物に袴を身に纏った若い女性が降りてきた。  私は、その若い女性を見た瞬間、生ぬるい春風がピタリと止まった気がした。  凜とした佇まいは袴姿のせいでもなく、内から溢れる品と強さか。何者をも寄せ付けない気高さと美しさに、私は衝撃を受けた。  後で気付けばそれは、一目惚れだったのだ。  その神々しさに私は打ち震えた。  卑しい自分が女神様に声を掛けられるはずもなく、ただただ見送るしか出来なかった。  どうしようも、本当にどうしようもなく、私はこっそり自分のために、彼女の写真を焼き増して額装した。まるでイコンのように、日々彼女の姿に信仰にも似た愛を捧げた。  それからの三十年。  私は毎日店の窓際に座り、通りを過ぎる人波の中に女神の姿を探し続けた。  分かっていたのだ。 『もうあの人は戻ってこない』と。  流れる時の中で、変わらずにいるのは、写真の中の彼女だけだから。 『それでも私は』  幾度やめようと思っても行き交う人を目で追ってしまう。  やがて探すのをやめよう、と思うことを諦めた。  それは、この三十年を全て否定することと同じだと気付いたからだ。  それは春まだ浅い日のことだった。  ――え?  私は我が目を疑った。  次の瞬間、私は店を飛び出していた。 「****さん!!」  私は叫ばずにはいられなかった。  どうして『今』ここに貴女がいるのか。私の女神が。 「……え? あの、どちら様ですか?」  彼女は立ち止まり、少し怯えた顔で私を見た。  私は震える唇を御しながら答えた。 「私はこの写真館の主人です。貴女の卒業写真を撮影させて頂いた」  彼女は安堵の表情を湛えながら私に会釈をすると、 「それは、わたくしの母です」  ――え? 母?  私はつとめて平静を装い、 「そうでしたか。あまりにもお母様と似ていらしたので、驚いてお声をかけてしまいました。どうか、ご無礼をお許しください」  ここまで言うと、彼女に深く頭を下げた。 「いいえ、お気になさらず」  若い女神はにっこりと微笑んだ。 「店内にお母様のお若い頃の写真がございます。よろしければご覧になっていきませんか?」  自分でも、なぜこんな台詞がすらすらと口から出て来たのか分からなかった。  ただ、待ち続けた愛しい人の欠片を、少しでも手にしたかったのだろう。 「ただいまお持ちしますので、しばらくお待ちください」  彼女を店内の応接室に通すと、私は倉庫へ向かうついでに、母にお茶の用意を頼んだ。  女神の写真を手に私が応接室へと戻ってきた頃には、茶器とお茶菓子が並んでいた。 「お待たせしました。こちらがお母様がご卒業記念に撮影された写真でございます」  お嬢さんは驚きを隠せなかった。正に母親と自分が瓜二つだったから。 「たしかにご主人が驚かれるのも無理はありませんね。わたくしと全く同じ……。そうだわ、今日はご予約はありますの? もし空きがあるのなら、写真をお願いしたいのですが」 「あ、空いてます。今すぐにでもご用意できますよ」  私の心臓が跳ねた。  まさか女神様の写真のおかわりが頂けるとは――。  すると、何かを思いついたのか、彼女はスマホを取り出して、どこかに電話を掛けた。 「あの……いま母を呼び出しましたので、しばらくお時間を頂いてもよろしいですか?」 「いま、なんと」 「ですから、母を呼び出しましたので……」 「大丈夫です! ええ、もちろん!」  私は準備があるから、と中座して、そそくさと店の出入り口へと向かった。 『本日の営業は終了しました。』  今日は女神様ご一行の貸し切りでございます。  嗚呼、なんと私は幸福なのだろうか。  ハレルヤ。ハレルヤ。
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